記事について

著者 :

عائشة ستاسي

日付 :

Mon, Aug 11 2014

カテゴリー :

Biographies & Scholars

ダウンロード

預言者ロトの物語

預言者ロトの物語

IslamReligion.com

(前半):ソドムの時代

 

神が預言者たちを各民族に遣わしたのは、唯一なる神のみを崇め、そこに何者をも並べてはならないという同一の教えに基づいたものでした。そして最後に、神は預言者ムハンマドを全人類に対して遣わしています。彼の携えた教えはそれ以前と同じものでしたが、彼はあらゆる時代・場所、さらには審判の日まで適用されることの出来る、全人類への新たな法をもたらしたのです。クルアーンの様々な章句の啓示には、預言者と追従者たちに起きた特定の出来事や経験に対しての回答が多々ありました。クルアーンの中で語られている物語は、教訓として、また人類の歴史的背景を提供するものとして、そして神の性質を示すものとして機能します。預言者ロトの物語は特に、21世紀においても関連性の高いものです。

世界中の多くの都市には、日中でさえ外を出歩くのが危険な場所があります。それらの場所では殺人が頻発し、個人情報が盗まれ、麻薬が蔓延しているのです。近年では欧米諸国の高校生たちの大半が、既に麻薬の使用者や売人らと何らかの形で遭遇しています。アルコールは家庭崩壊・家庭内暴力・反社会的行為の主因ですが、近所の店で手軽に入手出来ます。児童ポルノや人身売買から分かるよう、小児性愛もはびこっています。堕落した生活は容認され、普通であるとさえ見なされます。これらの記述は、恐ろしい、統制の取れなくなった世界観を描きますが、預言者ロトの時代とそう違うものなのでしょうか?

ロトの民が生きた社会は、私たちの時代と非常に似通っています。社会は腐敗し、人々は羞恥心に欠け、犯罪者や犯罪行為は巷に溢れ、ソドムの街を通る者は強盗や身体的被害の危険に晒されていました。街の空気は、健全な社会のそれではありませんでした。ロトの民には倫理観、道徳的模範、羞恥心がありませんでした。蔓延していた同性愛は、影で行われていたわけではなく、認められたライフスタイルの一部となり、性的不道徳と腐敗を助長していました。神はこの街に預言者ロトを遣わしたのです。彼の教えは、唯一なる神のみを崇拝せよ、というものでした。崇拝するということには、神の戒律にすすんで従うことが必然的に伴います。ソドムの民は、彼ら自身の腐敗した生活に満足しており、それを放棄する意思などありませんでした。ロトは彼らにとっての厄介者となり、彼の言葉は無視されたのです。

預言者ロトは、人々に犯罪行為やみだらな態度を止めるよう呼びかけましたが、彼らはその言葉に耳を傾けることを拒みました。ロトは人々に敢然と立ち向かい、叱責しました。彼は彼らの堕落性や犯罪行為、不自然な性的指向について指摘しました。

 “あなたがたは主を畏れないのですか。本当にわたしは、あなたがたへの誠実な使徒です。だからアッラーを畏れ、わたしに従いなさい。わたしはあなたがたにこのことで報酬を求めません。わたしへの報酬は、唯々万有の主から(いただく)だけです。”(クルアーン26:161−164) 

過去20〜30年程前から、同性愛が一般的なライフスタイルとして語られることが多くなり始めましたが、神の法、そして3大天啓宗教(ユダヤ教・キリスト教・イスラーム)において、それは認められていません。同性愛者は遺伝子レベルでそれが決められているといった新奇な概念も、イスラームによって否定されます。クルアーンでは、ソドムの民が性的逸脱を最初に行った人々であると明確に記述されています。

 “あなたがたは、あなたがた以前のどの世でも、誰も行わなかった淫らなことをするのか。あなたがたは、情欲のため女でなくて男に赴く。いやあなたがたは、途方もない人びとである。”(クルアーン7:80−81) 

ソドムの民は、羞恥心を感じることがなくなる程までに堕落を極めました。彼らは公共の場であるかどうかを問わず、不自然な性的行為に耽りました。彼らの間にはサタンがおり、常々そうであるよう、サタンは彼らの行為を華々しく見えるよう仕向けました。ロトが彼らの邪悪な生き方を変えるよう要求したとき、彼らはあたかも彼ら自身が正義の側で、ロトが大罪を犯している者であるかのように、彼を追放しようとしました。ソドムの民はロトにこう言ったのです。いい加減止めないなら、ルート(ロト)よ、あなたは必ず追放されるでしょう。”(クルアーン26:167ロトは怒りをあらわにし、彼とその家族をソドムの民の悪業から救出してくれるよう、神に呼びかけました。

一方、別のある場所では、預言者ロトの叔父にあたる預言者アブラハムが、3人の客人を迎えていました。その寛大さで知られる預言者アブラハムは、仔牛を丸焼きにして彼らをもてなしましたが、彼らは食べようとはしませんでした。それは非常に異例なことであるため、彼はうろたえました。旅行者は空腹なのが常であり、これら3人がもてなしを拒んだことは、預言者アブラハムを不安にさせました。客人たちは彼の不安な様子を見て、それを解消させようとしました。彼らはこう言ったのです。“恐れることはない。”(クルアーン15:53)彼の恐怖心は落ち着き、預言者アブラハムは客人たちが訪れた用件について尋ねました。彼らはこう言いました。“わたしたちは罪深い民に遣わされた。”(クルアーン15:58)

ソドムの民は腐敗した、悪業が容認されると信じた人々でした。残念ながら21世紀における私たちは、無知と悪に対して非常に馴染んでおり、それらに対して正しい態度で対応することが出来なくなりました。人は悪い態度を言い訳して正当化しますが、実際に人々が公に、そして継続的に神に背き、敬意を払わなければ、私たちは憤慨すべきなのです。天使たちは預言者アブラハムのもとを発ち、預言者ロトとその家族の住む、ソドムの街へと向かいました。

(後半):ソドムの破滅

預言者ロトは、周囲の人々の邪悪な行いや不道徳な態度によって害を被っていましたが、忍耐強く教えを説き続けていました。彼は人々に生き方を改め、唯一なる神に従いつつ崇めるよう呼びかけました。しかし、街の人々はロトを愚弄して嘲笑し続けただけでなく、神の懲罰を見せてみるよう彼に挑みました。

 “あなたが真実を言うのなら、わたしたちにアッラーの懲罰を齎してみなさい。”(クルアーン29:29)

ロトは深く失望し、こうした罪深い不道徳な者たちへの勝利を授けてくれるよう神に懇願しました。

ロトが祈りを捧げていたとき、使徒(天使)たちは預言者アブラハムと共におり、彼らはアブラハムにロトとその民に対する彼らの使命について告げ知らせました。彼らはこう言いました。

 “わが使徒(天使)たちが、吉報を持ってイブラーヒーム(アブラハム)の許に来た時、かれらは言った。わたしたちは、この町の人びとを滅ぼそうとするところである。本当にここの住民は、悪を行う者たちばかりである。”(クルアーン29:31)

もうじき破滅を迎えるであろうソドムの街に甥のロトがいることを知ったアブラハムは、天使たちにこう言いました。“しかしそこにはロトがいます!” すると彼らは言いました。

 “わたしたちは、誰がそこにいるかを熟知している。落伍者であるかれ(ロト)の妻の外は、かれもその家族をも必ず救うであろう。”(クルアーン29:32)

著名なイスラーム学者、イブン・カスィールによると、使徒たちがソドムの街に近づくと、かれらは近くの川でロトの娘に遭遇しました。彼女はかれらの美しさに驚愕し、怖れさえ感じた程でした。彼女は預言者ロトの許可なしにかれらが街に入る代わりに彼を直接連れてくるので、川で待っているよう彼らに告げました。よそ者について知ったロトは、いかにして彼らを街に入らせずに遠回りさせ、彼らの旅を続行させることが出来るかについて頭を悩ませ、考え込みました。彼は使徒たちに街の人々の性質を理解させようとしましたが、街に入る前に一晩だけ待機させるということしか彼らを説得出来ませんでした。

預言者ロトは、安全な彼の自宅に使徒たちを何事も無く連れ込むことに成功しました。しかし、ロトの妻は裏口から忍び出し、ロトの家に二人の美しい男性がいることを人々の告げたのです。噂は瞬く間に広まり、やがて人々はロトの戸外に集まり、扉を叩いて彼の客人を見せてくれるよう要求していました。扉の外に集まった群衆の原因が彼の妻であることを悟ったロトはひどく苦悩しつつも、群衆に神の懲罰を怖れ離散するよう頼みました。彼は彼らに対し、性的欲求を合法的な方法によって満たすよう何度も訴えかけました。

 “わたしの人びとよ、ここにわたしの(民の)娘たちがいる。あなたがたにとっては(彼女たちと合法的に結婚することが)最も清浄である。アッラーを畏れなさい。わたしの賓客に関して、わたしに恥をかかせないでくれ。あなたがたの中に、正しい心の者が一人もいないのか。”(クルアーン11:78)

ロトの物語は、バイブルとクルアーンの双方に収められており、大部分が共通しています。ただしイスラームでは、預言者ロトが自らの娘を差し出したという考え方が否定されています。イスラーム学者たちは、ロトが「娘たち」という言葉を使ったのは、ソドムの民の女性たちの意味でそうしたと説明しています。彼は、ソドムの民の男性たちが、合法的婚姻を通して性的欲求を満たすよう求めていたのです。

イブン・カスィールはその著書「諸預言者の物語」において、街の人々はロトの扉を破壊してなだれ込み、使徒たちを包囲したと述べています。ロトは彼らの前に為す術がありませんでしたが、彼らに対して引き続きその悪業を戒めていました。街の人々は嘲笑しながら言いました。“わたしたちがあなたの娘たちに、求める気のないことを、あなたはよく知っているはずである。またわたしたちが望むものもあなたに分かっている。”(クルアーン11:79)使徒たちはロトを安心させるためこう言いました。“ルート(ロト)よ、本当にわたしたちは、あなたの主の使徒である。”(クルアーン11:81)その言葉を聞いた街の人々は怖れを感じて解散し始め、そこにはロトの家族と使徒(天使)たちだけが残りました。

使徒たちは預言者ロトの恐怖を和らげると、彼の家族と支度を整えてその日の夜のうちにソドムの街から出るよう指示しました。ロトは家族の後方を歩き、誰一人としてソドムの街を振り返ったりしないようにしました。ロトの妻は街に残り、他の不義者や罪人たちと共に懲罰を受けることになりました。クルアーンはその懲罰について、恐ろしい叫び声と共に街が転覆され、泥の焼け石が降り注いだと述べます(クルアーン15:73−74)

懲罰は日の出と共に訪れました。神はこう述べます。

 “それでわれは、かれとかれの家族を凡て救った。後に残った、老女(ロトの妻)は別であったが。それから、われは外の者を滅ぼした。われは、(石の)雨をかれらの上に降らせた。警告されていた者たちには、災厄の雨であった。本当にこの中には、一つの印がある。だがかれらの多くは信じない。”(クルアーン26:170−174)

このようにして、ロトの民についての幕が閉じられています。彼らは、歴史の一ページからその名を抹消されたのです。神の約束通り、ロトが警告した懲罰は実現しました。神の約束が反故にされることは決してありません。神は、不義者へは厳しい懲罰を、実直な者たちへは天国を約束されています。ロトが家族と共に朝焼けの中に歩みを重ねたとき、クルアーンはそこで彼らについての言及を終えるのです。