タルムードとその著者

タルムードとその著者

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タルムードとは?

タルムードとは、ユダヤ教における基本信条の書かれた書物のことです。ブリタニカ百科事典では、ヘブライ語の単語「タルムード」とは、敬虔なユダヤ教徒たちによって、それが編纂された時代から現代まで依然として神聖であると見なされ続けている古代の教えが編纂されたもののことであると言及します1。ラビ・ジェイコブ・ニュースナー博士の言葉を借りると、それは「ユダヤ教の基礎文献2」なのです。

バビロニア/パレスチナ(エルサレム)・タルムード

タルムードには二種類のものが存在しています。名誉毀損防止同盟(米国最大のユダヤ人団体)は、このように述べています。

「タルムードには二つの版本が存在します。一つはバビロニアのユダヤ教徒によって編纂されたもの、そしてもう一つは古代エルサレムのユダヤ教徒によるそれです。一般的にタルムードからの引用は、権威があると見なされているバビロニア版から行われます。通常、エルサレム・タルムードは正統派ユダヤ教学校でさえ教えられていませんが、上級タルムード学者は時にその研究を行います。3

シャナク教授はさらに詳しくこう説明します。

「基本的に、タルムードは二部構成です。まず、ミシュナと呼ばれるものがあり、それはヘブライ語で書かれ、西暦200年頃にパレスチナでそれ以前の二世紀に書かれた広範囲(大部分は口伝書)な律法書を元に作成されたもので、6巻構成の簡潔な法規定から成り、さらにそれぞれが複数の書簡により分割されています。次に、ミシュナに関する議論の記録の部分はゲマラと呼ばれ、それはトーラーの大半を占めています。ゲマラは二部構成となっており、そのうちの一つはおよそ西暦200〜500年の間にメソポタミア(バビロン)で、そしてもう一つも西暦200年〜500年頃にパレスチナで書かれています。バビロニア・タルムード(つまり、ミシュナとメソポタミア・ゲマラを併せたもの)は、パレスチナのそれよりもより広大でよくまとめられており、信頼性と権威のあるものとして認知されています。エルサレム(パレスチナ)・タルムードは、二つのタルムードが除外したものを掲載した『タルムード文学』とされる数々の編纂物と共に、権威としてはより低いものとなっています。」

別の著者は、バビロニア・タルムードが権威あるものと見なされていることを確証します。

「バビロニア・タルムードの権威はエルサレム・タルムードのそれよりもより大きなものです。疑念の生じる場面においては、前者こそが決定版として採用されます。5

タルムードの著者

タルムード学者たちによると、タルムードはファリサイ派たちの教えに基いて書かれたものであるとされています。では「ファリサイ派」とは誰のことなのでしょうか。ユニバーサル・ユダヤ百科事典では、「ファリサイ派」の項目でこう記されています。

「今日のユダヤ教はその由来を、ファリサイ派に途切れることなく辿ります。彼らの主要な概念と方法論は、莫大なテキストの文献において見出すことができ、それらの大部分は現存するものです。タルムードはその文献の中でも最大かつ最も重要なものです・・・そしてその研究はファリサイ派への本当の理解において根本的な役割を果たすのです。」

ファリサイ派に関し、1905年版のユダヤ百科事典は、「ファリサイ派」の項目でこのように記述しています。

「エルサレム神殿の崩壊(西暦70年)と共に、サドカイ派は完全に消滅し、ユダヤ教の諸事はファリサイ派の規制に委ねられるようになりました。それ以降、ユダヤ教徒の人生はファリサイ派によって統制されるようになり、ユダヤ教の歴史はファリサイ派の観点から再構築されるようになったため、過去のサンヘドリンへは新たな視点が書き加えられたのです。つまり、新たな伝統の連なりが、古い伝統に取って変わったのです。ファリサイ主義はユダヤ教の特徴、そしてユダヤ教徒の生活と思想を形作ったのです。」

ラビ・マイケル・ロドキンソンは述べています。

「イエスにとって若年のときから親しみのあった書物は、現在なお存在しているのでしょうか? 私たちがそれを手にして見るのは可能なのでしょうか? 私たちはイエスが空白の30年間の中で将来的使命について熟考し決意したであろう、そこにある概念、また当時最新だった宗教的主題における理論・思考様式について観察することが出来るのでしょうか? こうした疑問に関して、学識層であるユダヤ教ラビはタルムードを手に掲げ答えるのです。彼らは、ナザレのイエスはここから教え、世界に革命をもたらしたと言います。それゆえ、すべてのキリスト教徒に対しての興味深い質問は、タルムードは何か、というものになります。…タルムードはイエスの時代に『長老たちの伝統』と呼ばれ書き留められていたものであり、彼が頻繁に言及したものであったのです。6

後のユダヤ教神学院の学長であり、タルムード教授であるラビ・ルイス・フィンケルシュタイン博士はこう記しています。

「ファリサイ主義はタルムード主義となり、タルムード主義は中世ラビ主義となり、中世ラビ主義は近代ラビ主義となったのである。しかしこれら一連の名称変更、必然とも言える慣習の導入、そして法の調整をもってしても、古代ファリサイ派の精神は変わることなく生き延びたのである。ユダヤ教徒が祈りを捧げるときは、マカベア以前の学者たちによってしたためられた語句を朗誦するのである。ユダヤ教徒が贖罪の日や過越前夜祭に定められている外套を着るときは、古代エルサレムの祝祭着を着るのである。ユダヤ教徒がタルムードを学ぶときは、パレスチナの学院で用いられていた議論を繰り返しているのである。7

イエスは、このユダヤ教の聖職者たちによる宗派であるファリサイ派を強く非難したことが報告されています。

ヨハネ8:44「あなたたちは、魔である父から出た者であって、その父の欲望をたしたいと思っている。魔は最初から人殺しであって、理をよりどころとしていない。彼のには理がないからだ。魔がりを言うときは、その本性から言っている。自分がり者であり、その父だからである。」 

それに加え、イエスは彼らが伝統として「人による戒律を教義として教え」(マルコ7:13、マタイ15:6−9)たことによって、彼らは神の戒律を破ったのであると言ったことが報告されています。彼の激しい非難に及ぶものは何一つありません。マタイ伝23章のすべてはあたかも打ち付けられるムチのようです。彼はファリサイ派を白い墓廟にたとえました。つまり、外見はとても美しいものの、内面は「死者の骨とあらゆる汚物で一杯」なのです。キリストは「偽善者らめ!」という罵り言葉でこれ以上ない非難の仕方をしました。彼はファリサイ派が、預言者たちを殺した者たちの末裔であると呼びました。彼は彼らがアベル以降のすべての誠実な者たちの血を流した殺戮、虐待、迫害をするであろうと予言したのです。イエスは問いました。「蛇よ、毒蛇の世代よ、汝らはいかにして地獄の呪いから逃げるというのか?」

 


Footnotes:

1  “Talmud and Midrash.”  Encyclopædia Britannica. 2006.

2 Jacob Neusner, How the Talmud Works (Boston: Brill, 2002) ix

3 Anti-Defamation League, The Talmud in Anti-Semitic Polemics, February 2003, (http://www.adl.org/presrele/asus%5F12/the_talmud.pdf)

5 R.C. Musaph-Andriesse, From Torah to Kabbalah: A Basic Introduction to the Writings of Judaism, p. 40).

6 Rabbi Michael Rodkinson, The History of the Talmud, Vol. II, page 70.

7 Rabbi Dr. Louis Finkelstein, The Pharisees: The Sociological Background of Their Faith, page xxi,