記事について

著者 :

Muhammad Bin Ibrahim Al-Tuwajre

日付 :

Mon, May 01 2017

カテゴリー :

Jurisprudence

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サラー(礼拝)に関する法規定


サラー(礼拝)に関する法規定

] 日本語 [

أحكام الصلاة
[اللغة اليابانية ]


ムハンマド・ブン・イブラーヒーム・アッ=トゥワイジリー
محمد بن إبراهيم التويجري

翻訳者: サイード佐藤
ترجمة: سعيد ساتو
校閲者: ファーティマ佐藤
مراجعة:  فاطمة ساتو


海外ダアワ啓発援助オフィス組織(リヤド市ラブワ地区)
المكتب التعاوني للدعوة وتوعية الجاليات بالربوة بمدينة الرياض
1429 – 2008
 


⑦サラー(礼拝)に関する法規定


●    サラーにおいてアル=ファーティハ章(クルアーン第1章)を読むことに関する法規定:

イマームであれ、イマームに従う者であれ、あるいは単独でサラーを行う者であれ、サラーにおいてアル=ファーティハ章を読むことは義務です。それはそのサラーが義務のものかあるいは任意のものか、また声を出して行うものかあるいは潜めてするものかを問いません。アル=ファーティハ章は各ラクアで必ず読まなければなりませんが、サラーに遅れて来てイマームと共にルクーゥ(お辞儀の形の礼拝動作)するのには間に合ったものの、アル=ファーティハ章を読むことが出来なかったというような場合はその限りではありません。また声を出すべきサラーにおいてイマームに従う者も同様です。

●    もしアル=ファーティハ章を知らない場合は、どこからでもよいのでクルアーンの知っている箇所を読みます。もしクルアーンを全く知らない場合には、こう唱えるようにします:「スブハーナッラー、ワルハムド・リッラー、ワ・ラー・イラーハ・イッラッラーフ、ワッラーフ・アクバル、ワ・ラー・ハウラ・ワ・ラー・クウワタ・イッラー・ビッラー(いかなる欠陥や不完全性からも無縁のアッラーの崇高さよ。アッラーにこそ全ての賞賛あれ。唯一のアッラーの他に真に崇拝すべきものはありません。アッラーは偉大です。アッラーの他に諸事を司り事象を変転させる、いかなる威力もありません)」(アブー・ダーウードとアン=ナサーイーの伝承 )

●    集団礼拝に遅れてやって来てサラーに途中参加した者は、その参加した時点でのラクアがその者にとっての最初のラクアと見なされます。そしてイマームがタスリームした後、途中参加する前に過ぎてしまった分のラクアを完遂します。

●    サラーの最中、体の清浄さが失われてしまった場合 にどうするか?

サラーの最中に体の清浄さが失われてしまったり、あるいは体が清浄な状態にはなかったことを思い出したりしたら、その時点でサラーを中断します。

アーイシャ(彼女にアッラーのご満悦あれ)によれば、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「サラーをしている最中に(放屁して)体が清浄ではなくなってしまったら、鼻をつまんでそこを立ち去るのだ。」(アブー・ダーウードとイブン・マージャの伝承 )

●    サラーで何を読むべきか?

1-各ラクアでいずれのスーラ(クルアーンの章)を読むにしろ、そのスーラを最後まで読み切ること、またクルアーンに編纂されている順番通りにスーラを読むことはスンナです。また1つのスーラを2つのラクアに分割して読むことも可能ですし、1つのラクアに複数のスーラを読むことも、あるいは2つのラクアで同じスーラを繰り返し読むことも出来ます。クルアーンに編纂されている順番に逆行してスーラを読むことも出来ますが、それを常習的に行うべきではなく、時々行うのなら害はありません。

2-義務のサラーであれ任意のサラーであれ、スーラの最初から始めて読んでも、真ん中から始めて読んでも、後ろの方から始めて読んでも問題はありません。

●    サラーで沈黙すべき場所:

イマームであれ、イマームに従う者であれ、あるいは単独でサラーを行う者であれ、サラーには2箇所沈黙すべき箇所があります:

1箇所目は:タクビーラトゥ・アル=イフラーム 後で、サラー開始のドゥアー(祈願)を声に出さずに読むためです。

2箇所目は:クルアーンを読み終わった後からルクーゥの前までです。

そしてこの2箇所以外の沈黙‐例えばイマームがアル=ファーティハ章を読み終わった後に、他の者がそれを読むための時間を与えるために沈黙することなど‐には、法的根拠はありません。

●    サラー開始の際のドゥアー(祈願)には3種類あります:

最善のものは「(あらゆる欠陥や不完全性から遥かに無縁な)崇高なアッラーよ…」 のようにアッラーの讃美からなるもので、その次は「私は天地の創造主に、シルク を犯す者ではなく純正な信徒 として顔を向けました…」 のように、しもべがアッラーのイバーダ(崇拝行為)について語るもので、その次に来るのが「アッラーよ、あなたが東西の間を遠く隔てられたように…」のようにしもべのドゥアーからなるものです。

●    サラーを遅らせることに関する法的見解:

サラーを定刻から遅らせるのは禁じられていますが、正当な理由のもとにジャムゥ・タアヒール を行おうとする者、または何らかの大きな危険や病に直面している者などはその限りではありません。またサラーの最中に空を眺めることは禁じられています。

●    サラーにおいて忌避される行い:

以下に挙げることは、サラーの最中に忌避される行いです:

①    危険などの必要に襲われた場合を除き、振り向いたりすること。
②    目を閉じること。
③    顔を覆うこと。
④    (座位姿勢の時)犬のようにしゃがむこと。
⑤    無駄な動作。
⑥    腰に手を置くこと。
⑦    よそ見。
⑧    サジダ(伏礼)で両腕を地面につけること。
⑨    尿や放屁を我慢すること。
⑩    食欲をそそる食べ物が目の前にあり、しかもそれを食べることの出来る状態にあること。
⑪    両腕を組まずに垂らすこと。
⑫    口と鼻を覆うこと。
⑬    衣服をまくったり、髪を縛ったりすること。
⑭    あくび。
⑮    モスクで唾を吐くこと(それは罪であり、その償いは吐いた唾を取り除くことです。またそもそもキブラの方角に向かって唾を吐くことは、サラーの最中かどうかを問わず禁止されています)。

●    もし尿や放屁が我慢できそうになければ、それを解消してからウドゥー し、サラーし直します。もしその時水がなければ、タヤンムム をしてサラーします。

●    サラー中のよそ見に関する法的見解:

サラーの最中のよそ見は、シャイターン(悪魔)の仕業です。よそ見には①身体に関する感覚的なもの、と②心に関する精神的なもの、の2つがありますが、後者の対処策としては自らの左側に唾を3回吐き、かつ「アウーズ・ビッラーヒ・ミナッシャイターニッラジーム(私はアッラーに、呪われしシャイターン(悪魔)からのご加護を乞います)」と唱えることが挙げられます。また前者の対処策に関しては、気づいた時点ですぐさまキブラに向き直ることが挙げられます。

●    サラーにおいてストゥラ を用いること:

イマームであれ単独でサラーを行う者であれ、壁や柱、岩や棒、あるいは槍などをストゥラとして、そこに向かってサラーするのがスンナです。このことに関しては男か女か、旅行中かそうでないか、義務のサラーか任意かなどは問われることがありません。一方イマームに従ってサラーする者にとっては、イマームがストゥラの役割を果たすことになります。

●    サラーしている者の目の前を通過することに関する法的見解:

1-サラーをしている者とストゥラの間を通過することは、禁じられています。そのような場合、サラー中の者は通過しようとする者を押し返さなければなりません。もしそうしても通過されてしまったら、その時は罪はその者にあり、サラー自体の報奨は‐アッラーの思し召しと共に‐減ることはないでしょう。

2-イマームであれ単独でサラーを行う者であれ、ストゥラを用いていない時にその前を女性やロバや犬が通過した場合、そのサラーは無効となります。もしイマームと彼に従う者の間をそれらが通過しただけの場合は、イマームのサラーも彼に従う者のサラーも無効にはなりません。またストゥラに向かってサラーする者はその間を何者かに通過されないよう、出来るだけその間隔を狭めるべきです。

●    サラーにおいて両手を上げる箇所:

1-アブドッラー・ブン・ウマル(彼らにアッラーのご満悦あれ)は言いました:「私は、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)がタクビールによってサラーを開始し、その際に両手を肩の高さまで上げるのを見ました。そしてルクーゥに移る時のタクビールの際も、同様にしました。また“サミアッラーフ・リマン・ハミダフ(アッラーはかれを讃える者をお聞き入れになられよう)”と唱え(てルクーゥから起立姿勢に戻)る時にも同様にしました。そして(その時彼は)こう言いました:“ラッバナー・ワ・ラカ・アル=ハムドゥ(私たちの主よ、そしてあなたにこそ全ての称賛があります)”」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承 )

2-ナーフィゥによれば、イブン・ウマル(彼らにアッラーのご満悦あれ)はサラーを開始する際にはタクビールし、両手を上げました。またルクーゥに入る時にも両手を上げ、「サミアッラーフ・リマン・ハミダフ(アッラーはかれを讃える者をお聞き入れになられよう)」と言う時にも両手を上げました。また2ラクア目から立ち上がる時にも両手を上げました。そしてイブン・ウマルはこの行いを、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)から引き継いだものであるとしました。(アル=ブハーリーの伝承 )

●    サラー中に許されること:

1-以下のことはサラー中に許されます:

①    もし必要に迫られたら、ターバンや頭巾をかぶること。
②    衣服を体に巻きつけること。
③    上衣や頭巾の端を手で押さえること。
④    前後に動くこと。
⑤    説教台への昇降。
⑥    モスク以外の場所で、左側に唾を吐くこと。あるいはモスクでも手巾や衣服などに唾を出すこと。
⑦    蛇やサソリなど危険な生き物を殺すこと。
⑧    子供を抱きかかえること。
⑨    酷寒などの理由で、衣服やターバン、頭巾などの上でサラーすること。

●    サラーしている最中に何かの許しを請われたら、「スブハーナッラー(あらゆる欠陥や不完全性から遥かに無縁な)崇高なアッラーよ」と唱えることが許可の代わりとなります。これは男性の場合で、女性の場合は両手を叩いて許可の代わりとします。

●    サラー中でもくしゃみが出たら、アッラーを讃える のがよいでしょう。またサラーしている最中に何か新しい恩恵がもたらされたら、両手を上げてアッラーを讃えても構いません。

●    単独で声を出すサラーをしている者は、タアミーン の際にも声を出します。また単独で声を出さないサラーをしている者は、タアミーンも声を潜めるようにします。

●    単独でサラーする者が声を出すことに関しての法的見解:

男女の別なく単独でサラーする者は、声を出すべきサラーをする際に声を出して行うか、あるいは声を潜めて行うかを選択することが出来ます。但し睡眠中にある者や病人など、そうすることで誰か傍にいる者に迷惑がかかりそうな時、またマハラム ではない男性が傍にいる時の女性などは、声を出さずに行うべきです。