記事について

著者 :

Oum Abdulaziz

日付 :

Sat, Aug 30 2014

カテゴリー :

Why I became a Muslim!

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ウンム・アブドルアズィーズ 米国出身の元キリスト教徒

ウンム・アブドルアズィーズ 米国出身の元キリスト教徒

 

(1/4):イスラームとキリスト教

 

私は一夜にしてムスリムになったわけではありません。事実、当初イスラームについて学ぶことは予期せぬ事でした。あるムスリムたちと知り合いになり、彼らの信条を理解したかったため質問をしました。私はイスラームの教えとキリスト教のそれに多くの共通点があることを発見し、驚いていました。私は、自分が見聞きした一部の「ムスリム」たちによる行為のみによってイスラームそのものを判断してはならないという理解に達しました。イスラームの真の教えについて学ぶためには、自分の偏見を捨て去り、心を開いて学ばなければなりませんでした。不幸にも、私はキリスト教徒とムスリム・コミュニティ間において相当な誤解があることを見い出しました。その責任の一部は双方による偏向的なメディアの報道姿勢、そしてそれら2つの宗教が説く道徳的行為の基準に則らないムスリムとキリスト教徒の各個人にあります。キリスト教の教えは「一般的な米国人キリスト教徒」の行動を観察するだけでは分からないように、イスラームを理解し、真理に到達するには一部のムスリムたちの行動にとらわれないことが必要であることに気付いたのです。誠実で友好的なムスリム女性との新たな友情関係によってそれは助長されました。私は読書好きなため、イスラーム関連の良書を探しに行きました。

当初私を最も驚かせたのは、ムスリムはイエス(彼に平安あれ)を愛し、かつ信じていることから、彼らにもキリスト教の教えの知識が一部あったことです。私は「イスラーム」という言葉が逐語的に、神の唯一性と神への服従といった、神への信仰を通した平安を意味するということを学びました。それゆえイスラームは、ムスリムが信仰しなければならない過去の預言者たちの説いたものと同一の宗教であるということを主張します。それらの預言者たちには、ノア、アブラハム、イサク、ヤコブ、モーゼ、ダビデ、洗礼者ヨハネ、イエス(彼らに平安あれ)が含まれます。クルアーンはこう述べています。

 あなた以前にも、われが遣わした使徒には、等しく、「われの外に神はない、だからわれに仕えよ。」と啓示した。(クルアーン2125 

イスラームは婚姻を性的な貞操を保つものとして、そして人生における幸福と慰安を達成するための手段であるとして推奨します。婚姻は男女双方に権利と責任を有する契約として見なされます。婚姻によってムスリム女性は名字や私財を失ったりすることはありません。実際、イスラームは私が以前思っていたような女性の抑圧をするのではないことに気付きました。ムスリム女性は千年以上も前から、西洋の女性が近代に入ってようやく得ることの出来たような権利を有していたのです。

また私は、イスラームの追従者たちが行う神の崇拝法は、バイブルにおいて述べられている方法と極めて似通った方法で行われていることを知りました。ムスリムは聖クルアーンの言葉を朗誦して礼拝を行います。

 “慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において。 

万有の主、アッラーにこそ凡ての称讃あれ、

慈悲あまねく慈愛深き御方、

最後の審きの日の主宰者に。

わたしたちはあなたにのみ崇め仕え、あなたにのみ御助けを請い願う。

わたしたちを正しい道に導きたまえ、

あなたが御恵みを下された人々の道に、

あなたの怒りを受けし者、また踏み迷える人々の道ではなく。(クルアーン11−7

キリスト教徒は聖クルアーンにおいては啓典の民として言及され、そこで直接語りかけられています。

 啓典の民よ、わたしたちとあなたがたとの間の共通のことば(の下)に来なさい。わたしたちはアッラーにだけ仕え、何ものをもかれに列しない。またわたしたちはアッラーを差し置いて、外のものを主として崇ない。(クルアーン364

キリスト教徒とユダヤ教徒は彼ら自身の啓典によって、クルアーンとムハンマドの預言者としての真実性について導かれるのであるとクルアーンは呼びかけます(2:146、5:41−47、7:157)。私はこの「挑戦」を受けて、自分のバイブルには本当にイスラームが神を由来とするものとしているのかどうか、確かめてみようと思いました。

イスラームで説かれる、神の唯一性についての証拠はバイブル全体から見い出すことが出来ます。申命記(32:39)ではこう述べられています。「わたしの他に神はない。」イザヤ書(43:10)にはこうあります。「わたしより前に造られた神はなく、わたしより後にもない。」出エジプト記(8:10)はこう述べます。「我々の神、主のような神がほかにいない」(8:6)また、エレミヤ書(10:6)にはこうあります。「主よ、あなたに並ぶものはありません。」

同様のことを述べる章句は、申命記(4:35、4:39、6:4)、イザヤ書(45:5、45:21−22、46:9)、第2サムエル記(7:22),第1列王記(8:60)、歴代誌上(17:20)、詩篇(86:8、89:6、113:5)、ホセア書(13:4)、ゼカリヤ書(14:9)から見い出すことが出来ます。また、「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか?」と聞かれたイエスは、こう答えています。「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。」(マルコ12:28−29)イエスの使命後でさえ、イエスの弟子たちは神の唯一性を理解していました。その証拠は使徒書簡の全体を通して発見することが出来ます。「実に、神は唯一だからです。」(ローマ人3:30)「唯一の神以外にいかなる神もない。」(第1コリント使徒8:4)「神は唯一」(エフェソ人4:6、第1コリント使徒8:6、テモテ2:5)また、パウロはヤコブ(2:19)にこのような手紙を書いています。「あなたは『神は唯一だ』と信じている。結構なことだ。」

イスラームとキリスト教が異なっていることは、イエス(彼に平安あれ)の性質とは関係のないことです。イスラームがシンプルかつ論理的であることを見出した私は、それ以外の問題についてはムスリムと合意することが出来ました。イエスが神の子であり、三位一体の一部であるということは、大半のキリスト教徒たちにとって必須の信仰箇条であり、イエスが神ではなく、名誉ある神の預言者だということは、すべてのムスリムにとって必須の信仰箇条です。私は(キリスト教徒としての信仰を続けるためには)、バイブルが三位一体(つまり神は唯一でありながら、3つの同位者がそれぞれが独自の性質を持っているということ)を明白に主張していることを証明しなくてはなりませんでした。そして三位一体の一部は神の子としてのイエスが含まれます。しかし、真剣に調査をしてもバイブルの中からは三位一体の根本となるものは見つけられませんでした。イエス、または彼以前に遣わされた預言者たち(彼らに平安あれ)が一人として三位一体を説いたという証拠も見つかりませんでした。彼らは皆、一神教を説いたのです。すべての預言者たちが神の基本的な性質について無知であり、真の宗教から道を外していたということはあり得るのでしょうか。もちろん、そんなことはあり得ません。更なる調査から、「三位一体」という言葉自体、バイブルの中で一度も出て来ないことが分かりました。長年に渡ってそれに正当性を与えていると思われてきた章句は、新約聖書の古いテキストには全く含まれていなかった(つまり後世になってバイブルに付け加えられた)ことから、改訂標準訳聖書やその他の訳本から除去されてしまいました。次に、欽定訳聖書のヨハネの手紙一(5:7)にある章句です。「父、言葉、精霊、これら3つは1つである。」

キリスト教の資料によると「三位一体論には様々な概念があります。しかし、一般的に三位一体の教えとは、神に父・子・聖霊という3つの人格があるというものです。それらが合わさった上でも、神が唯一であることに変わりはありません。教義上、それらは同格・全能・非創造物であり、神として永久に存在し続けてきたのです。」(ものみの塔)これが、大半の教会の根本的教義なのです。三位一体論を合理的かつ論理的に説明する方法が存在せず、3つは分離しているにも関わらず、それは1となるのです(1+1+1=1!)。大半の教会は、この教義は証明することの出来ないものであり、盲目的に信仰されなければならない「神秘」であるとします。しかし、バイブルの中で明白に説かれてはいないにも関わらず、なぜ、そしていかにそういった教義を信仰しなければならないのかという疑問が湧いてきました。それがバイブルの教えでなければ、一体誰の教えなのでしょうか? どうやら、三位一体論はイエスの神格性を正当化するために発展した概念であるということが分かってきました。それで、私はイエスの神格性に関する証明をバイブルの中から探し始めることにしました。

(2/4):キリスト教におけるイエス

私は、イエス(彼に平安あれ)の神格性を主張する「根拠」をいくつか検証してみました。一部では彼の行った奇跡が彼の神格性の証拠だと主張されますが、よく調べるとそれらの奇跡はイエス(彼に平安あれ)だけではなく、他にも行った者たちがいることが分かります。(水上歩行―出エジプト記(14:22);死者の復活―第一列王記(17:22)、第二列王記(4:34,13:21);盲目・ハンセン病の治癒―第二列王記(5:14,6:17,6:20);食糧の増幅―第二列王記(4:1−7,4:43−44);悪魔の追放―マタイ(12:27)、マルコ(9:38)、ルカ(11:19)12使徒たちは、それらの奇跡が神の御力のみによって達成されたことを知っていたのは明らかです。

 ナザレのイエスこそ、神から遣わされた方です。神は、イエスを通してあなたがたの間で行われた奇跡と、不思議な業と、しるしとによって、そのことをあなたがたに証明なさいました。 使徒行伝222

それら治癒を施された者たちも同様にそのことを理解し、神を賛美し、称賛したのです(マタイ15:31,ルカ13:13,17:15,詩と業伝4:21)。イエス自身もラザロを蘇らせる前には「あなたが私をお遣わしになったことを、彼らに信じさせるためです」(ヨハネ11:42)と言ってそれが人々へのしるしとなるよう神に嘆願しています。イエス(彼に平安あれ)は追従者たちに、もし彼らに信仰があれば、彼らも彼のようなことが出来ること(マタイ21:18−22)、また他者は「もっと大きな業を行うようになる」(ヨハネ14:12)と述べ、「偽メシアや偽預言者が現れて、大きなしるしや不思議な業を行う」(マタイ24:24)ことを警告しているのです。

また、なぜイエス(彼に平安あれ)はキリスト教において神でなければならないのかと熟考する必要もありました。なぜ人間を神格化しなければならないのでしょうか? 主流のキリスト教では、イエスの死が全人類の罪の贖罪として事足りるのであれば、彼は神でなければならないはずだと説きます。そうだというのなら、神はそのときに死んだのでしょうか? 彼らの答えは「いいえ」でした。彼らは、人間としてのイエスが死んだのだと言います。ではなぜ他の人間の死では事足りないのでしょうか? キリスト教では、人類はみな父祖アダムの罪を受け継いでいるため不完全であるものの、イエスは父なくして生まれたためこの罪から潔白であると説きます。この議論を深く掘り下げるほどに、それはガタガタと音を立てて崩れていくのです。

イエスは母親から生まれなかったのでしょうか。マリアは主の御前において罪を犯したアダムのイヴの子孫ではなかったのでしょうか。罪が世代と共に受け継がれるという原罪論を信じるということは、罪を犯したアダムとイヴが完全には赦されなかったということを信じることになります。公正かつ慈愛深き神が、私が犯さなかった不正について私の責任を問うなどということはあり得るのでしょうか? 懇切で慈悲深き神は、私が防ぐことも禁じることも出来なかったような罪について、私の責任であるとするのでしょうか?

私はイエス(彼に平安あれ)だけでなく、彼に先立つ他のいかなる預言者たちも原罪について説いてはいなかったことを知りました。イエス(彼に平安あれ)は、子供の純粋さについて語っています。“子供たちを私のところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。”(マルコ10:14)神は公正なのです。“もし、ある人が正しく、正義と恵みの業を行うなら…彼こそ正しい人で、彼は必ず生き…彼に生まれた息子が…忌まわしいことをしたのなら、必ず死ぬ…罪を犯した本人が死ぬのであって、子は父の罪を負わず、父もまた子の罪を負うことはない。”(エゼキエル書18:5−20)“人は自分の罪のゆえに死ぬ。”(エレミヤ書31:30)ではなぜ、出エジプト記(20:5)と申命記(5:9)において見出せる、“父祖の罪を子孫に三代、四代までも問う”という神の言葉は、例えば以下のような、他の多くの章句によって否定されているにも関わらず、文字通り解釈されなければならないのでしょうか。

申命記24:16:父は子のゆえに死に定められず、子は父のゆえに死に定められない。人は、それぞれ自分の罪のゆえに死に定められる。

私にとって、イスラームにおいてはアダムを誘惑した罪がイヴには課されていないことは非常に興味深いことでした。イスラームは、アダムとイヴの双方がサタンによって誤った方向に導かれ、罪を犯したのだと説きます。そのとき、2人はこう言いました。“主よ、私たちは誤ちを犯しました。もしあなたの御赦しと慈悲を御受け出来ないならば、私たちは必ず失敗者の仲間になってしまいます。”(クルアーン7:23)そして2人は赦されたのです(クルアーン2:37)。神はムスリムに対してこう述べます。

 各人はその行いに対する以外に、報酬はないのである。重荷を負う者は、外の者の重荷を負わない。(クルアーン6164

新約聖書の使徒書簡においては、イエス(彼に平安あれ)が自身を物理的に“供え物、つまり、いけにえとして”(エフェソ書5:2)捧げ、赦しは神の慈悲からではなく、“イエスの血によってあらゆる罪から清められ”(ヨハネ書1:7)たという新たな教義が形成され始め、また“血を流すことなしには罪の赦しはありえない”(ヘブライ人9:22)とされています。私は、血の贖罪が野蛮な性質であり、全能かつ慈愛深い神(つまり誰であれ赦すことが出来るということ)とは相容れないことから、個人的にはこの教義を容認することは出来ません。イエス(彼に平安あれ)は天からモーゼに下されたマンナに自分自身を“生命の糧”であるとたとえ、このように言っています。“私の肉を食べ、私の血を飲む者は・・・永遠の命を得るのです。” しかし、イエス(彼に平安あれ)はそれが物理的な肉体のことではないと説明します。“私があなたがたに話した言葉は霊であり、命である。”(ヨハネ6:48−63)私は、ムスリムたちが言っていたように、「現代キリスト教はイエスを崇拝する宗教であり、イスラームはイエスが崇拝していた宗教である」というのが正しいのではないかと感じ始めました。

血の贖罪の教義は、パウロの福音(第2テモテ書2:8)によるもので、彼はそれについてこう述べています。“私はこの福音を人から受けたのでも教えられたのでもなく、啓示によって知らされたのです。”(ガラテヤ書1:12)パウロはイエス(彼に平安あれ)に会ったこともなければ、イエスの弟子から学んだわけでもありませんでした。彼は言います。“私は、すぐ血肉に相談するようなことはせず、また、エルサレムに上って、私より先に使徒として召された人たちのもとに行くこともせず、アラビアに退き・・・それから3年後、ケファと知り合いになろうとしてエルサレムに上り、15日間彼のもとに滞在しましたが、ほかの使徒にはだれにも会わず、ただ主の兄弟ヤコブにだけ会いました・・・キリストに結ばれているユダヤの諸教会の人々とは、顔見知りではありませんでした。その後14年たってから・・・エルサレムに再び上りました。”(ガラテヤ書1:16−2:1)

初代教会についてのバイブル学者の著書を読むにつれ、このことはより厄介になりました。パウロは彼によるイエスの福音を異邦人へ宣教する旅に出ました。彼は多くの追従者や弟子を得るようになりました。パウロの教えは、イエス(彼に平安あれ)の元来の追従者や弟子たちである、ユダヤ人キリスト教徒たちの教えとは異なるもので、それは初代教会に重大な分裂をもたらしていました。人々は「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロに」「わたしはケファに」と言い合っていました(第一コリント書1:12)。やがてパウロはイエスの弟子であるケファ、バルナバ、「イエスの兄弟」であるヤコブの弟子たちと決別し、彼らは“心にもないことを行い・・・見せかけの行いに引きずり込まれた”(ガラテヤ書2:13)として非難しました。パウロはイエス(彼に平安あれ)の別の福音を聞いたとしてコリント人たちを叱責し、彼自身について、“大使徒たちと比べて、わたしは少しも引けは取らないと思う”(第二コリント書11:5)と言っているのです。

初期キリスト教の歴史を学ぶことは、驚くことの連続で、私の目を覚ましました。初期には、本質的な教義についての合意がなかったのです。イエスの性質を定義する理論について、果てしなく議論が繰り返されました。そこでは完全な人間性を帯びたイエス、完全な神格性を持つイエス、そしてその中間といった、あらゆる組み合わせが提唱されました。この宗教はイエス(彼に平安あれ)の人格を中心に築き上げられながら、導きの「書物」を欠き、イエスの人格にどんどんと特性が加えられていきました。この新たな信仰においては、特にローマ、ペルシャ、ギリシャ、バビロン、エジプトなどの太陽崇拝をする既存の多神教社会が甚大な影響を及ぼしました。ローマ皇帝は地上における太陽神の化身であると見なされていました。やがて教会はローマの太陽日(Sun-day)をキリスト教における安息日として取り入れました。伝統的に太陽神の誕生日である12月25日は、イエスの誕生日とされるようになりました。十字架の像はキリスト教のシンボルとなりました。十字架は長らく、多神教徒たちにとっての救済の象徴とされており、「十字の光」は太陽神の紋章でもありました。その当時、キリスト教の三位一体論が形成されたのです。「聖三位一体」は、バビロニア、インド、ローマ、ペルシャ、エジプト、カルデアなどの、当時の多くの諸宗教において見出されます。2世紀の終わりになると、「三位一体」という言葉がキリスト教徒の文書から現れるようになります。431年のエフェソス公会議によって公認された三位一体の一部には、イエスの母マリアが含まれていましたが、一部の神学者たちは「神の母」という存在の概念に懸念を抱いたことから、その後「聖霊」に置き換えられています。

私にとって非常に興味深かった別の問題には、バイブルそのものが預言者ムハンマド(神の慈悲と祝福あれ)の到来を予告していたということです。

 “かれらは文字を知らない預言者、使徒に追従する者たちである。かれはかれらのもっている(啓典)律法と福音の中に、記され見い出される者である。(クルアーン7157

(3/4):キリスト教のバイブル

そして最後に、私はバイブルの歴史とその信頼性について調査をしてみることにしました。私はバイブルの教えだけでなく、「バイブルとは何か」について自問しました。大半のキリスト教徒たちは、「バイブルとは神の言葉である」と答えるでしょう。私は当然ながら、「神の言葉である」この啓典に対しての信仰を正当化する必要がありました。バイブルが「神の言葉」だということを証明するには、神の言葉が人間に対して口述され、人間の手がそれを書き取り、そして今日バイブルとして知られる書物がそれら神の言葉の集合体であることが示されなければなりません。私は、自分を含む多くのキリスト教徒たちがバイブルを「神の言葉」として信じているのは、伝統的にそう受け止められてきたからであることを知りました。それゆえ、「その伝統はいつ始まったのか」という疑問が浮かび上がってきました。バイブル自体はこう述べています。“すべてを吟味して、良いものを大事にしなさい。”(第一テサロニケ5:21)イエス自身、人によってつくられたものではなく、神によって与えられたものに従うよう警告しています。彼は預言者イザヤを引用し、こう述べています。“人間のいましめを教義として教え、無意味にわたしを崇拝している”(マタイ15:9)

まず、私はそれら「神の言葉」を書き留めた人物の調査を始めました。多くの場合においては、バイブルの書物の著者が誰かというのははっきりとしていません。特に旧約聖書のすべての書、また福音書、ヘブライ人への手紙、ヨハネの手紙、そしてヨハネの黙示録といった新約聖書の一部の書がそれにあたります。著者が不明、もしくは不確定であるとき、その著者と書物双方の神の啓示としての正統性を判断することは不可能となります。大半の学者たちは、旧約聖書のすべてがバビロンのネブカドネザル王がエルサレムを征服して焼き討ちして以来、書き直されたものだと見なします。

次に、バイブルを読むと、多くの間違いや矛盾に突き当たるという問題があります。(その例の一部として、以下を参照して下さい。ヨハネ1:29とマタイ11:3、マタイ21:2−7とマルコ11:2−7、マタイ27:28とマルコ15:17、マタイ27:55、ルカ23:49とヨハネ19:25、マルコ15:32とルカ23:39−43、使徒行伝9:7と使徒行伝22:9、マタイ10:2−5とルカ6:13−16、ヨハネ20:9とルカ24:6−7、マルコ2:25−26とサムエル記上21:1−6、ヨハネ3:13と列王記下2:11−12とヘブライ人11:5、ヨハネ5:31とヨハネ8:14、マタイ27:5と使徒行伝1:18,マタイ1:2−6とルカ3:23−38、サムエル記下24:1と歴代誌上21:1、列王記上7:26と歴代誌下4:5、また完全な剽窃に関しては、列王記下19とイザヤ37をご参照下さい。)「神の言葉」において、間違いは許されるでしょうか? もちろんそうではありません。神による真の啓示は、あらゆる間違いから無縁でなければなりません。間違いがあるという事実は、そこに人の手が加えられたということを示しています。またバイブルは、神の預言者たちが偶像崇拝、近親相姦、殺人、姦通などを犯したとして彼らの品格を貶めています(サムエル記下11:2−27、イザヤ20:2−3、創世記19:30−38、列王記上11、士師記16:1、創世記32:25−30、エゼキエル4)。神がそのような弱い個人を聖なる使命のために選んだということなどあり得るでしょうか? 神はその教えを広めるため、卓越した人間を選ぶということが、より理にかなったことではないのでしょうか?

第3に、多くのキリスト教徒たちは、彼らの信仰はイエス自身の言葉に基づいたものであると主張することから、共観福音書が記述するような出来事は実際の証人によって記されたものではなく、それは“第2世代のイエス・キリスト観”(Christian Bible commentary)を描いたものであるということに言及することが重要です。また、イエス(彼に平安あれ)が語ったとされる言葉は、イエスが実際に使用した元来の言語では残されていないのです。

第4に、新約聖書の使徒書簡については、なぜある人物による他人の伝記、またはある牧師による彼の教会への手紙が“神の言葉”とされなければならないのでしょうか? 彼らが聖霊による助けによって書いたものだと主張することは出来るかもしれませんが、私たちは新約聖書において、多くの使徒たちが聖霊の助けによって宣教したのであるという記述を見出します。そうだとすると、彼らの語った全ての言葉は“神の言葉”ということになるのでしょうか? もし現在、ある牧師に聖霊が乗り移り、彼の教会に対して手紙を書いたのなら、その手紙は“神の言葉”であると見なされてしまうのでしょうか?

バイブルについてより多くを学ぶにつれ、私はそれが純粋な神の言葉としては信用が出来ないことを確信しました。しかしイスラームは、バイブルにおいて改竄されたものの量は、改竄されずにいたものよりも少ないということを間接的に主張しています。クルアーンは“啓典の民”が彼ら自身の啓典に従わなかったこと、そして啓典の意味をねじ曲げたことからユダヤ教徒とキリスト教徒を譴責します。そこで、ムスリムの啓典はどういう状況なのかと問いかけることが合理的かつ適切であると感じました。私はバイブルを精査したように、聖クルアーンの精査を開始しました。

(4/4):キリスト教からイスラームへの改宗

私には、「なぜあなたはムスリムになってしまったの」と問いかける人々に対して借りがあります。なぜなら、これを書くことはバイブルの再読を助長し、過去に私が直面していた多くの議論と、なぜ私がやがてムスリムになったのかという理由を明白にさせたからです。現在、ムスリムとしてバイブルを読み直すことによって、そこにあるものへの驚きを禁じ得ません。私はキリスト教徒としてバイブルのすべての章句を読みましたが、それの全体としてのメッセージについては全く感知していなかったのです。

私は所謂「信仰を新たにした」キリスト教徒でした。ある夜、私は聖霊に起こされた気がしました。それで私は救われ、洗礼を受け、その後数年に渡って毎週に複数回、教会での集合礼拝に参加していました。私は自分の信仰心を増加させたかったのです。私には多くの疑問がありましたが、あの救いを経験をした後、どうやって答えを探せばよかったのか分かりませんでした。すべての宗派・教派には異なる教えがあります。それらの大半は聞こえは良かったのですが、バイブルのどこからその教えを見いだせるのかと問いただしたとき、私を満足させるような答えは殆ど帰ってきませんでした。

親戚や友人、隣人たちを通して、異なるキリスト教のグループについて知る機会もありました。ユダヤ教徒と無神論者についても同様です。友人たちを通し、やがて私はカトリック教会に魅了されるようになりました。その「最古」かつ「元来」の教会であるという評判と、神は各人にとって異なる存在であるという、一部のおそらく(異端的な)宣教師による教えも私の興味を引きました(つまり、神はあなたが神にどうあってほしいのかということによって異なる存在であるということでしょう)。彼らは、ローマの発令する教えのすべてを信じずともカトリックになれると私に言いました。

カトリックの信者たちは、私のような「信仰を新たにした」キリスト教徒たちが経験したような救済を経験してはいませんでした。しかし、彼らは各人で「奇跡」を経験していました。あるグループがユーゴスラビアに旅し、複数の若者たちが聖母マリアの幻影を定期的に目にしていたのです。その旅路において、私たちの教会に所属していた敬虔な女性のロザリオ数珠の金属製のつなぎが純金に変わったり、取材のため彼らと一緒に旅していたプロテスタントのニュースキャスターは、聖母マリア像が涙するのを目撃しています。

叔母と叔父を訪問した私は、彼らのプロテスタントの教会に出席したことがあります。私はそこで、親戚や同席者たちが文字通り「聖霊に乗り移られた」のを目撃しました。彼らは彼らの声ではない、何らかの理解出来ない言語で叫んでいました。彼らにとって、それは非常に個人的かつ人生を変える経験であったと語っています。私は彼らの高い倫理観に関しては感心していました。

私はまた、「体外離脱」し、肉体を超越して「神」「光」「平安」とひとつになる体験をしたというニューエージ集団についても耳にしたことがあります。超越体験に関するいくつかの新刊も話題を呼びました。

その当時、私は人生で初めて何人かのムスリムたちと知り合いになりました。私は彼らから、ろくな装備もしていなかったアフガン自由戦士たちによる抑圧者ソビエトに対する奇跡的な勝利の話を聞きました。アフガニスタンに関してのそれらの逸話は驚異的かつ超自然的でもありました。私はそれらをすべて信じることは出来ませんでしたが、最小限の兵力でアフガン人たちがソビエト軍を国境から追い出したという事実は知っていました。彼らは「ムスリム国家」の設立を目指していたのです。

私はこれらのことに関して疑問を抱き始めました。異なった相反する宗教の人々が、なぜそれらのしるしを受けとっていたのでしょうか。神は彼ら一人一人に対し、正しい道に従っているということを告げていたのでしょうか。

現在、私はムスリムとして疑念や混乱とは無縁の生活を送っています。善と悪の力が「超自然的」な物事を引き起こすことがあることも知っています(バイブルもマタイ24:24でそう述べています)。善悪の霊、悪魔、悪霊など(ムスリムはそれらを「ジン」と呼びます)の存在は真実なのです。ジンとは人間と同じように自由意志を持った、異なる種の被造物です。イスラームでは、サタンはジンであるとされ、キリスト教徒によって主張されるような堕天使ではないとされます(イスラームによれば、天使たちは神に背くことの出来るような自由意志を持たないとされます)。一部のキリスト教徒たちは、バイブルにおいて何度も述べられているにも関わらず、ジンの存在を否定します(マタイ4:24、7:22、8:28−33、11:18、12:28、17:18、マルコ1:34、テモテ上4:1、ヤコブ2:19、黙示録18:2)。目に見えない「力」は真実であり、それらはクルアーンにおいて私たちの心に「ささやきかける」ことすら出来ると述べられます(クルアーン114:1−6)。しかし、神は私たちの魂を最善の形によって創造され、そこに神への知識と善悪の判断力を与えたのです。また神は、信仰を確信することの出来る知性も授けており、真の信仰とは私たちの本質的な性質、そして知性の双方と調和するものです。

神の恩寵により、イスラームは私の心と精神を征服しました。一度、過去に歩んだ道の誤りに気付き、イスラームの完全な真実性を認めると、私は人生に大幅な変更を加えなければならないことを確信しました。自分の信仰を神に認めてもらうには、それに沿った生き方をしなければならないのです。私は心の確信が、四肢による行いを支配するようしなければなりませんでした。私は自分の人生、健康、そしてその他すべては神の恩寵によるものであることを否定することが出来ませんでした。また、神の神格性に他者を付属することも許容出来なくなりました。ムスリムの親友と地元のモスク(ムスリムの礼拝の場)へ行き、「アッラーの他に神はなく、神以外に崇拝に値するものはなく、ムハンマドは神のしもべであり、使徒である」という信仰告白を公に証言したのです。

皮肉にも、私の選んだイスラーム的装い――それは他の米国人に対し、自分は他人とは違うのだと真っ先に主張するもの――は、キリスト教徒たちにとって奇異に映るべきではないものです。新約聖書はキリスト教徒たちにこう説きます。

 “婦人はつつましい身なりをし、慎みと貞淑をもって身を飾るべきであり・・・高価な着物を身に着けたりしてはなりません。”(テモテへの手紙一 2:9)

また、髪を覆うことを指示します。

 “女はだれでも祈ったり、預言したりする際に、頭に物をかぶらないなら、その頭を侮辱することになります。それは、髪の毛をそり落としたのと同じだからです。女が頭に物をかぶらないなら、髪の毛を切ってしまいなさい。女にとって髪の毛を切ったり、そり落としたりするのが恥ずかしいことなら、頭に物をかぶるべきです。”(コリント人への手紙一 11:5−6)

頭部をベールで覆い隠すことは、ユダヤ教徒の女性の伝統でもあります。

私はイスラームの改宗者として、ヒジャーブ自体は抑圧的ではなく、開放的であると感じています。私は改宗以前に身につけていた衣服よりも、ヒジャーブをまとって家を出たときのほうが、他人からのより大きな敬意を感じます。ヒジャーブは、自分の「価値」が肉体的特徴に大きく左右される非イスラーム社会のしがらみから女性を開放します。もちろん、私がイスラームを信仰し続ける理由は他にもあります。イスラームと他宗教に関してより多くを学ぶほど、私がイスラームを選んだ決断が正しいものであったということをより深く確信するのです。

私は神が私に慈悲深くあり、過ちを赦し、信仰を増大させ、誘惑から遠ざけてくれるよう祈ります。私はこれを読む読者がクルアーンに目を通し、自分自身のために真実を探求することをお勧めします。