記事について

著者 :

عائشة ستاسي

日付 :

Tue, Aug 12 2014

カテゴリー :

Biographies & Scholars

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イエスの母マリア

イエスの母マリア

(その1):マリアとは誰か?

 

マリアがイスラームにおいて、最も高く評価され尊敬されている女性であり、クルアーンで重要視されている女性の一人だと知って驚く人も少なくないでしょう。マルヤムはクルアーン19章の題名であり、13章はイムラーン家という名が付けられています。イスラームにおいて、イムラーン家はとても高い価値を置かれています。クルアーンはこう伝えています:

本当にアッラーは,アダムとノア,そしてアブラハム族の者とイムラーンー族の者を,諸衆の上に御選びになられた。(クルアーン3:33) 

神はアダムとノアのことは個人的に選びましたが、アブラハムとイムラーンに関してはその一家を選びました。

かれらは,一系の子々孫々である。(クルアーン3:34 

イムラーン家はアブラハムの子孫であり、アブラハム家はノアの子孫であり、ノア家はアダムの子孫です。イムラーン家にはキリスト教の教義において著名かつ尊敬されている多くの人々がいます。預言者ザカリアや預言者ヨハネ(洗礼者ヨハネ)、預言者イエスとその母マリアがそうです。

神はマリアを全世界の女性の上に置かれました。かれはこう仰っています:

天使たちがこう言った時を思い起せ。「マルヤムよ,誠にアッラーはあなたを選んであなたを清め,万有の女人を越えて御選びになられた。」(クルアーン3:42 

また第4代カリフのアリー・ブン・アビー・ターリブはこう言っています。

私は、神の預言者が、イムラーンの娘マルヤムは最も優れた女性である、と言ったのを聞きました。(サヒーフ・アル=ブハーリーによる伝承) 

アラビア語で、マルヤムとは神の仕女のことを指し、イエスの母マリアは産まれる前から神に仕えていたのです。

マリアの生誕

聖書にはマリアの生誕について詳しく書かれていませんが、クルアーンには、イムラーンの妻が彼女のまだ産まれていない赤ん坊を神に仕えさせようとしていたということが書かれてあります。マリアの母、またはイムラーンの妻はハンナといいました[1]。 彼女は預言者ザカリアの妻の妹でした。ハンナと夫イムラーンは子供が授かれないものと信じていましたが、ある日ハンナが誠実で心のこもった祈念をし、子どもを授かれるのならエルサレムの神の家に仕えさせると誓いました。神はハンナの願いを聞き入れ、ハンナは懐妊したのです。ハンナはこの素晴らしい知らせを知ったとき、神に祈りこう言いました。

イムラーンの妻がこう(祈って)言った時を思え,「主よ,わたしは,この胎内に宿ったものを,あなたに奉仕のために捧げます。どうかわたしからそれを御受け入れ下さい。本当にあなたは全聴にして全知であられます。(クルアーン3:35

ハンナの神への誓いには、学ぶべき教訓があります。その一つが子孫に与えるべき宗教的教育です。ハンナは世俗のことは一切気にせず、自分の子どもが神に近しい者であり、神に仕える者であるように努めました。イムラーン家のような神の僕たちこそ、私たちがお手本とするべき両親の姿です。神はクルアーンの中で何度も、かれこそが私たちを養う存在であり、私たち自身と私たちの家族を地獄の業火から守るべきだと警告しています。

ハンナは祈りの中で、彼女の子どもが世俗的な仕事には携わらないように願いました。彼女の子どもが神の僕になることを約束することで、彼女は子どもの自由を守ったのです。自由とは、すべての人間が手に入れようと努力する人生の性質であり、彼女は本当の自由とは、神への絶対服従によって得られるものだと理解していたのです。これこそが、彼女がまだ産まれていないその子どものために願ったことなのです。ハンナは彼女の子どもが、ほかのいかなる者の奴隷、また自らの欲望の奴隷などではなく、神だけの僕であってほしかったのです。時期がきて、ハンナは女の子を産み、彼女はまた神に祈りを捧げてこう言いました:

それから出産の時になって,かの女は(祈って)言った。「主よ,わたしは女児を生みました。」アッラーは,かの女が生んだ者を御存知であられる。男児は女児と同じではない。「わたしはかの女をマルヤムと名付けました。あなたに御願いします,どうかかの女とその子孫の者を)呪うべき悪霊から御守り下さい。(クルアーン3:36

ハンナはその子をマリアと名付けました。彼女の神への誓いについて、彼女はジレンマに陥りました。祈りの家に女性が仕えることは、許されていなかったからです。マリアの父イムラーンは彼女が産まれる前に亡くなっていたので、ハンナは義理の兄ザカリアに頼りました。彼はハンナを慰め、神は彼女が女の子を身ごもったこともご存知だということを理解させました。この女児マリアは、神の創造物の中でも最高のものの一人でした。預言者ムハンマドは、子どもが産まれるときに泣くのは、悪魔が赤ん坊を突き刺すためなのだ、と言いました。[2]  これは悪魔の人間に対する大きな敵意の象徴ですが、二つの例外があります。悪魔はハンナの願いゆえに、マリアも、その息子イエスのことも突き刺さなかったのです。[3]

マリアが祈りの家に来たとき、誰もがこのイムラーンの敬虔な娘の面倒を見たがりました。その当時の慣習にならって、その権利のくじ引きが行われ、神は預言者ザカリアが彼女の後見人になるようにしました。

それで主は,恵み深くかの女を嘉納され,かの女を純潔に美しく成長させ,ザカリーヤーにかの女の養育をさせられた。(クルアーン3:37

預言者ザカリアは神の家に仕える、賢明で知識のある男性であり、教えを説くことにとても熱心でした。彼はマリアのために部屋を建て、彼女が人目にふれず神を崇拝し、日常の用事を済ませることができるようにしました。預言者ザカリアは後見人として、マリアを毎日訪ねていましたが、ある日彼女の部屋に新鮮な果物があるのを見て驚きました。彼女の部屋には、夏には冬の果物が、冬には夏の果物が置いてあったと伝えられています。[4]  預言者ザカリアは、それがどうしてこの部屋にあるのか尋ねました。マリアは、神こそが糧を与えてくれるのだ、と答えました。彼女はこう言いました、

「これはアッラーの御許から(与えられました)。」本当にアッラーは御自分の御心に適う者に限りなく与えられる。(クルアーン3:37

彼女の神への献身ぶりは未曾有のものでしたが、彼女の信仰は今まさに試されようとしていました。

 


Footnotes:

[1] イブン・カスィールのクルアーン解釈より。

[2] サヒーフ・アル=ブハーリー収録の伝承。

[3] サヒーフ・ムスリム収録の伝承。

[4] イブン・カスィールの「預言者たちの説話」による。

(その2):イエスの生誕

全てのムスリムから敬愛され、純潔で敬虔な女性として知られるイエスの母マリアは、全ての女性たちの中から選ばれた女性です。イスラームでは、イエスが三位一体の一部であるというキリスト教の教義を否定し、イエスやその母マリアが崇拝の対象であるという考えを断固として否定します。クルアーンには、神以外に崇拝の対象はないとはっきりと述べられています。

それがアッラー,あなたがたの主である。かれの外に神はないのである。凡てのものの創造者である。だからかれに仕えなさい。(クルアーン6:102)

しかしムスリムはイエスも含め全ての預言者を信じ愛するべきであり、イエスはイスラームの教義の中で特別な位置にあります。彼の母イエスは誇り高い女性です。若いときから、エルサレムの祈りの家に行き、神を崇拝し仕えるために、その人生を捧げたのです。

マリア、イエスの誕生の知らせを聞く。

マリアが一人きりで籠っていたときに、男性が彼女の前に現れました。神はこう言いました:

 “かの女はかれらから(身をさえぎる)幕を垂れた。その時われはわが聖霊(ガブリエル)を遣わした。かれは1人の立派な人間の姿でかの女の前に現われた。(クルアーン19:17

マリアは恐れ、逃げようとしました。彼女は神にこう言いました:

かの女は言った。「あなた(ジブリール)に対して慈悲深き御方の御加護を祈ります。もしあなたが,主を畏れておられるならば(わたしに近寄らないで下さい)。」かれは言った。「わたしは,あなたの主から遣わされた使徒に過ぎない。清純な息子をあなたに授ける(知らせの)ために。(クルアーン19:1819

マリアはこの言葉に驚き、困惑しました。彼女は未婚でしたし、純潔な処女だったからです。彼女は怪訝そうに、こう尋ねました:

かの女は言った。「主よ,誰もわたしに触れたことはありません。どうしてわたしに子が出来ましょうか。」かれ(天使)は言った。「このように,アッラーは御望みのものを御創りになられる。かれが一事を決められ,『有れ。』と仰せになれば即ち有るのである。」(クルアーン3:47

神は土くれから、母や父なしにアダムを創りました。神はアダムの肋骨からイブを創り、そしてイエスは父親なしに母親のみ、つまり敬虔な処女マリアを通して創りました。神は、ただ「あれ」というだけで、そのものを存在させ、ガブリエルを通してイエスの魂をマリアに吹き込んだのです。

またわれは自分の貞節を守ったイムラーンの娘マルヤム(の体内)に,わが霊を吹き込んだ。1かの女は,主の御言葉とその啓典を実証する,(クルアーン66:12

クルアーンと聖書の中には、マリアに関する物語において、沢山の共通点があります。しかし、マリアが婚約もしくは結婚していたという見方は、イスラームにおいて否定されています。時が経ち、マリアは周りが何と言うかと考え、恐ろしくなりました。マリアは、一体どうやって周りの人々が、彼女が処女であるということを信じてくれるだろうと思いました。多くの学者は、マリアの妊娠期間は通常のものだったと考えています。2  そしてついに出産のときが来たとき、マリアはエルサレムを出る決心をし、ベツレヘムへと向かいました。マリアは神の言葉を覚えてはいたでしょうし、彼女の信仰は強く揺るぎないものでしたが、彼女は不安でした。ガブリエルは彼女にこう伝えました。

また天使たちがこう言った時を思え。「マルヤムよ,本当にアッラーは直接ご自身の御言葉で,あなたに吉報を伝えられる。マルヤムの子,その名はメサイアイエス,かれは現世でも来世でも高い栄誉を得,また(アッラーの)側近の一人であろう。(クルアーン3:45

イエスの誕生

陣痛のため、彼女はナツメヤシの木の幹につかまり、苦しみの中こう叫びました:

「ああ,こんなことになる前に,わたしは亡きものになり,忘却の中に消えたかった。」(クルアーン19:23

マリアはそのナツメヤシの木のもとで、イエスを産みました。彼女は出産のあと、疲れ果て、苦しみと恐れに満ちあふれていましたが、その中で彼女に対する声を聞きました。

その時(声があって)かの女を下の方から呼んだ。「悲しんではならない。主はあなたの足もとに小川を創られた。またナツメヤシの幹を,あなたの方に揺り動かせ。新鮮な熟したナツメヤシの実が落ちてこよう。食べ且つ飲んで,あなたの目を冷しなさい。(クルアーン19:24

神はマリアに、彼女が座っていた場所から川を流し、彼女に水を与えました。神はまた、彼女に食べ物も与えました。彼女はただナツメヤシの木の幹を揺り動かさなければならないだけでした。マリアは恐れおびえており、疲れていました。出産の直後に、どうやって大きなナツメヤシの幹を揺り動かすことができたのでしょう?しかし神はマリアに糧を与え続けたのです。

その次に起きたことこそまさに奇跡であり、人々が教訓を得られるものでした。マリアは、ナツメヤシの木を揺り動かす必要はなかったのです。それは不可能なことでした。彼女はただそうしようと努めなければならないだけだったのです。彼女が神の命令に従おうとすると、新鮮な熟れたナツメヤシが落ちてきました、神はマリアにこう仰いました: “食べ且つ飲んで,あなたの目を冷しなさい。(クルアーン19:26

マリアは彼女の赤ん坊を連れて、家族のもとへ戻らなければいけませんでした。もちろん彼女は怯えていましたが、神はそのことをよく知っていました。そのため神は、彼女に口をきかないよう指示しました。彼女が突然赤ん坊の母親になったということを、マリアが自ら伝えることは不可能だったのでしょう。それに彼女は未婚だったため、人々は彼女のことを信じなかったはずです。神はこう仰いました:

そしてもし誰かを見たならば,『わたしは慈悲深き主に,斎戒の約束をしました。それで今日は,誰とも御話いたしません。』と言ってやるがいい。」(クルアーン19:26

マリアは赤ん坊とともに人々のもとへ戻りました。彼らはすぐに彼女を責め立て、「一体何をしたのだ?あなたは良い家柄の出だし、あなたの両親は敬虔であったのに!」と叫びました。

神の指示通り、マリアは何もしゃべりませんでした。彼女はただ腕に抱いている赤ん坊を指差しました。するとマリアの子イエスが、話したのです。新生児であるイエス、神の預言者が最初の奇跡を起こしたのでした。神の許しのもと、彼はこう言いました。

その時)かれ(息子)は言った。「わたしは,本当にアッラーのしもベです。かれは啓典をわたしに与え,またわたしを預言者になされました。またかれは,わたしが何処にいようとも祝福を与えます。また生命のある限り礼拝を捧げ,喜捨をするよう,わたしに御命じになりました。またわたしの母に孝養を尽くさせ,高慢な恵まれない者になされませんでした。またわたしの出生の日,死去の日,復活の日に,わたしの上に平安がありますように。」そのこと(イエスがマリアの子であること)に就いて,かれら(ユダヤ教徒,キリスト教徒)は疑っているが本当に真実そのものである。(クルアーン19:3034

マリアはクルアーンの中でスィッディーカ(真実を述べる者)と呼ばれていますが、アラビア語のスィッディーカはただ真実を語るというだけの意味ではありません。この言葉はその敬虔さにおいて高いレベルに到達した者を指します。それは自分自身やまわりの人々に対してだけでなく、神に対して正直な人のことなのです。マリアは神との約束を守り、神に全身全霊で仕えました。彼女は、敬虔で、純潔で、献身的でした。彼女は、すべての女性の中からイエスの母になり、イムラーンの娘になるよう選ばれた女性だったのです。

 


Footnotes:

1 このことは注釈によって、彼女の衣服の開口部からであると説明されていますが、この節では彼女の貞節さについて語られています(つまり彼女は、見知らぬ男性から身を守ろうとしました)。よって神は、天使ガブリエルを通して、彼女が守ったものの上から吹き込んだのです。

2 Sheikh al Shanqeeti in (Adwaa’ al-Bayaan, 4/264)