ファトワについて

日付 :

Fri, May 22 2015
質問

人間は責任がある

人間はこの世で行ったこと全てに責任を持たなければならないのですか。
回答
回答

アッラーに讃えあれ。 各人は自分の稼いだものに対する報奨を受ける (例:山章 52:21、 74:38)。信仰して,善行にいそしむものは天国に入り,アッラーとその使徒を信じない者は地獄に落ちる。アッラー曰く(意味の解釈): 「本当にわがアヤ(証拠,証明,節,教訓,印,啓示など)を信じない者は、やがて火獄に投げ込まれよう。かれらの皮膚が焼け尽きる度に,われは他の皮膚でこれに替えよう。かれらに懲罰を味わわせるためである。誠に,アッラーは偉力ならびなく英明であられる。 だが(アッラーの唯一性―イスラームの一神教を)信じ,善行に励むものには、われは川が下に流れる楽園に入らせよう。そこでかれらは、アズワージュン・ムタッハラタン(純潔な配偶)を持ち,広く深い天国の影にかれらを入らせるであろう。[婦人章 4:56-57] 善行はそれを行う者を益する。アッラーはわれわれを必要としない。悪行はそれを行う者を損なう。アッラーがそれによって損なうことはない。アッラー曰く(意味の解釈): 「善行をなす者は自分を益し,悪行をなす者は自分を損なう。あなたがたの主はそのしもべを不正には扱われない。[フッスィラ章 41:46] そしてアッラー曰く(意味の解釈): 「奮闘努力する者は,自分自身のために奮闘努力しているのである。アッラーはアーラミーン(人間,ジン,凡ての創造物)に、何一つ求められない。」[蜘蛛章 29:6] アッラーは寛大であり,ハサナ(善行)を倍増する。アッラー曰く(意味の解釈): 善(イスラームの一神教、アッラーとその使徒に服従する行い)を行う者は,それと同じようなものを10倍にして頂ける。悪(多神教,不信心,偽善,アッラーとその使徒に服従しないこと)を行うものはそれと等しい応報だけで、かれらは不当に扱われることはない。」 [家畜章 6:160] 礼拝,ザカート,断食、ハッジ,善行を命じること,悪行を禁じること,ジハード,クルアーンの読誦などはイスラームの象徴であり,これら凡ての善行の報奨は天国である。アッラー曰く(意味の解釈): 「だれでも,正しい行いに励む者は,男も女も(アッラーの唯一性を信じる)真の信者(ムスリム)である。彼らは楽園に入り,ナキーラ(ナツメ石の裏にある小さなキズ)ほどの僅かなであれ、不当に扱われない。」[婦人章 4:124] 抑圧,シルク(アッラーに外のものを配列すること)、殺人,堕落,傲慢,その他凡ての悪行と罪の処罰は、悔い改めないかぎり地獄である。アッラー曰く(意味の解釈): 「アッラーとその使徒(ムハンマド)に従わず,かれの定めに背く者は,業火に入り,永遠にその中に住む。彼は恥ずべき懲罰を受けるであろう。」[婦人章 4:14] 言葉と行動は,善くも悪しくも、全宇宙の主によって凡て記録されている。アッラー曰く(意味の解釈): 「このわれの記録こそはあなたがたについて真実を語る。本当にわれは,あなたがたの行ったことを記録していた。(われの天使があなたがたの行いを記録していた)」[跪く時章 45:29] アッラーは,アッラーの使徒(かれに平安とアッラーのご加護を)の教えに従って,アッラーのために純粋に行われた行動しか受け入れない。アッラー曰く(意味の解釈): 「凡そ誰でも、主との会見を請い願う者は、正しい行いをしなさい。彼の主を崇める場合に,何一つ配置して崇拝してはならない。」[洞窟章 18:110] 復活の日、人は自分の過去の行い、服従,不服従、善行,悪行を見る。アッラー曰く(意味の解釈): 「その日、人々は分別された集団となって進み出て,彼らの行ったことが示されるであろう。 一微塵(または小さな蟻)の重さでも,善を行った者はそれを見る。 一微塵(または小さな蟻)の重さでも,悪を行った者はそれを見る。」[地震章 99:6-8] 復活の日、各人は自分の記録(行いの記録)を与えられ,次のように言われる。 「あなたがたの記録を読みなさい。あなたの魂は、自分のための計算者として、今日は十分である。」[夜の旅章 17:14 – 意味の解釈] 信仰し,善行をなしたものは喜んでこの記録を右手で取り、天国に入る。アッラーとその使徒に背いた者は、この記録を左手に取り,地獄に入る。アッラー曰く(意味の解釈): 「その時その右手にはかれの記録が渡されるものに就いては, 彼の計算は直ぐ容易に清算される。 彼は喜んで、家族の許に帰るであろう。 しかし彼の記録を背中に渡される者については、 彼は(自分の)死滅を求めて叫ぶであろう。 そして燃える炎の中で焼かれ,その業火を味わうであろう。」 [割れる者章 84:7-12] 信仰と不信心,服従と不服従、天国の人々と地獄の人々の間には大きな違いがある。 「信仰する者がファアシーク(不信心者、主に背く者)と同じであろうか。かれらは決して同じではない。 (アッラーの唯一性,イスラームの一神教を)信じて善行に勤しむ者は、楽園(天国)が住まいで、それは善行をしたことへの報奨である。 だがファーシクーン(不信心者、アッラーに背く者)の住まいは地獄の業火である。そこから出ようとするたびに彼らはその中に引き戻され,『あなたがたが否定していた業火の懲罰を味わえ。』と言われる。」[アッサジダ章 32:18-20 – 意味の解釈] アッラーを信仰する者は勝者であり,不信心者は敗者であると申された。アッラー曰く(意味の解釈): 「アスル(時間)にかけて(誓う)。 本当に人間は,喪失の中にいる。 (イスラームの一神教を)信じて,善行に勤しみ,互に真理を勧めあい[アッラーが命じた凡ての善行(アル・マアルーフ)をお互いに命じあい、アッラーが禁じた凡ての罪と悪行(アル・ムンカール)を止めること]、また(イスラームの一神教を広め,ジハードでアッラーのために奮闘している時に遭遇する苦痛,傷害,怪我に対して)忍耐を勧めあう者たちに外には。」[時間章 103:1-3] アッラーよ,われわれを天国にお入れください。そしてわれわれを地獄からお救いください。あなたのご慈悲をお恵みください。最も慈悲深い御方よ。
シェイク・ムハンマド・イブン・イブラヒーム・アットワイジュリによるウスーラル・ディーナル・イスラーミ引用