記事について

著者 :

M. Abd As-Salam

日付 :

Sun, Dec 07 2014

カテゴリー :

Morals & Ethics

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預言者による他宗教への寛容さ

預言者による他宗教への寛容さ

 

(前半):それぞれの宗教

 

 

預言者(神の慈悲と祝福あれ)の他宗教との付き合い方は、次のクルアーンの章句において最も良く説明されています。

 “あなたがたには、あなたがたの宗教があり、わたしには、わたしの宗教があるのである。”(クルアーン109:6) 

預言者の時代のアラビア半島には、様々な諸宗教が混在していました。そこにはキリスト教徒、ユダヤ教徒、ゾロアスター教徒、多神教徒、また無宗教の人々などがいました。預言者の人生を調べてみると、他宗教の人々へ示された寛容性の多くの例を知ることが出来ます。

この寛容性を理解するためには、まずイスラームが正式な国家であり、宗教の信条に沿った憲法が定められていた時代を見ていかなければなりません。彼が預言者としてマッカに住んだ13年間においても寛容の精神の例は多く見て取れますが、それはおおまかにはムスリムたちの評判とイスラームの地位を向上させるためのものであるという誤解がされてしまうおそれがあります。そのため、ここでは預言者のマディーナへ移住後、特に憲法が定められた後の期間に限定して記載します。

サヒーファ

他宗教への寛容さとして預言者によって示された最善の例は、初期の歴史家らによって「サヒーファ」と呼ばれる憲法そのものでしょう。預言者がマディーナに移住したとき、単なる宗教的指導者としての彼の役割は終わり、彼はイスラームの原則に基づいて統治される国家の政治的指導者となりました。そこでは、長年に渡る紛争状態において失われていた、社会における調和と安定統治のための明白な憲法が求められてました。それはムスリム、ユダヤ教徒、キリスト教徒、偶像崇拝者たちの平和的共存を保証しなくてはならないものでした。そのため、預言者はマディーナに居住する全ての当事者たちの責任の詳細、つまりお互いの義務や禁止事項を記した「憲法」を定めたのです。全ての当事者たちはそこに記されたことに従い、憲法違反は反逆行為であると見なされました。

一つの国家

憲法の第一条では、マディーナの全居住者はムスリムを始め、協定を結んだユダヤ教徒、キリスト教徒、偶像崇拝者たちが皆「一致団結した一つの国家」であると明記しました。宗教、人種、家柄に関わらず、全員がマディーナ社会の市民であると見なされました。条約において次のように明記されているよう、他宗教の人々はムスリム同様に危害から保護されたのです。「我々に従うユダヤ教徒たちには援助と平等が与えられる。彼らは危害を加えられず、彼らの敵が支援されることはない。」それ以前、各部族にはマディーナの内外に同盟者や敵対者がいました。過去に存在していた協定を遵守していたそれらの異なる諸部族を、預言者は一つの統治システムに組み込みました。全ての部族はそれぞれが個別に持っていた同盟関係とは関わりのない、全体的な同盟を結ばなければなりませんでした。他宗教や他部族へのいかなる攻撃であれ、それは国家及びにムスリムへの攻撃であると見なされたのです。

ムスリム社会における、他宗教の実践者たちの生命も保証されました。預言者はこう述べています。

 “誰であれ、ムスリムと休戦している者を殺した者は、決して楽園の芳香を嗅ぐことは出来ないだろう。」(サヒーフ・ムスリム) 

ムスリム側は優位にあったため、預言者は他宗教の人々へのいかなる虐待も厳しく警告しました。彼はこのように述べています。

 “注意せよ! 誰であれ、非ムスリムの少数派に対して辛辣で手厳しい者、あるいは彼らの権利を侵害する者、あるいは彼らが耐えうるよりも多くの重荷を課す者、あるいは彼らの自由意志に反して何かを奪い取る者は、私(預言者ムハンマド)が審判の日、その人物を弁護するであろう。”(アブー・ダーウード) 

それぞれの宗教

別の条約にはこう記されています。“ユダヤ教徒には彼らの宗教があり、ムスリムには彼らの宗教がある。” ここでは、寛容さ以外は許容されないこと、社会のメンバーそれぞれの宗教は侵害されることがないことが明確にされています。それぞれは自分の信仰を自由に支障なく実践することが許され、いかなる挑発行為も許されなかったのです。

この憲法の中には他にも特筆に値する多くの条約がありますが、次のものが特に強調されるべきでしょう。“もしも問題になりそうな議論や論争が発生した場合、神とその使徒に委託されるべきである。” この箇所では、国家の全ての居住者たちが権威者を認知すること、そして様々な部族や宗教が関わる問題においては一人の指導者だけでは正義が導きだされることはなく、国家の為政者、またはその代理者であることが明記されています。しかし、ムスリムではない諸部族が彼ら自身の内政問題において、彼ら自身の学者や啓典を参照することは許されていました。もしも彼らが望んだ場合、彼ら同士の問題解決のために預言者の介入を求めることも出来ました。神はクルアーンにおいてこう述べます。

 “かれらがもしあなたの許に来たならば、かれらの間を裁くか、それとも相手にするな。”(クルアーン5:42)

ここでは、預言者がそれぞれの宗教に対し、諸問題においては憲法の条約違反がない限り、それぞれの啓典に基づいて諸事を審査することを許しています。こうした協定は、社会の平和的共存という全体の福利を考慮するものなのです。

 


脚注

          Madinan Society at the Time of the Prophet, Akram Diya al-Umari, International Islamic Publishing House, 1995.

(後半):宗教的自治権と政治

他宗教に対するイスラームの寛容性を顕著に示すサヒーファに加え、預言者(神の慈悲と祝福あれ)の生前には他にも数多くの例があります。

宗教的会合と宗教的自治の自由

憲法による許可から、ユダヤ教徒たちは宗教の実践において完全に自由を持っていました。預言者の時代のマディーナのユダヤ教徒たちは、バイトル=ミドラースという独自の学校を持っており、そこでトーラーを唱えたり、崇拝や教育を行っていました。

預言者は使者に託した多くの手紙の中で、宗教施設に危害が加えられることはないと強調しています。ムスリムによる庇護を求めたシナイ山・聖カタリナ修道院の宗教指導者たちに宛てられた手紙では、このように述べられています。

 “これは、キリスト教に従う者たちへの誓約として、ムハンマド・ブン・アブドッラーが送る伝達である。我々はどこにあろうと、彼らと共にある。実に私、しもべたち、救援者たち、そして私の追従者たちは彼らを擁護する。なぜなら彼らは私の市民であるからだ。神にかけて、彼らにとって不満な物事を、私は差し控える。彼らは何も強制されない。彼らの裁判官はその職務に留まり、彼らの修道士はその修道院に留まるのである。彼らの宗教の家を破壊したり、傷つけたり、そこからムスリム側に何かが運び出されることは一切ない。これらの内いずれでも行った者は、神の誓約を破り、その使徒に背いたのである。実に、彼らは私の同盟者であり、彼らの憎悪するあらゆることから私による安全を確保されているのだ。誰一人として、彼らに旅を強いたり、戦いを義務付けることは出来ない。ムスリムたちが彼らのために戦わなければならないのだ。もし女性キリスト教徒がムスリムと結婚する場合、彼女の承諾なしにはそれは成立しない。彼女が教会へと礼拝に訪れることが妨げられることはない。彼らの教会は保護されることが宣言されている。彼らが教会を修復することも、誓約の不可侵さが妨げられることもない。(ムスリム)国家の誰一人として、(この世の)最後の日までこの誓約に背くことはない。

ここからも分かるように、複数の条項からなるこの誓約には、人権のあらゆる重要な分野が包括されています。それにはイスラーム国家に住む少数派の保護、崇拝と移動の自由、自らの裁判官の任命の自由、自由な資産の保有・維持、兵役義務の免除、戦時下において保護を受ける権利などが含まれています。

これとは別に、預言者は当時イエメンの一部だったナジラーン地方から60人のキリスト教徒の代表団を彼のモスクに受け入れています。彼らの礼拝時間が来ると、彼らは東方を向いて祈り始めましたが、預言者は彼らをそっとしておき、彼らに危害を加えることのないよう命じました。

政治

預言者の人生においては、彼が他宗教の人々と政治的にも協力した例があります。彼は非ムスリムであったアムル・ブン・ウマイヤ・アッ=ダムリーをエチオピアの王ネグスに大使として派遣しています。

これらは、預言者による他宗教への寛容さにおける例のほんの一部です。イスラームは世界における宗教の多様性を認識しており、各人が真理であると信じる道を選択する権利を与えています。宗教は人の自由意志に反して強制されるものではありませんし、そうであったこともありません。そして預言者の人生における上記の例の数々は、宗教的寛容性を推奨し、ムスリムにとっての他宗教の人々との交流の指針を定めたクルアーンの章句の要約でもあるのです。神はこう仰せられています。

 宗教に強制はない。(クルアーン2256

 


脚注

“Muslim and Non-Muslims, Face-to-Face”, Ahmad Sakr.  Foundation for Islamic Knowledge, Lombard IL.