イスラームにおける環境保護

イスラーム的視点による宇宙、天然資源、そして人間と自然との関係の概観。

宇宙のありとあらゆる生物の宗教的・社会的役割は、その保護を訴えるバランスと均衡作用を生み出すのです。

環境における水の役割。そして生命の保護と継続において重要なこの要素に関する、イスラーム的指導。

イスラームにおける環境保護

1/7):概要 

 

神は宇宙のすべてを、質量と共に均等に釣り合わせて創造されました。神はクルアーンにおいて、こう宣言されています:

本当にわれは凡ての事物を、きちんと計って創造した。(クルアーン54:49 

“…凡てのことは、かれの御許で測られている。(クルアーン13:8 

かれは天を高く掲げ、秤を設けられた。(クルアーン55:7 

宇宙には、膨大なる多様性が存在します。人類の福利を満たす宇宙とその様々な構成分子は、偉大なる創造主の証拠です。かれこそがあらゆるものを決定したのであり、その創造物の内でかれを賞賛しないものはありません。

あなたは、天地の間の凡てのものが、アッラーを讃えるのを見ないのか。羽を拡げて飛ぶ鳥もそうである。皆それぞれ礼拝と唱念を心得ている。アッラーはかれらの行っていることを知っておられる。(クルアーン24:41 

神の創造したあらゆるものは驚異的なしるしと深遠な意味に満ち溢れており、創造主とその叡智、そしてその目的の栄華を指し示しているのです:

かれは、大地をあなたがたの臥床とされ、あなたがたのため、そこに道を縦横につけ、また天から雨を降らせられる。それによって、われはそれぞれの異なった雌雄の植物を生長させる。食べ、またあなたがたの家畜を放牧しなさい。本当にその中には、理知ある者への種々の印がある。(クルアーン20:53−54 

神は叡智や価値、または目的もなく、無駄にあらゆるものを創造したのではありません。神はこのように仰っています:

われは天と地、そしてその間にある凡てのものを、戯れに創ったのではない。われは、天地とその間の凡てのものを、只真理のために創った。だが、かれらの多くは理解しない。44:38−39 

それゆえ、クルアーンとして啓示されたイスラーム的観点は、宇宙が価値に満ちていることを明らかにしています。宇宙のあらゆるものはその相互関係によって維持し合わせ、生死という奇跡的な循環を支配する、唯一の神に仕えるために創造されたのです:

穀粒や堅い種子を裂き開くのは、本当にアッラーである。かれは死から生を齎し、また生から死を齎される。それがアッラーである。どうしてあなたがたは背き去るのか。(クルアーン6:95

生と死は、善い行いによって神に仕えることの出来るよう、神が創造したものです。

大権を掌握なされる方に祝福あれ。本当にかれは凡てのことに全能であられる。(かれは)死と生を創られた方である。それは、あなたがたの中誰の行いが優れているのかを試みられるためで、かれは偉力ならびなく寛容であられる。(クルアーン67:1−2

すべての創造物は、その創造主に仕えるために創られました。そしてその各々は、社会の中で定められた役割を果たすことにより、現世と来世において自らを、かつお互いを益し合うのです。このことは、宇宙的共生(アラビア語の「タカーフル」)につながります。普遍的な福利とは、宇宙に顕在する原理であり、神の唯一性を暗示する重要なものです。なぜなら人が創造主に仕えるということは、全体的な福利に対して働くことだからです。

人類はこの宇宙の一部であり、宇宙における相互補助の一環を担う諸要素の中の独特な一部であり、他の部分に対しても特別な役割を持っています。人類と宇宙の関係は、聖クルアーンにおいて、そして預言者の教えによって以下のように明確に定義されています:

  • 宇宙とそこに存在するものに対する熟考、思いやり、思慮の関係。
  • 人類の福利における有益なものの開発と、利用の関係。
  • 人類の善行としてのいたわり合いの関係は、人類の利益だけに留まらず、全創造物にまで広がります。つまり、“あらゆる生物に対する善行には報奨がある”(サヒーフ・ブハーリー)のです。

神はその叡智から、地上における代理(ヒラーファ)という権限を、人類に与えました。それゆえ、人類は地球と宇宙の一部であるだけでなく、神の指示と命令を代行する役割も与えられているのです。つまり人類は地球の管理人ですが、所有者ではありません。また利益を享受する側であり、制定者でも、権限者でもありません。天と地、そしてその間にあるすべてのものは、神のみの所有です。人は神の意図した目的に沿って地球を管理することが任されており、それは自分たち、他者、そしてすべての創造物がお互いに益することが出来るためです。そのために、人は地球の維持管理を定められた範囲の中で委ねられているのです。預言者はこのように述べています:

 “この世は美しく青々としている。そして実に至高なる神こそは、あなたをそこにおける代理人とされ、そこであなたがいかに振舞うかをご覧になられているのである。(サヒーフ・ムスリム)

生命の存続に関わるすべての資源は、私たちによってその管理を任されるよう、神によって創られました。神はすべての人々だけでなく、すべての生き物に糧を授けるのです。

かれは、そこに(山々を)どっしりと置いて大地を祝福なされ、更に4日間で、その中の凡ての(御恵みを)求めるもの(の必要)に応じて、御恵みを規定なされた。(クルアーン41:10

したがって、イスラームにおける資源の活用は、全人類と全生物にとっての特権なのです。それゆえ人類は同じ地球における共生者である他の生物の安全性や福利をも考慮・確保しなければなりません。同様に、人は自分の世代を他の世代よりも優先させるべきではありません。それは各世代の共同責任として、天然資源を必要性に基づいた最善の方法で使用するべきであり、将来の世代に悪影響を残すものや、福利に反するものであってはならないのです。つまり、人類は各世代が利益を被ることが出来るよう、天然資源を悪用、酷使、乱用すべきではありませんし、それらを絶対的な意味で“所有”する権利もないということなのです。

神が人類に与えた天然資源をうまく活用する権利には、それらの質量を保護するという義務も必然的に伴います。神は、人が生活の中で喜びを見い出して感謝し、与えられた物の有効な活用、また熟考、崇拝といった本来の目的を認識させるために、あらゆる生命の源、そして必要とされるあらゆる天然資源を、人類のために創られました。人間の生活にとって本来適している自然の姿を改変したり、環境破壊をしたりする権利など誰にもありません。また、むやみに天然資源を開拓し、他の生態系が必要とするものを奪ったり、それらを存続の危機に晒してもならないのです。

イスラームによる環境、生命の源、そして天然資源に対する姿勢は、乱用の禁止という視点に基づいていますが、同時に建設的、そして持続可能な発展にも根ざしています。こうした統合的な発展と、天然資源の保護は、地上に生命をもたらし、それらを農耕や建設的作業によって繁栄させるという理念として明確にされています。神はこのように仰っています:

 “…かれは大地からあなたがたを造化され、そこに住まわせられた。(クルアーン11:61

また、預言者はこう宣言しています:

どのムスリムであれ、木を植えたり、畑に種を撒いたりし、そこから人であれ鳥であれ動物が食べたのなら、それは彼にとっての喜捨と見なされるだろう。(サヒーフ・ブハーリー、サヒーフ・ムスリム)

誰であれ木を植え、そこから人間や神の創造物が食べたのなら、彼にとっての喜捨と見なされるだろう。1

復活の日がやってきたとしても、あなたがたの手に苗があったのなら、それを植えさせるがよい。2

イスラームによる地球資源の利用と開発のアプローチは、四代目正統カリフのアリー・ブン・アビー・ターリブによって、放棄された土地を開墾した男に対して既に実践されていました:

あなたが破壊者ではなく栽培者として、そこを害すのではなく、有益化する限り、喜んで(開墾に)携わりなさい。3

このような肯定的な姿勢は、人類の利益と福利の維持に欠かせない健康や栄養、また心理的・精神的側面、そして未来の世代に対する改善や向上策など、人生のあらゆる側面を向上させる行為も含みます。上記の預言者の宣言において示されているように、イスラームにおける環境の維持および開発の目的は、あらゆる創造物に共通する普遍的な利益そのものなのです。

 


Footnotes:

1  イマーム・アフマドのムスナド、アッ=タバラーニーのアル=ムアジャム・アル=カビールによって報告されている、良好な伝承者経路のハディース。

2  イマーム・アフマドのムスナド、アル=ブハーリーのアル=アダブ・アル=ムフラド、アッ=タヤーリスィーのムスナドによって報告されている、良好な伝承者経路のハディース。

3 ヤヒヤー・ブン・アーダム・アル=クラシーのキターブ・アル=ハラージの中で、サイード・アッ=ダッビーによって報告されているハディース。

2/7):天然資源の保護

この宇宙全体の創造物の構成要素からは、すべてに浸透する神の影響力とその叡智を見出すことが出来ます。それは全能の創造主の存在を証明しているのです。聖クルアーンは、人間にそれを感じ取ることが出来るかどうかに関わらず、宇宙のあらゆる物、そしてあらゆる生物は主に二つの役割を果たすことを明確にしています。それは創造主の存在とその永遠なる叡智、偉力、恩寵を証明する宗教的役割、そして人類を含む全生物に奉仕する社会的役割です。

神はその叡智により、創造物が相互扶助をするよう定められました。神によって測量を指定された元素は、すべてがなくてはならない重要なものであり、それぞれが決められた役割を与えられることによって、全創造における機能上のバランスを保ちます。天然資源の過度の搾取、乱用、酷使、破壊、汚染は、すべてが神の計画に対する行き過ぎた行為なのです。狭い視野によってもたらされる利己主義は、常に人を誘惑し、神より定められた機能的な均衡を乱すことにつながるため、あらゆる乱用から天然資源を守ることは義務行為です。

全創造物が相互扶助をするよう定めた神の計画における叡智とは、すべてのものが人間に奉仕するようにしたことです。しかし、それらが創造されたのは人間に奉仕するためだけではありません。ムスリムの法学者らも、それらが創造された目的は人間への奉仕のためだけではないという主張を支持してきました。神はこのように述べています:

アッラーこそは、天と地を創造され、天から雨を降らせ、これによって果実を実らせられ、あなたがたのために御恵みになられる方である。また船をあなたがたに操縦させ、かれの命令によって海上を航行させられる。また川をあなたがたの用に服させられる。またかれは、太陽と月をあなたがたに役立たせ、両者は飽きることなく(軌道)を廻り、また夜と昼をあなたがたの用に役立たせられる。またかれはあなたがたが求める、凡てのものを授けられる。仮令アッラーの恩恵を数えあげても、あなたがたはそれを数えられないであろう。人間は、本当に不義であり、忘恩の徒である。(クルアーン 14:32−34

また、神は同様の節で、創造はアダムの子のためだったのであると宣言しています。神は深遠なる叡智からそれらの目的を高く掲げ、人間への奉仕以外にもそれらに目的を持たせつつ、アダムの子に対しては、それらの創造物の利益と、人類に与えた恩恵を明確にしたのです。1

あらゆるものの社会的役割は極めて重要ですが、創造主のしるしとしての全創造物の主要な役割は、環境保護への最も有効な法的根拠を成しています。私たちの環境の保護に関しては、私たちの必要性のみに応じた役割だけを根拠とすることはできません。なぜならそれらの役割は、価値観と道理のみに基づいたものだからです。

私たちは、全てのものの有益な役割について知ることは出来ません。人類への環境面における有益性のみに基づいて、私たちが環境保護の努力をすることは、神の定めた均衡の仕組みを歪めることになるでしょう。それは環境的な利益をも損なうことになります。しかし、私たちがそれらが神のしるしであるという価値観で環境保護を行うのなら、そこからは何も除外することが出来ません。あらゆる要素や種は、それぞれが神を賛美する独自の役割を担っており、それらはその存在と利用によって創造主の存在、神の無限の力、叡智、そして慈悲を人間に気付かせるのです。創造の要素や種に対しては、いかなる故意の破壊や損失を是認することも不可能ですし、または後世代の存在が、意図されたすべての側面において神の栄光、叡智、偉力の熟考へと私たちを導いてくれると考えることも不可能です。実に、種は特性において異なっており、それぞれは神の栄光を独自の方法で証言するのです。

さらには人類だけでなく、家畜や野生動物も地球の資源を活用する権利があります。水、空気、土地や土壌などの資源や、動植物といった他の生物への人間による乱用や汚染は禁じられています。そして生物と無生物を含む、あらゆる資源の最も有効な活用が定められているのです。

 


Footnotes:

1 Taqi ud-Din Ahmad ibn Taymiyah in Majmu ‘al-Fatawa.

3/7):基本的な自然要素の保護

神は、水を生命の起源としました。神はこう述べています:

“…われらは水からすべての生きものを創ったのである。(クルアーン 21:30

動植物や人間は、すべてがその生命の存続と維持を水に委ねています。神はこう述べています:

本当にアッラーが天から降らせて死んだ大地を甦らせ、生きとし生けるものを地上に広く散らばせる雨の中に理解ある者への(アッラーの)印がある。(クルアーン 2:164

かれこそは、雨を天から降らす方である。われはこれをもって凡てのもの(植物)の芽を萌え出させ…”(クルアーン 6:99

またあなたは大地が枯れて荒れ果てるのを見よう。だがわれらが一度それに雨を降らせると、(生気が)躍動し膨らんで、凡ての植物が雌雄で美しく萌え出る。(クルアーン 22:5

そしてわれらは、天から清浄な雨を降らす。われらはそれで死んだ大地に生命を与え、またわれらが創った無数の家畜や人間に飲ませてやる。(クルアーン 25:48−49

神は、絶対的に不可欠なこの生命の源泉の価値に感謝するよう、人間に呼びかけています:

またあなたがたの飲む水に就いて考えたか。あなたがたが雲から(雨を)降らせるのか、それともわれらが降らせるのか。われらがもし欲するならば、それを塩辛くすることが出来る。あなたがたはどうして感謝しないのか。(クルアーン 56:68−70

言ってやるがいい。「あなたがたは考えないのか。もしある朝、あなたがたの水が地下に沈み去ったならば、涌き出る水を、あなたがたに齎せるものは、一体誰であるのか。」(クルアーン 67:30

水はこういった重要な機能に加え、人間が神に対して清浄できれいな状態で向き合うことの出来るよう、全てのよごれ、汚物、不浄からの身体と衣類の浄化という社会的・宗教的機能も有します。神は聖クルアーンにおいてこう仰っています:

“…またかれは天から雨を降らせ、それであなたがたを清め…”(クルアーン 8:11

また神は、湖や海水が果たす別の役割について、私たちに示しています。神はそれを生命の維持と世界の発展において重要な役割を果たす、多くの創造物の生息環境としました。神はこう述べています:

かれこそは、海洋を(人間に)使役させられる方で、それによってあなたがたは鮮魚を食べ、また服飾に用いられるものをそれから採り、またかれの恩恵を求めて、その中に波を切って進む船を見る。必ずあなたがたは感謝するであろう。(クルアーン 16:14

海で漁撈し、また獲物を食べることは、あなたがたにも旅人にも許されている。(クルアーン 5:96

この重要な要素の保護が、動植物や人間、様々な形態の生命の存続と維持にとって根本的なものであることに疑いはありません。イスラーム法においては、生命保護の義務を満たすことに対して必要不可欠なことは、それ自体が義務となります。こういった要素の生物学的・社会的役割を阻んだり、損なったりするいかなる行為‐それがそれを破壊することであれ、あるいは生命体にとって適当でない環境にしてしまうような物質でもって汚染するか、さもなければ生命の基礎としてのその役割を損なってしまうようなものであれ‐は、必ずや生命そのものの損壊や破滅へと導きます。そしてイスラームの法的原則は、こう語っているのです:“禁じられたものへと導くものは、それ自体が禁じられる。”

生命の基礎であるというその重要性ゆえに、神は水の利用を全生命の共有の権利としています。あらゆる生物が、その独占、横領、汚染、浪費、または悪用から守られて、それを利用する権利を有します。神はサムードの民[1]とそのラクダに関してこう命じています:

そしてかれらにラクダと水を分配し、順番に飲むよう伝えなさい。(クルアーン 54:28

また預言者は、こう述べています:

ムスリムはこれら三つのものを共有しなくてはならない:水、牧草地、そして火である。1

水の浪費は禁じられています。これは私的利用か共同利用か、あるいは水が乏しいか豊富かなどを、問いません。浄化の際に水を使用していた教友サアドの元を預言者が通りかかった際、彼がこう言ったことが伝えられています:

なぜそのような浪費をするのだ、サアドよ。

サアドは尋ねました:“礼拝の浄化(ウドゥー)においても浪費はあるのでしょうか?”

彼は答えて言いました:そうだ。たとえあなたが流れる川の側にいたとしても。2

不毛な大地における水の権利の割り当てに関するイスラーム法学者たちの経験は、乏しい資源の持続可能な使用に関する素晴らしい前例を提示しています。この例は、豊富だった資源が次第に乏しくなってきている現代世界にとっても、益々重要性を示しています。

 


Footnotes:

[1]  古代アラブに栄えた民。彼らの多くは不信仰者であり、預言者サーリフが彼らのもとに遣わされた。彼らはサーリフのことも否定したが、彼の真実性への証明として、アッラーは彼らに巨大な雌ラクダを送られた。

1 アブー・ダーウード、イブン・マージャ、アル=ハッラール。

2 イブン・マージャ。

4/7):空気、大地、土壌

2.空気

この要素は生命の存続と維持の面で、水に勝るとも劣らない重要性を持っています。地球上のほぼすべての生物は、その呼吸する空気に完全に依存して生活しているのです。空気には、一見人間にとって重要でないように見えても、神によって判然と目的付けられた役割も備えられており、聖クルアーンは私たちにそのことを気づかせてくれます。授粉における風の重要な役割なども、その内の一つです。神はこのように仰っています:

またわれらは豊沃にする風を送り…”(クルアーン 15:22

風はまた、神の全能性と恩寵、そしてその創造の設計における完全性の明確なる証です。神はこのようにも仰ります:

本当に天と地の創造、昼夜の交替、人を益するものを運んで海原をゆく船の中に、またアッラーが天から降らせて死んだ大地を甦らせ、生きとし生けるものを地上に広く散らばせる雨の中に、また風向きの変換、果ては天地の間にあって奉仕する雲の中に、理解ある者への(アッラーの)印がある。(クルアーン 2:164

かれこそは、慈悲に先んじて吉報を齎す風を送られる御方である。それが(雨を)含んだ重い雲を運ベば、われはそれを死んでいる地に送って雨を降らせ、これによって各種の果実を生産させる。(クルアーン 7:57

大気はこういった生物学的・社会的役割を果たすため、その清浄さの保護は、イスラーム法の基本的な目的の一つでもある、生命の保護にとっての本質的な一面です。繰り返しますが、こういった義務を果たすために欠かすことの出来ないものは、それが何であれ、それ自体が義務となります。それゆえ、その機能を汚染、破壊、または損なう活動は何であれ、神による創造物への叡智に対する妨害なのです。それは同様に、人間の役割の一部としての世界の開発に対する妨害であるとも見なされるべきでしょう。

3.大地と土壌

空気、水と同じように、大地と土壌は私たちとその他の生命の持続にとって欠かせないものです。神はクルアーンの中で宣言しています:

 “また大地を、生あるもののために設けられた。(クルアーン 55:10

地球のミネラルから、私たちの身体と同様に動植物の構成要素も作られています。神はクルアーンにおいてこのように仰っています:

 かれが、泥からあなたを創られたのは、かれの印の一つである。見るがいい。やがてあなたがた人間は(繁殖して地上に)散らばった。クルアーン 30:20

またかれは、大地を私たちと全生命の住処としました。

 “アッラーはあなたがたを土から育てられ、それから、あなたがたは大地に帰され、また起き上らせられる。(クルアーン 71:17−18

私たちの住処として、大地は空間という価値を有します:

 “…またアッラーはあなたがたのために、大地を延べ広げられ、そこであなたがたは、広い大道を往来するであろう。(クルアーン71:19−20

神は大地を私たちと他の生物のための供給の源泉、生計の手段としました。私たちとすべての動物がその生命を委ねるよう、神は土壌を肥沃なものとし、作物の栽培を可能としました。また聖クルアーンにおいて示されているように、山々が雨を受け止め、貯水し、地殻を安定させるようにしたのです:

われは、大地を大きな容器としなかったか、生存者と死者(双方のために)。その上に山々を高く聳えさせ、また清鮮な水をあなたがたに飲ませたではないか。(クルアーン 77:25−27

その後、大地を延べ広げられた。そこから水と牧場を現われさせ、また山々をそれにしっかりと据えられ、あなたがたとあなたがたの家畜のための、用益に供される。(クルアーン 79:30−33

またわれは大地を伸ベ広げて、山々をその上に堅固に据えつけた。そこで凡てのものを(妥当な)均衡の下に、生長させる。われはあなたがたのためにも、またあなたがたが決して養育者たりえないものにも生計の道を与えた。(クルアーン 15:19−20

かれらへの印の1つとしては、われが死んだ大地を甦らせ、穀物をそれから生産し、それをかれらが食べることがあげられる。またわれは、そこにナツメヤシやブドウの園を設け、その間に泉を涌き出させる。かれらはその果実を食べるが、それはかれらの手が作り出したものではない。(クルアーン 36:33−35

もし私たちが本当に創造主に対して感謝するのなら、私たちは土壌の生産性を維持し、風や洪水による侵食に晒さないようにすべきでしょう。それには建築、農業、放牧、林業、採鉱なども含まれます。私たちは衰退をもたらす実践法ではなく、生産力を維持・向上させる方法に従う必要性があるのです。多くの生物が依存している神の贈り物に対して衰退をもたらすことは、神の多大なる恩寵を否定することにつながります。破壊と衰退につながるあらゆる行為は、必然的に地球の生命の破壊と衰退につながるため、絶対的に禁止されているのです。

5/7):基本的自然要素の保護動植物(前半)

4.動植物

動植物が、生きた資源としてとてつもなく貴重な贈り物であることは明らかです。それをなくして、人間や他の生物は生存することが出来ません。神は、その創造物を価値のないものとはしませんでした。ひとつひとつの生命体は、神による特別で繊細な創造であり、それぞれが敬意に値します。遺伝子を持つ生きた資源として、それぞれの種と変種は独特であり、かけがえのないものです。一度失われると、それは永久に失われてしまいます。

太陽エネルギーから糧を得るという独特の機能を持つ植物は、地球における動物と人間の基本的食物の源泉を構成しています。神は仰ります:

人間に、自分の食物について考えさせてみるがよい。本当にわれらは、水(雨)を豊かに注ぎ、次いで大地を裂いて切れ切れにし、そこに生長させるものには、穀物、またブドーや青草、オリーブやナツメヤシ、繁茂した庭園、果物や牧草(がある)。あなたがたとあなたがたの家畜のための用益である。(クルアーン 80:24−32

植物は滋養物としての重要性に加え、土壌を肥沃にし、そこを風や水による侵食から保護します。また、水が流れ出ることを防いで貯水します。また植物は、私たちの呼吸する酸素を生成し、気候を適度なものとしますし、薬、油、香料、繊維、木材、燃料としても大きな価値があります。神は聖クルアーンにおいて、こう仰っています:

あなたがたは、灯火について考えたか。その(燃やす)木を、あなたがたが創ったのか、それともわれらが創ったのか。われらはそれを教訓とし、また荒野の住民の便利のために創った。(クルアーン 56:71−73

動物はその見返りに植物へ、またお互いへ、そして人間へ糧を提供します。その排泄物と死骸は土壌と海を肥沃にし、その呼吸と移動は植物の分配に貢献します。動物はお互いに食物を供給し、人間へは革、毛織物、薬、香料、輸送手段、また肉、乳、蜜を提供します。また動物はその高度に発達した知覚器官と社会的相互関係から、イスラームにおいても特別な配慮が払われています。神は動物界を、人類と全く同等の生物社会と見なしているのです。神はクルアーンにおいてこう宣言しています:

地上の生きとし生けるものも、双翼で飛ぶ鳥も、あなたがたのように共同体の同類でないものはない。(クルアーン 6:38

聖クルアーンは、これらの生物の美しい機能とその他の機能に言及します。精神状態の安定を実現することは宗教的目的の一つであるため、それをもたらすものは十分に世話され、保護されなければなりません。神は動植物の中に、人間の好奇心や喜びの感情を刺激し、心の安寧を満たす要素を据え付けたのです。それは人間の健全な活動を支えます。

聖クルアーンはまた、それらの生物が持つ他の機能についても言及しています。人はそれを知覚することが出来ないかも知れませんが、それらもまた神を崇拝、賛美し、服従の意を示しているのです。神はこう仰っています:

あなたは見ないのか、天にある凡てのものが、アッラーにサジダ(伏礼)するのを。また地にある凡てのものも、太陽も月も、群星も山々も、木々も獣類も、また人間の多くの者がサジダするのを…”(クルアーン 22:18

7つの天と大地、またその間にある凡てのものは、かれを讃える。何ものも、かれを讃えて唱念しないものはない。だがあなたがたは、それらが如何に唱念しているかを理解しない。(クルアーン 17:44

天と地上で凡てのものは、好むと好まないとに拘らず、またかれらの影も、朝夕、アッラーにサジダする。(クルアーン 13:15

イスラームはそれらの生物が存続し、割り当てられた役割を果たすことの出来るよう、あらゆる対策を講じるよう強調します。動植物のいかなる種であれ、人間が絶滅させることを正当化することは出来ませんし、自然な再生量を超えた過剰な収穫も然りです。これには狩猟、漁業、材木や燃料を採取する林業、放牧などを含む、すべての資源利用が含まれます。生物の遺伝的多様性を保護することは、それら自身のためだけでなく、人類全体とその他の生物の福利にとっての急務なのです。

6/7):基本的自然要素の保護動植物(後半)

預言者ムハンマドが神によって遣わされた理由は、

“…只万有への慈悲として(クルアーン21:107)

なのです。

彼はその戒律と教えの中で、生き物に対する世話と慈悲を説きました。彼はこう述べています:

慈悲をかける者は、慈悲遍き御方から慈悲をかけられるであろう。地上のものたちに慈悲をかけよ。そうすれば諸天の上におられる御方があなたに慈悲をおかけになるだろう。(アブー・ダーウード、アッ=ティルミズィー収録の伝承)

彼は人類に対して、飼育下にある動物の世話を命じ、動物を餓死させた場合の罪は地獄の業火による罰であることを警告しています。

さらに、彼は人間が腹をすかせている動物を養うよう指示し、犬の喉の渇きを癒した男性が神によってその罪を赦されたことを告げています。また人々がこう尋ねたとき、預言者はこのように言いました:

 “神の使徒よ、これらの動物に良くすることに対する報奨はあるのでしょうか?

彼は言いました:あらゆる生き物に対する善行には、報奨があるのです。(サヒーフ・ブハーリー、サヒーフ・ムスリム収録の伝承)

食料確保のための狩猟、漁業はイスラームにおいて認められていますが、預言者は生き物を標的とする遊びとして生命を奪うこと2を呪っています。同様に、動物の屠殺をいたずらに長引かせること3をこのように言って禁じています:

神は、あらゆるものに対して善行を働くよう定められました。したがって、殺すときは良い方法で殺し、屠殺するときは良い方法で屠殺するのです。あなたがたはそれぞれ刃物を磨いで、(なるべく苦しまない方法で)屠殺する動物を楽にしてやるのです。4

また預言者ムハンマドは、蟻塚に火が灯されることを禁じました。そして、あるときある預言者が一匹の蟻に刺されたゆえに、蟻塚の蟻を全て焼き払うよう命じた出来事について、話しました。神は彼に、そのことを叱責した啓示を下しました:

一匹の蟻があなたを刺したというだけで、あなたは神の栄光を称える集団を丸ごと破壊したのである。(サヒーフ・ブハーリー、サヒーフ・ムスリム収録の伝承)

また彼はあるとき、鳥から巣を奪い去った者に対して、それを奪った場所に戻し、自分の雛鳥を守ろうとしていたそれらの母鳥に返すことを命じました。5

また彼は、人間や砂漠の動物に貴重な避難所を提供する木を、むやみに切り倒すことも禁じました。6それを禁止とした目的は、神の創造物の価値ある生息環境の破壊を防ぐことであると理解することが出来ます。

預言者による命令と禁止に基づいて、イスラーム法学者たちは神の創造物は戦争においてさえ不可侵性(フルマ)を有していると裁きます。預言者は蜜蜂や、いかなる家畜の殺害をも禁じており、それらの殺害は神の言葉通り、腐敗の表れであるとしています:

かれらは背を向けるやいなや、地上に悪を広めることにつとめ、収穫物や家畜を荒し廻る。だがアッラーは邪悪を愛されない。(クルアーン 2:205

“それらの動物が持つ不可侵性は、女性や子供が持つものと同じものなのです。”7

動物が一定の法的権利を持つことは、イスラーム法の特色であり、それは法廷と社会監査局によって施行されています。あるイスラーム法学者はこのように書いています:

“人間の処遇に対する家畜・動物の権利:それは人間が、たとえそれらの動物が加齢したり、病気になったりして人間の役に立たなくなったとしても、必要とする餌を与え続けること。それらの動物が耐えられない程の負担をかけないこと。たとえ同種・他種であれ、骨折、頭突き、外傷などのいかなる危害をも与え合うような動物同士を同居させないこと。屠殺が必要なときは最善を尽くして屠殺し、完全に息絶えて冷たくなるまでは皮を剥いだり骨を折ったりしないこと。それらの両親の目前で、子供を屠殺しないこと。それらを個体別に分け隔てること。それらの寝床や水場を清潔に保つこと。交配期にはそれらのつがいを引き合わせること。狩猟で得た獲物を捨てないこと。そして骨を破壊するようなもので撃たないことと、食用が禁止になるほどの破壊的な方法で殺さないことである。”8

イスラームはこれら動植物の創造物に対し、二通りの視点をもって捉えます:

1.それぞれが権利を有する生命体であり、神を賛美し、その御力と叡智を称える存在である、という視点。

2.人間と他の創造物に奉仕し、世界の発展という重要な役割を担う存在、という視点。

それゆえ、それらを保護し発展の手助けをするのは、それら自身の福利と相互利益のため、また人類にとってのかけがえのない生きた資源としての価値であるという理由から、必ず守るべき義務なのです。

 


Footnotes:

サヒーフ・ブハーリー、サヒーフ・ムスリム

2 サヒーフ・ブハーリー、サヒーフ・ムスリム収録の伝承。

3 サヒーフ・ブハーリー、サヒーフ・ムスリム収録の伝承。

4 サヒーフ・ムスリム、アブー・ダーウード収録の伝承。

5 アブー・ダーウード収録の伝承。

6 アブー・ダーウード収録の伝承。

7 ムワッファクッ=ディーン・ブン・クダーマ著『アル=ムグニー』から。

8 イッズッ=ディーン・ブン・アブドッ=サラーム著『カワーイド・アル=アフカーム・フィー・マサーリフ・アル=アヌアーム』から。このくだりは、人間と他の生物をそれぞれ法的責任者とみなして権利を与え、その法的・道徳的主張について議論する、フクーク・アル=イバード(しもべの権利)に該当します。動物の権利と主張については人間のそれよりも範囲が狭く、人間の生命・資産の保護、食料確保のような詳細な規制はありませんが、イスラームによって動物と人間の双方に権利・主張が与えられているという概念はとても重要なことです。

7/7):人と環境をを被害から保護すること

イスラームにおいては、あらゆる形と種類の危害が禁じられています。イスラーム法の基本的原則のひとつとして、預言者はこのように宣言しています:

被害を受けることも、与えることもあってはなりません。”(アル=ハーキム収録の伝承)1

被害の防止とその予防は、後に行われるそれへの対処よりも優れたものです。イスラーム法において述べられる別の法的裁定には、次のようなものもあります:“被害の回避は、利益の獲得よりも優先されるべきものである。” したがって、人間の欲求を満たすことによって利益を確保したり、農業や工業を発展させて供給をしたり、コミュニケーションを樹立したりすることを目的とするすべての行動は、被害、損害、腐敗などがないように実行に移されなければなりません。それゆえ、考察、計画、実行のそれぞれの段階において、いかなる形の被害や腐敗も付随しないような細心の注意が支払われる必要性があるのです。

1.廃棄物、排気ガス、洗浄物質、その他の有害物質

人の日常生活と工業地域、そして近代テクノロジーの使用の結果として排出される廃棄物や排気ガスは、それによる環境破壊を防ぐため、慎重に処理または排除されなければなりません。また、そうした有害な影響から、環境の美しさや活力だけではなく人間も同様に保護し、その他の環境的特性の保護も確保することが重要です。廃棄物の蓄積は、私たちによる浪費が主な原因です。イスラームによる浪費の禁止は、それらをゴミとして処分するのではなく、可能な限り資源と廃棄物の再生・再利用をすることを要求しています。

預言者は、人が水源、公道、日陰、または生き物の巣に排泄することを禁じています。2この禁止の根底にある価値観とは、重要な資源と一般的な生息環境における汚染の予防であると見なすことが出来ます。廃棄物、排気ガス、そして同様の汚染物質は、それらの源泉において最善の方法で処理され、廃棄の際には同規模、またはより大きな被害や悪影響の出ないよう気をつけなければなりません。これに関連する法学上の原則として、このようなものがあります:“同様の被害、またはより大きな被害をもたらすような方法で被害が排除されてはならない。”

このことは、家庭や工場、農場、またはその他の公的・私的な敷地内で使用される洗浄剤、およびその他の有害物質に関しても同様に適用されます。それらによる有害な影響が発生するよりも前に、あらゆる方法を駆使して回避・予防をすること、そしてもしもそれが起きてしまった場合には、人と自然・社会環境からそれを駆除することが絶対的に必要なのです。実際にそれらの物質からもたらされる被害が、その利益よりも重大であると証明されたのであれば、それらは禁じられるべきです。その場合、私たちは効果的かつ無害、もしくは最低でもより害の少ない代替策を取らなければなりません。

2.防除剤

この原則には、殺虫剤、除草剤を含むすべての防除剤が含まれます。こうした物質の使用は、現在および将来の人間や環境に対する有害な影響をもたらすべきではありません。したがって、人や生態系に悪影響を及ぼすことにつながるものは、それが何であっても規制・禁止されなければならず、もしもその規制によって特定の個人や団体の利益に影響が及ぼされるのであっても然りです。これは“個人の被害は大衆の被害を回避するために認められる”という原則に則っています。被害の回避のためには、そうすることによってその被害と同様、またはより大きな被害をもたらさないことを前提に、あらゆる合法的方法が取られるべきです。これに関連する法学的規定は、“二つの害悪の内、より害悪の少ない方を選べ。”というものです。もし防除剤の使用が避けられないような状況のときは、“緊縛した必要性のあるものは、禁じられたものの使用を合法とさせる”のですが、“あらゆる必要性は、それに見合った価値によって判断される”のであり、“その免除される原因となる必要性がなくなった場合、その合法性もなくなる”のです。

ペスト・コントロールにおいては、これらのイスラーム的原則と価値観に沿って、最善かつ被害を最小に抑える方法が求められます。予防策、生物学的コントロール、無害の忌避剤、生物分解性物質、狭域殺虫剤などが、より破壊的な選択肢よりも優先されるべきです。さらに、それらは人間の生命、稲作、家畜を守るために、最大の効率と有効性を考慮し、神の創造物に対する最小限の影響を念頭に置いて、慎重に計算して適用されるべきです。

3.放射性物質

上記の原則は放射性物質にも該当しますが、放射性物質は極めて有害であるだけでなく、途方もない長期に渡って残存します。私たちは人間と生態系に対して有害なその影響を阻止すべきです。すべての放射性廃棄物を首尾よく処理することも急務事項です。それが不注意や機能不全によるもの、あるいは核実験による影響であれ、核施設からの放射性物質漏洩を防ぐには、特別な予防措置が必要とされなければなりません。

4.騒音

工業、マスメディア、交通などには騒音が伴うため、その回避または最小化をするあらゆる方法が模索される必要があります。騒音は人間と環境の生物に対して悪影響をもたらすため、その減少と予防の必要性はイスラーム法の命令によってあらゆる方法が考慮され、その被害が最大限に抑えられるべきです。

5.酩酊物質、麻薬

酩酊物質、麻薬は人間に対して肉体的・精神的な悪影響を及ぼし、その結果、家族、職業、資産、名誉、誠実さなどの喪失に被害がおよびます。酩酊物質と麻薬が肉体的、社会的、そして精神的にかなりの影響を及ぼすということは、疑いの余地なく証明されています。それゆえ、あらゆる種類の酩酊物質と精神作用をもたらす麻薬はイスラームにおいて禁じられています。それらの製造、販売、あるいはそれらに関わるあらゆることや、その製造に間接的に携わることさえも禁じられます。このことから、すべての腐敗、危害、損傷、汚染から14世紀にも渡って人間の生命と社会的・物理的環境を保護してきたイスラーム法の普遍性が見て取ることが出来ます。

6.自然災害

人間と環境に対する自然災害である洪水、地震、火山噴火、暴風雨、大火事、砂漠化、害虫被害、疫病などに対しては、その影響を最小限に食い止めるためのありとあらゆる事前対策が取られていなければなりません。また、ときに自然災害は人間の行為が原因のひとつとなっていることも、認知しなければなりません。多くの場合、災害発生の結果もたらされる人命や財産喪失の被害は、不適切な居住区、建物、土地の使用によって悪化しています。したがって、それらの影響は自然災害への理解を元にした先見的な計画によって大幅に軽減することが出来ます。不適切な土地の使用やそこでの活動は、人間の生命と健康に危害を及ぼす可能性のある地域、または自然災害の起きやすい地域において認められるべきではありません。

人間の生命、資産、利益の確保は必要かつ重要なことであり、“重要な義務を果たすために必要とされるものは、それ自体が義務となる”のです。イスラーム法は“被害は排除されるべき”であるという立場を貫き、“被害の排除は可能な範囲内において行われるべき”であるとします。しかし原則に基いて、取られるべき保護措置はそれ自体によって他の悪影響をもたらしてはならず、“同様の被害をもたらすような方法で被害が排除されてはならない”のです。

 


Footnotes:

1 このようなイスラームの法的規則は、アッ=スユーティーやイブン・ヌジャイムによる「アル=アシュバーフ・ワン=ナザーイル」や、「マジャーラート・アル=アフカーム・アル=アドゥリーヤ」などに見受けられます。

2 アブー・ダーウード収録の伝承。