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イスラームの柱

イスラームの柱について、説明してください。
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アッラーに讃えあれ。 イスラームは、アッラーの使徒(かれに平安とアッラーのご加護を)が我々に説明した五つの柱を元にしている。「イスラームは5つの柱の上に建てられている。アッラーの外に神はなく、ムハンマドはアッラーの使徒であると告白すること、定めの礼拝(サラート)を守ること、ザカートを払うこと、ハッジ(巡礼)とラマダーンに断食することである。」 (認証済み:アル・ブハリの伝承-No.8) イスラームは信仰と法律の両方である。アッラーとその使徒は、ハラールとハラーム、道徳と善き振る舞い、敬神の行動、人との付き合い方、権利と義務、復活の日の様子を我々に教えた。アッラーがこの宗教を完成した時、人類最期の時が来るまで、人類全体の生き方としてこれを選んだのである。 「今日われはあなたがたのために、あなたがたの宗教を完成し、またあなたがたに対するわれの恩恵を全うし、あなたがたの教えとして、イスラームを選んだのである。」 [食卓章 5:3 – 意味の解釈] イスラームの柱とその基本原則がある。 第一の柱:シャハーダ(二組の信仰告白) アッラーだけが主、統治者、管理者、創造者、提供者であると信じることを意味する。アッラーが自ら定め、かれの預言者がかれのために確信する、かれの最も美しい名前と、アッラーに付帯する崇高なる特性を確信することである。他の何ものでもない、アッラーだけが、唯一崇拝の対象であると信じることである。アッラーは仰せられた: 「かれは天と地の創造者であられる。かれは配偶もないのにどうして子を持つことができようか。かれは万有を創られた。かれは凡てのことを知っておられる。 それがアッラー、あなたがたの主であられる。ラーイラーハイッラーフワ(かれの外に崇められる権利を持つものはいない)、凡てのものの創造者である。だからかれ(だけ)に仕えなさい。かれは凡てのことのワキール(受託者、物事の管理者、守護者)であられる。」[家畜章 6:101-102] そしてアッラーが使徒ムハンマド(かれに平安とアッラーのご加護を)を送り、彼にクルアーンを啓示し、人類全体にこの宗教を伝えるように命じた。アッラーとその使徒を愛し、かれらに従うことが全人類に課せられた義務であると信じ、アッラーの愛は、使徒(かれに平安とアッラーのご加護を)に従うことによってのみ得られると信じることである。 「(ムハンマドよ、人間に)いってやるがよい。『あなたがたが(本当に)アッラーを敬愛するならば、わたしに従え(イスラームの一神教を受け入れ、クルアーンとスンナに従うこと)。そうすればアッラーもあなたがたを愛でられ、あなたがたの罪を赦される。アッラーは寛容にして慈悲深くあられる。』」” [イムラーン家章 3:31 – 意味の解釈] 第二の柱:サラート(礼拝) ムスリムは、アッラーが成人の健全なムスリム全員に昼夜5回の礼拝を命じたことを信じている。清めをしてから主の御前に立ち、純潔と謙譲の状態で、主の恩寵に感謝し、かれの恵みを請い、罪の赦しを求め、天国に入れていただけるように願い、地獄からお守りいただくように祈願する。 昼夜行われる5回の義務の礼拝はファジャル(日の出前の早朝)、ズフル(昼間、正午過ぎ)、アスル(午後)、マグリブ(日没直後)、イシャーア(夜、暗くなってからの礼拝)である。キヤーマル・ライル(夜の礼拝)、タラウィーの礼拝、ドハの礼拝の2ラカートなど、スンナの礼拝がある。 ファルドやナアフィルの礼拝は、個人的な礼拝としてアッラーにだけ誠実に向かうことを意味する。アッラーはすべての信者に礼拝の義務を厳しく守ることを命じている。かれ曰く (意味の解釈): 「サラート(礼拝)(5回の義務の礼拝)を、特に中間のサラート(最も良い礼拝、アスル)を謹厳に守れ。そして敬虔にアッラーの御前に立て(礼拝の間に他の者に話し掛けるな)」[雌牛章 2:238] 1日5回の礼拝はあらゆるムスリムの男女にとって、昼夜の義務である。 「本当に、サラート(礼拝)は、信者に対し定められた時刻の掟がある。」[婦人章 4:103 – 意味の解釈] 礼拝を捨てた者はイスラームで共有するものはない。それをわざと無視する者は、カーフィルである。アッラー曰く (意味の解釈): 「(そしていつも)悔悟してかれに(だけ)返り、かれを畏れ義務を果たしなさい。(イカーマ‐義務の)サラートの務めを守り、ムシュリキーン(多神教徒、偶像崇拝者、アッラーが唯一であることを信じないもの)の仲間になってはならない。」[ビザンチン章 30:31] イスラームは、協力、同胞意識、愛を基本しており、これらの善行を達成するため、これらの礼拝に集まることを命じている。預言者 (かれに平安とアッラーのご加護を) の言葉によると「集団礼拝は一人で祈るよりも27倍も優る。」 (ムスリムの伝承、 no. 650) 礼拝は信者たちが苦難と災難に遭遇する時に助けとなる。アッラー曰く(意味の解釈): 「忍耐とサラート(礼拝)によって、(アッラーの)御助けを請い願いなさい。だがそれはアル・カアアシウーン(アッラーの真の信者、アッラーに凡てを捧げて服従するもの、かれの処罰を恐れ、かれの約束(天国)とかれの警告(地獄)を信じるもの)でなければ本当に難しいことだ。」.[雌牛章 2:45] 1日5回の礼拝は罪を清める。預言者(かれに平安とアッラーのご加護を)は申された。「それぞれのドアの前に川があり、毎日5回入浴しなければならないとすると、何か汚れが残ると思いますか。」人々は「いいえどんな汚れも残らないでしょう。」と答えた。彼はさらに「それこそが毎日5回の礼拝のようなものである。アッラーは礼拝によって罪を消し去るのである。」 モスクでの礼拝は天国に入る手段である。預言者(かれに平安とアッラーのご加護を) は申された。「モスクに来る者は誰でも、そのたびに、アッラーは彼のために天国の家を準備される。」 (ムスリムの伝承、 no. 669) 礼拝はしもべとその創造者を一緒にする。それはアッラーの使徒(かれに平安とアッラーのご加護を)の喜びであった。何か辛いことがあると、彼は礼拝に赴き、主と対話し、かれに助けを求め、かれの赦しを請い、かれの恩恵を願った。 謙虚さとアッラーへの畏怖を持って正しく行われる礼拝は、ムスリムを主に近づけ、邪悪から遠ざける。アッラー曰く (意味の解釈): 「(ムハンマドよ)あなたに啓示された啓典(クルアーン)を読誦し、サラート(イカーマ‐義務のサラート)の務めを守れ。本当にサラート(礼拝)はアル・ファハシャ(あらゆる種類の重大な罪、不正な性行為)と、アル・ムンカール(不信心、多神教、あらゆる種類の悪事)から遠ざける。」[蜘蛛章 29:45] 第三の柱:ザカート(貧者への施し、慈善税) アッラーが肌の色、態度、知識のレベルの異なる人々を創造したように、かれらの行動や持物も異なる。ある者は金持ちで、ある者は貧しい。富者は感謝の念を示すかどうかを試され、貧者は忍耐力を試される。信者たちは同胞であり、同胞は共感、親切心、愛、慈悲を元にしているため、アッラーは、富者から貧者に与えるザカートの義務をムスリムに課した。アッラー曰く (意味の解釈): 「かれらの財産からサダカ(施し)を受け取らせるのは、あなたが彼らをそれで清めて罪滅ぼしさせ、彼らのためにアッラーに祈るためである。本当に、あなたの祈りはかれらのへの安らぎである。」[悔悟章 9:103] ザカーとは財産を浄化し、魂を吝嗇から救う。富者と貧者の間の絆を強め、憎しみを取り去り、治安を広め、ウンマ(ムスリム共同体)に幸福をもたらす。 アッラーは毎年ニサブ(最低量)を持つものすべてにザカートの義務の支払を命じた。金、銀、その他の金属、商品へのザカートの割合は2.5%である。農産物や果物では、灌漑によるもの(人工的な手段によるもの)は10分の1、灌漑のよらないもの(雨や自然によるもの)は5%である。アナームの動物(羊・山羊・家畜・ラクダ)は、詳しい内容がフィクの書物に書いてある。ザカートを支払うものは、アッラーがその罪を贖い、その富を祝福し、大いなる報奨を蓄積する。アッラー曰く(意味の解釈): 義務のサラート(イカーマット・サラート)を行い、ザカート(定めの喜捨)をしなさい。あなたが自分の魂のために行ったどんな善事(アッラーが愛でられる行い)、アッラーの御許で見出されるであろう。誠にアッラーは、あなたがたの行うことをご存知である。」[雌牛章 2:110] ザカートを差し控えることは、ウンマに災難と悪をもたらす。アッラーは、ザカートを差し控える者に対して、復活の日に痛ましい懲罰を与えると警告する。かれ曰く(意味の解釈): 「あなたがた信仰する者たちよ、ラビ(ユダヤ人の律法学者)や(キリスト教の)修道士の多くは偽って人々の財産を貪り、(かれらを)アッラーの道(イスラームの一神教であるアッラーの宗教)から妨げている。また金や銀(アル・カンズ‐お金、支払われなかったザカート)を蓄えて、それをアッラーの道のために施さない者もいる。かれらに痛ましい懲罰を告げてやれ。 その日、それら(アル・カンズ:お金、金銀、支払われなかったザカート)は地獄の炎で熱せられ、かれらの額や脇腹や背に、焼印で押されるであろう(そしてかれらに告げられる)。『これはあなたがたが自分の魂のために、蓄積したものである。だからあなたがたが蓄積したものを味わえ。』」 [悔悟章 9:34-35] 隠れてザカートを与えることは、人々の前で支払うよりもよいことである。アッラー曰く (意味の解釈): 「あなたがたはサダカ(施し)を、露わにしても結構だが、人目を避けて貧者に与えれば更に良い。(アッラーは)あなたがたの罪悪の一部を払い清めるであろう。アッラーはあなたがたの行うことを熟知されておられる。」o [雌牛章 2:271] ムスリムがザカートを払う時、アッラーがアヤの中で述べた者以外に与えることは許されない。 (意味の解釈): 「サダカ(ここではザカート)はフカラー(貧者)、アル・マサーキーン(困窮者)、(基金を)集金を管理するもの、そして(イスラームに)心が傾いてきた者のため、身代金や負債の救済のため、アッラーの道のため(ムジャヒディーン:聖戦を戦うもの)また旅人(何も持たない旅人)のためにある。これはアッラーによって課せられた義務である。アッラーは全知にして、英明であられる。」[悔悟章 9:60] 第四の柱:ラマダーン月のサウム(断食) 断食とは、断食する意図をもって、日の出から日没まで、食べ物、飲み物、性交など断食を破るものを控えることである。 忍耐と信仰の関係は、頭と体の関係と似ている。アッラーは、ウンマに1年の内1ヶ月間断食することを命じた。それは アッラーに近づくためであり、アッラーが禁じることを避け、我慢することに慣れ、ナフス(自分自身)を制御し、寛容さを競い、協力と相互の共感を見せるためである。アッラー曰く(意味の解釈): 「信仰する者よ。あなたがた以前の者に定められたようにあなたがたにサウム(斎戒)が定められた。おそらくあなたがたはムッタキーン(敬虔なもの)になるであろう」[雌牛章 2:183] ラマダーンの月は、アッラーがクルアーンを啓示した偉大な月である。善行、慈善や敬神の行為への報奨はこの月には、倍増される。その中には、数千の月よりも優れたライラトル・カドルがある。天国の門は開かれ、地獄の門は閉ざされ、シャイターン(悪魔)は拘束される。 アッラーはラマダーンの月の断食をムスリムの成人男女すべてに、義務とした。かれ曰く(意味の解釈): 「ラマダーンの月こそは、人類の導きとして、また導きと(正邪の)識別の明証としてクルアーンが下された月である。それであなたがたの中、ラマダーンの月に(家に)いる者は、この月中サウム(断食)をしなければならない。病気の者、または旅路にあるものは、後の日に、(断食できなかった)同じ日数を(断食しなければならない)。アッラーはあなたがたに易きを求め、困難を求めない。これはあなたがたが定められた期間を全うして、導きに対して、アッラーを讃える(タクビール:アッラーフ・アクバル:アッラーは最も偉大である)ためで、恐らくあなたがたはかれに感謝するであろう。」 [雌牛章 2:185] 断食にはアッラーの偉大な報奨がある。預言者(かれに平安とアッラーのご加護を) は申された。「アダムの息子の行為はすべて倍増される。ひとつの善行は10倍から700倍の報奨を受ける。アッラーは『断食は例外である。それはわれのために行われており、その報奨を与える。自分の欲望と食べ物をわれのために絶つからである。』と申された。」(ムスリムの伝承、アル・シアーム) 第五の柱:ハッジ(巡礼) アッラーはムスリムにキブラ(礼拝の方向)を与えた。ムスリムはどこにいようとも、その方向に向かって礼拝(サラート)し、嘆願(ドウア)をする。このキブラはマッカ・アル・ムカッラマにある古代の館(カーバ)である。: 「あなたの顔を(メッカの)アル・マスジド・アル・ハラームの方向に向けなさい。あなたがたはどこにいても、(礼拝の時)あなたがたの顔をキブラに向けなさい。」 [雌牛章 2:144 –意味の解釈] ムスリムは世界中に広がっており、イスラームは人々に団結と互に知り合うことを求めている。善行と篤信によって協力を呼びかけ、お互いに真実を勧め合い、人々をアッラーの道に呼びかけ、アッラーの儀式を尊ぶために、アッラーは資力のあるムスリム成人に、アッラーの古代の館を訪れ、その周りを回り、アッラーと預言者が説明するようにハッジの儀式をすべて行うことを義務として命じた。アッラー曰く(意味の解釈): 「この家(カーバ)へのハッジ(メッカへの巡礼)は(乗り物、必需品、住居で)そこに赴ける人々に課せられたアッラーへの義務である。背信者(ハッジ、メッカへの巡礼を否定する者は、アッラーを信じないもの)があっても、アッラーはアアラミーン(人間、ジン、あらゆる創造物)を必要とせず、完全に自足されている。」 [イムラーン家章 3:97] ハッジは、ムスリムの統一、力と誇りが表明される時である。主は唯一、啓典は一つ、最後の預言者は一人、ウンマはひとつであり、かれらの崇拝は一つであり、かれらの服装も一つである。 ハッジでは、ムスリムが守らなければならない作法と条件がある。口を慎むこと、アッラーが禁じていることを見聞きしないこと、誠実な意図をもつこと、(ハッジのために)まともな資金源から得たお金を使うこと、良い態度を養うこと、性交・罪・不要な口論などハッジを無効にする行為をすべて避けることである。アッラー曰く(意味の解釈): 「ハッジ(巡礼)は周知(太陰暦)の数月(イスラーム暦の10月・11月・12月の10日までの2ヶ月10日間)である。(イフラームによって)それでその間に巡礼の務めを果たそうと決心した者は、巡礼中、(妻との)猥褻な行為や不道徳な行為を慎み、また論争をしてはならない。あなた方の行う善いことを、アッラーは知っておられる。旅の準備をしなさい。だが最も優れた準備はタクワ(篤信、敬神)である。あなたがた思慮あるものよ、われを畏れなさい。」[雌牛章 2:197] ハッジを定められた方法で正しく、アッラーのために誠実に行えば、罪の贖いになる。預言者 (かれに平安とアッラーのご加護を)は申された。「アッラーのためにハッジを行うもの、性交をしないで、罪を犯さないものは、母親の背中に背負われていた時のように戻ってくる。」(ブハリの伝承、 no. 15210)
ウスーラル・ディーン・アル・イスラーミ、シェイク・ムハンマド・イブン・イブラヒーム・アル・トゥアウィジュリによる