大きな共同体が信仰するもののなかでも、これほど理解しやすく、励みとなる宗教は他にありません。心の平穏と人生への満足感への道として、これよりも良いものも、死後である将来への約束としてこれより偉大なものもありません。
人間は、全体の一部に過ぎません。人は偉大かつ完全なる創造の中の一片であること以外は主張することは出来ません。それゆえ、人は全体、そして他の生命に対する役割を果たすことのみによって生きる目的を達成することが出来るのです。人生を目的あるものとするのは、一片と全体との調和関係であり、それは完全性に近づけ、人に満足感と幸福感をもたらすのです。
創造主と被造物の関係において、宗教はどのような位置を占めるのでしょうか? 以下は、著名人による宗教に対しての見解です。
「人の持つ宗教は、その人物に関する最も顕著な情報である。それはその人物が信じ、実践するものであり…それはその人物の心に宿り、この世界と自らの関係、任務、運命を確信・確立させるもの…それが宗教なのである。”(トーマス・カーライル「Heroes and Hero-sorship〔英雄と英雄崇拝〕」
“宗教は、人が自らの存在、またはあらゆるものの存在において意味を見出す究極の真理である。”(ギルバート・ケイス・チェスタートン「Come To Think of It〔思想の変化〕」)
“宗教とは無知に対して不可知の何たるかを説く、希望と恐れの所産である。”(アンブローズ・ビアス「The Devil’s Dictionary〔悪魔の辞典〕」)
“真の宗教はすべて、世界の王の御意に従い、かれの宣言を信用し、かれの完全性を模倣し、確信することによって構成されている。”(エドマンド・バーク「Reflections on the Revolution in France〔フランス革命の省察〕」)
“すべての宗教は、人生に関わることであり、そして宗教の人生とは善行に尽くすことである。”(スウェーデンボルグ「Doctrine of Life〔人生の教義〕」)
“あらゆる人間には、恐怖であれ慰安であれ、ある程度の宗教観が備わっている。”(ジェームズ・ハリントン「Oceana〔オセアナ〕」)
人間は誰しも、折に触れて、未知なるもの・不可解なものと直面します。彼の存在目的がそうさせるのです。自問することにより、彼は信仰・確信を創り出します。それは最も広義な「宗教」と言えるのではないでしょうか。
まず第一に、それは全体、つまり創造主について教えるからです。
“言え、「かれはアッラー、唯一なる御方であられる。アッラーは、自存され、御産みなさらないし、御産れになられたのではない、かれに比べ得る、何ものもない。」”(クルアーン112:1—4)
“あなたがたはアッラーの許に帰るのである。かれは凡てのことに全能であられる。”(クルアーン11:4)
クルアーン全体を通して、私たちは「不可分」「不滅」「無限」「全能」「全知」「最も公正な御方」「援助者」「慈悲深き御方」「慈愛深き御方」である創造主の唯一性について思い起こさせられます。それゆえ、全体が現実となるのです。私たちはかれとの満足のいく関係を築きあげるよう求められます。
“あなたがたは、一度死んだ大地をアッラーが甦らされることを知れ。われは種々の印をあなたがたのために明示した。恐らくあなたがたは悟るであろう。”(クルアーン57:17)
“言え、「ご加護を乞い願う、人間の主”(クルアーン114:1)
神を認識して信じ、共同体のなかで幸福な暮らしをするためには、神によるメッセージを信じなければならないと議論することが出来ます。父はその子供たちを導くのではないでしょうか? 彼は、調和と共に暮らすために、自分の家族の生活を整えるのではないでしょうか?
イスラームは、過去の諸宗教の真理を回復すると主張する、唯一の宗教です。それは、クルアーンによってもたらされた導きが明白かつ理解しやすく、理にかなったものであると主張するのです。創造主と被造物の間に満足のいく関係を築きあげることが出来るようにすることによって、肉体的と精神的な力の協調を発揮し、内的・外的な力を同一にし、私たちの中には平穏がもたらされるのです。それは、個人と他者との調和の確立において最も重要な要素であり、完璧さの追求における重要な条件なのです。
キリスト教は、人生における精神的な側面を協調します。それはキリスト教徒のそれぞれに大きな重荷・責任となる「愛」について教えるのです。もしも、その達成が人間性の範疇に収まらず、理性・知性に矛盾したものであれば、完全な愛は失敗が運命付けられています。ただ、人間の対立についての深い知識があり、それと共に同情心、理解、責任感を併せ持つ者だけがキリスト教の原理の完璧な実践に近づくことが出来るのです。また、たとえそうなったとしても、その人物は愛を優先し、理性を葬り去らなければなりません。サミュエル・テイラー・コールリッジは、「Aids To Reflection(熟考の糧)」のなかでこう述べています。「真実よりもキリスト教の方を愛し始める者は、キリスト教そのものよりも、自らの属する教会の宗派を愛すようになり、他の何よりも自分自身を最も愛するはめになるであろう。」
イスラームは私たちに神に敬意を払うよう、そしてかれの法に従うよう教え、私たちが自らの理性だけでなく、愛情と理解力を駆使することを激励します。人種・国籍・社会的地位を問わず、被造物へ全体へのメッセージであるクルアーンにおいて神が命じることは、以下のものです。
“言ってやるがいい。「人びとよ、主から、あなたがたに真理が齎されたのである。導かれる者は、只自分を益するために導かれ、迷う者は、只自分を害するために迷う。わたしは、あなたがたの後見人ではない。」”(クルアーン10:108)
大きな共同体が信仰するもののなかでも、これほど理解しやすく、励みとなる宗教は他にありません。心の平穏と人生への満足感への道としてこれよりも良いものも、死後である将来への約束としてこれより偉大なものもありません。
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