質問

サハーバとアブ・バカル・シディーキの指導力に対するアハラル・スンナの見解

イマーム・アリ(A.S.)が預言者ムハンマド(A.S)の後の指導者に相応しくなかったことを示す証拠がありますか。
回答
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アッラーに讃えあれ。 アハラル・スンナ・ワル・ジャマーアの基本原則では,アッラーの使徒(かれに平安とアッラーのご加護を)の教友に反対することは何もなく,またかれらに反対することは何も言っていない。かれらに対する憎しみ,憤り,憎悪の念など全くない。かれらに対して不適切なことは何も言っていない。アッラーは申された。 「かれらの後に来たもの達は、『主よ,わたしたちと,わたしたち以前に信仰に入った兄弟たちを、御赦しください。信仰する者に対する恨み心を、私達の胸の中に持たせないでください。主よ,本当にあなたは、親切で慈悲深くあられます。』という。」[集合章 60:10] そして預言者 (かれに平安とアッラーのご加護を) は申された。「わたしの魂を委ねた唯一の御方にかけて、わたしの教友の悪口を言ってはならない。慈善でウフドの山と同じだけの金を施しに使ったとしても,彼らの地位を得ることはできない。ましてその半分さえも到達することはできないであろう。」 (アル・ブハリ-3637、 ムスリム-2541の伝承) アハラル・スンナの基本原則は、(サハーバの)美徳と地位について,クルアーンとスンナの中に語られたことと、学者の合意を受け入れている。勝利をもたらしたアル・フダイビヤの条約の前に,財を投げ出し闘ったもの達は、後から財を使い、闘ったものよりも高い地位に置かれている。その理由をアッラーは述べられている(意味の解釈): 「あなたがたの中、勝利の前に財を施し戦闘する者は同じではない。これらの者は,(勝利の)後に戦闘する者よりも高位である。だがアッラーは凡ての者に善(報奨)を約束された。本当にアッラーは、あなたがたの行うことを熟知されている。」 [鉄章 57:10] かれらはアンサールよりもムハジリーンを優位に置いている。その理由をアッラーは述べられた (意味の解釈): 「(イスラームの)先達は、第1はムハアジルーン(マッカからの遷移者)とアンサール(遷都者を迎え助けたマディーナの援助者)と、(信仰において)かれらに従った者たちである。アッラーはかれらを愛でられ,かれらもかれに満悦する。かれは川が下を流れる楽園(天国)を,かれらのために備え,そこに永遠に住まわせられる。それは至上の幸福の成就である。」 [悔悟章 9:100.] このようにクルアーンのアヤはアンサールよりもムハジリーンを優位に置いている。 かれらは、300人以上いたバドルの人々について,アッラーの御言葉「望むがままにやればよい。われはあなたがたを赦した」を信じている。これは預言者 (かれに平安とアッラーのご加護を) が「おそらく、アッラーがバドルの人々をみて、仰せられた。『望むままにやるがよい。われはあなたがたを赦した』と仰せられた」と言われたからである。(アル・ブハリ-3007、ムスリム-2494の伝承、アリ・イブン・アビ・タアリブのハディース) 預言者 (かれに平安とアッラーのご加護を)が申されたように,木の下で忠誠(バイア)の誓いをした者は誰も地獄には行かないとかれらは信じている。むしろアッラーはかれらのことをご満悦になり,かれらもアッラーの寵愛を受けた。かれらは1400人以上であった。アッラー曰く: 「かれらがあの木の下であなた(ムハンマド)にバイア(忠誠)を誓った時,アッラーは信者たちに,ことの外ご満悦であった。かれはかれらの胸に抱くこと知り,かれらにアッサキーナ(安らぎと静寂)を下し,手近な勝利をもって報われた。」[勝利章 48:18] そして預言者(かれに平安とアッラーのご加護を)は申された。「イシャアッラー、木の下での忠誠に誓った者たち、木の下の教友たちは誰も地獄には落ちないであろう。」(ムスリムの伝承- 2496)。木の下で忠誠を誓った者の中に、アブ・バカル,ウマル、ウスマン、アリがいた。アッラーが彼らを愛でられんことを。 彼ら(アハラル・スンナ)は、天国に入るとアッラーの使徒が証言した人々である(天国の朗報を与えられた)十人,タアビット・イブン・カイス・シャムマス、その他のサハーバ(アッラーが彼らを好まれんことを)が天国に入ると証言している。預言者(かれに平安とアッラーのご加護を)は申された。「アブ・バカルは天国に入る。ウマルは天国に入る。ウスマンは天国に入る。アリは天国に入る。タルハは天国に入る。アル・ズベイルは天国に入る。アブドル・ラハマン・イブン・アワフは天国に入る。サアドは天国に入る。サイードは天国に入る。アブ・ウバイダ・イブン・アル・ジャラは天国に入る」(アブ・ダウード-4649,アッ・ティルミダード-3747の伝承、アル・アルバアがサヒーヒとして分類した) アリ・イブン・アビ・ターリブやその他の人々によるムタワーティルの伝承から、預言者の後、ウンマの中で最も優れた人物はアブ・バカル、そしてウマルであることを、かれらは確信している。ムハンマド・イブン・アル・ハナフィーヤの伝承によると,「わたしが父親(アリ・イブン・アビ・ターリブ)に『アッラーの使徒の後で、最も優れた人物は誰ですか』と尋ねると,『アブ・バカル』と答えた。『その後は誰ですか』と尋ねると、父は『ウマル』と答えた。わたしは父が『ウスマン』と言うのではないかと心配した。そこで『その後はお父上ですか』と尋ねると,『わたしはムスリムの一人に過ぎない』と答えられた。」(アル・ブハリ-3671の伝承)このようにかれら(アハラル・スンナ)はオスマンを三番目とし、アリを四番目にしている。アッラーがかれらを好まれんことを。 シェイク・アル・イスラーム・イブン・タイミーヤのアル・ワアシティーヤの解説と共に参照せよ。 第二として、アハラル・スンナはアッラーの使徒(かれに平安とアッラーのご加護を)の後継者として最も相応しい人物がアブ・バカル・アル・シディキ(アッラーがかれを好まれんことを)であることを信じている。アブ・バカル(アッラーが彼を好まれんことを)の指導力に対する確証は、以下に並べられている。 1 – ムハンマド・イブン・ジュベイル・イブン・ムティムの伝承によると,父親は次のように言った。「ある女性が預言者 (かれに平安とアッラーのご加護を)のところにやってきたが,後から戻ってくるように言った。その女性は『戻ってきた時に,あなたがいらっしゃらなければどうすればよいのですか』と,まるで死を案じるかのように尋ねると,かれ (かれに平安とアッラーのご加護を)は『わたしがいなければ、アブ・バカルのところに行きなさい。』と申された。」 (アル・ブハリの伝承, 3659). 2 – イブン・マスードの言葉が伝えられている。「アッラーの使徒(かれに平安とアッラーのご加護を)は『わたしの後に来る者、アブ・バカルとウマルを指導者とせよ。』と申された。」 (アッ・ティルミダードの伝承、3805; アル・アルバアニがサヒーヒとして分類) 3 – イブン・ウマル(アッラーが彼を好まれんことを)の言葉が伝えられている。「アッラーの使徒(かれに平安とアッラーのご加護を)が申された。『わたしが井戸の傍に立って,そこから水を引き上げている時,アブ・バカルとウマルがやってきた。アブ・バカルが桶を取り,1回、2回桶を引いたが,彼の引く力が弱かった。アッラーよ、かれをお赦しください。すると、ウマル・ビン・アル・ハッタブが来て,桶が彼の手の中で非常に大きなものになった。わたしは、肉体労働で彼ほどの力持ちを見たことがない。人々はたっぷり水を飲んで,ラクダもその場で跪くほど満足した。』」(アル・ブハリの伝承, 3676). イブン・ハジャルはこのハディースの解説で次のように述べている。 「わたしが井戸の傍に立って」は夢を意味する。「そこから水を引き上げる」とは桶に水を入れることである。「かれは1回、2回桶を引いた(ダハヌーバン・アウ・ダハヌーバイン)」のダハヌーブ“は水が満杯に入った大きな桶を意味する。これはかれの統治(アル・カリーファ)の間に行われた3回の重要な征服を指しているように思われる。ハディースは、ウマルが引いた桶の回数を述べていない。むしろウマルが水を引く力を「力持ち」としている。すなわちウマルのカリーファの時代には多くの征服が行われることを指している。アッラーがすべてご存知である。 アッ・シャーファーイはアル・ウンムの中でこのハディースを引用して、その解釈を次のように述べている:「しかし彼の引く力が弱かった」の意味は、かれの指導者としての期間が短いと言う意味である。かれの夭折と、背教者(アハラル・リッダ)との戦いのために、ウマルがカリーファとして長い統治時代に達成したようなレベルの征服ができなかった。 「アッラーがかれをお赦されんことを」について、アル・ナワウィは「これは話している人のドウアであり、他に解釈しようがない。これはアブ・バカルの死が近いことを示しているとする説もある。アッラーが預言者(かれに平安とアッラーのご加護を)に申されたアヤに同じような例が見られる: 「あなたの主の栄光を誉め称え,また御赦しを請え。本当にかれは、悔悟を受け入れ,お赦しになる御方である。」[援助章 110:3 – 意味の解釈] このアヤは預言者(かれに平安とアッラーのご加護を)の死が近いことを示していた。これはアブ・バカルの時代に征服の数が少なかったことは彼の過ちではないことを示しているかもしれない。その理由は彼の統治時代が短かったからであり,赦しの意味はかれに対する非難を取り除くことである。 「桶が彼の手の中で非常に大きなものになった」は,巨大な桶になったと言う意味である。「わたしは彼ほどの力持ちを見たことがない」とは、彼が最高のものを達成したという意味である。 4 – アイシャの言葉が伝えられている。「アッラーの使徒(かれに平安とアッラーのご加護を)が病気の時,わたしに言われました。『お前の父親であり,お前の同胞であるアブ・バカルを呼んでおくれ。手紙を書き取らせよう。野心のあるものが出て来て,自分の方が指導者に相応しいなどと言い出すかもしれない。しかしアッラーと信者たちはアブ・バカルの他には認めないであろう。』」 (ムスリムの伝承, 2387). 5 – 預言者 (かれに平安とアッラーのご加護を) は不治の病に臥したとき,アブ・バカル・アル・シディーキに礼拝を導くよう命じ、他の者が代わりに立つことを認めなかった。アブ・バカルが小事の指導(礼拝の先導)に指名されたことは、重要な指導(イマームやカリーファ)の場合も引き継ぐことを指している。 アッラーは最もよくご存知である。
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