アンソニー・グリーン 英国出身の元キリスト教徒

アンソニー・グリーン 英国出身の元キリスト教徒

 

 

長身、金髪、碧眼、そして壮年のアブドッラヒーム・グリーンは、ハリウッド映画からそのまま出てきたかのような風貌の持ち主です。このタンザニア生まれの英国人は1988年にイスラームを受け入れ、それ以来は英国におけるダアワ(宣教)の実践者として知られてきました。彼の身なりは、キリスト教ヨーロッパにおけるイエス・キリスト像がただちに脳裏をよぎります。グリーンのイスラーム改宗は、エジプト滞在がきっかけでした。彼は先の10月、バンガロールで「神の最終啓示」について講義しています。その滞在中、彼はIslamic Voiceのインタビューを許可してくれました。

生い立ち

私は英国人の両親のもと、タンザニアのダルエスサラームで1964年に生まれました。父ゲイヴィン・グリーンはいまだ存続する大英帝国の植民地行政官でした。彼は1976年にバークレイズ銀行に就職し、その後エジプトのバークレイズ銀行を立ち上げるため、現地に派遣されました。私はアンプルフォース・カレッジと呼ばれる、有名なローマカトリックの修道院で教育を受け、ロンドン大学で歴史を学びました。しかし、大学は中退しました。

現在、私は英国に拠点を置くイスラミック・メディアの会社で働き、ダアワ活動に携わっています。ロンドンで有名なハイド・パークでのイスラーム講義などを行っています。

学位の取得が妨げられた理由は?

私は英国の教育制度に幻滅しつつ育ちました。それは完全にヨーロッパ中心主義で、文明がヨーロッパにおいて開花し、絶頂に達したかのような世界史を投影させています。私はエジプトに住み、考古学者しか行けないような雄大な遺跡などを実際に見てきたことから、欧米の歴史解釈は完全に誤ったものであることに気付いたのです。私は独学で世界の他地域の様々な聖典や哲学を研究しました。そして3年近くに渡り仏教を実践してはいましたが、正式な改宗には至りませんでした。

聖クルアーンについて勉強した私は、直ちにそれに惹かれました。その教えは魅力的で、私はそれが神による啓示であると確信しました。私は他の誰でもない、アッラーのみが私を導いたことを信じています。なぜ私のような者がイスラームに値するのかは、未だ分かりませんが。

なにか特定の魅力的なものがあったのですか?

私は8歳の頃から、キリスト教に対する不満を抱いていました。私たちはアベマリアなどの歌によってキリスト教の概念を習っていましたが、それは私にとって、容認できるものではありませんでした。キリスト教は、一方では神を永遠の存在であるとしておきながら、マリアの子宮に神を宿すという概念に良心の呵責を感じません。私は、マリアが神よりも偉大なのではないかと思ったこともあります。

次に、キリスト教の三位一体概念にも困惑させられました。「カナダのメープルリーフは三つの部分に分かれているが、一つのものである」といった例えは、まったく不適当であると思えました。

転機は、エジプト人が私を質問攻めにしたことからやって来ました。私自身、キリスト教の信条には混乱していましたが、そのときはほとんどの白人中産階級の英国人キリスト教徒がそうであるように、教条的であることに努めました。しかし彼は、神が十字架で死んだということを私に認めさせ、キリスト教における神の永遠性の空虚さを露呈させたのです。そのとき私は、自分がそれまでの人生を通して信じていたことは、2+2=5のような不合理なものだったことを認識したのです。

欧米式の巧妙に組み込まれた人生に、私は鋭く拒否反応を示しました。私は、人が生きるのはただ厳密なスケジュールに束縛されるためだけなのかと疑問を抱き始めました。私はヨーロッパ人が、人生を楽しめていないことに気付いていました。彼らには、人生における高尚な目的が無いのです。

エジプト人・パレスチナ人とパレスチナ問題について議論していると、欧米による人々への洗脳計画が明らかになりました。虚構の歴史、政治、経済がシオニストによって捏造され、欧米メディアによってそのまま垂れ流されているのです。ユダヤ人によって2000年以上も前に退去された土地が、なぜ彼らの祖国となり得るのでしょうか? また、現在のユダヤ人たちは、実際にはセム族ではなく、スラヴ民族であり、パレスチナの土地は常に果樹の茂った緑地だったのです。イスラエルによる「砂漠のたちまちの緑化」は捏造されたつくり話なのです。

ソ連を制裁する一方、中南米における独裁政権の誕生を助け、支援した米国の役割を調べると、米国人の二枚舌と偽善が明らかになりました。

エジプトと英国の人々の生活には、どのような対比がありましたか?

エジプト人は貧しく困窮していましたが、幸福でした。彼らはすべての諸事をアッラーに委ね、家に帰ると惨めさを忘れたのです。祈りによって悩み事は神へと託されたのです。また、礼拝における羞恥心や親密さも見て取れました。

しかし英国では、人々は浅薄で物質主義でした。彼らは幸福であるかのように振舞っていますが、それは表面的なものです。彼らの礼拝は、歌や踊り、手拍子などによって構成されますが、そこには謙虚さや神との親密さは存在しません。

私は、欧米における一般大衆の世論は、シオニストのメディアによって管制されているという事実に気付きました。パレスチナ問題はそのうちの一つです。パレスチナ人たちとの会話によって、欧米がイスラエルに関して信じてきた虚構が明らかにされたのです。その第一は、ユダヤ人たちは本来の祖国であるイスラエルに戻る権利があるというものです。第二は、彼ら世界中のユダヤ人たちの大半は、中世にユダヤ教に改宗したスラヴ人であるにも関わらず、自分たちを都合よくセム族であると自称していることです。そして第三は、イスラエル経済の「奇跡」は、経済的・科学的神話を作り上げるために理論付けられたものであるということです。

私はそれまで、この問題におけるパレスチナ側の言い分を知りませんでした。私は欧米の人々がメディアの洗脳を受けていることを確信しました。米国は途上国が少しでも人権を侵害すれば、彼らを制裁しようとあらゆる手口を駆使しますが、米国自身も中南米諸国に対し、米国の政策に従わない指導者たちへ暗殺部隊を送り込んでいたのです。そうした偽善は、米国のメディアでは決して批判されませんでした。

英国での生活はムスリムとしてどのようなものですか?

欧米の精神論は、人の個性を強調します。これはイスラームとは相違します。誠実なムスリムは誰もがかく乱されています。彼らは性的感情を扇動するものに圧倒されています。女性の大半は13歳にもなると処女を失い、3〜4人の恋人を持つことが一般的なのです。

欧米のムスリムにとってのジレンマとは、性産業、麻薬、飲酒、そして性的放蕩にまみれた社会にどうやって溶け込むかということなのです。もし溶けこまないというのであれば、彼らの孤立をいかに防ぐかということなのです。

1997年・130番・11月11日号のIslamic Voiceによるインタビュー。