記事について

著者 :

عائشة ستاسي

日付 :

Tue, Aug 19 2014

カテゴリー :

Morals & Ethics

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衛生管理

衛生管理

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(前編):清潔さは信仰の半分である

世界中のムスリムは、極めて高い水準の衛生管理に通じていますが、それはイスラームが肉体的・精神的な清浄性に重きをおく宗教であるからです。人は一般的に、清潔であることを肯定的に捉えますが、イスラームはそれに対してこだわりを見せます。ムスリムは衛生的観点から、身なりを整え、身体、衣服、そして自身の周囲が清潔であることが求められています。預言者ムハンマド(神の慈悲と祝福あれ)は、教友たち、そして私たち全員に、清潔さの重要性についてこのように述べています。清潔さは信仰の半分である。1 またクルアーンは、より具体的にこう述べます。

 誠にアッラーは、悔悟して不断に(かれに)帰る者を愛でられ、また純潔の者を愛される。(クルアーン2222 

衛生管理は常に行うことが好ましいですが、その一部は重要であるだけでなく、義務付けられます。学者たちによれば、清潔性は3つに分けられます。つまり、礼拝を行うために身体を清める儀礼の浄化、次に身体・衣服・周囲を清潔に保つこと、そして歯・鼻腔・爪・脇・陰部周辺など、身体の各部位に蓄積する汚物を取り除くこととされます。

浄化の儀礼

清浄をアラビア語でタハーラといい、それは精神的・肉体的に不浄のない状態を意味します。清浄性は、礼拝に欠かすことの出来ない要素の1つです。精神的タハーラとは、罪・偶像崇拝を犯さない状態であり、かつ神の唯一性を信じている状態を指します。それは身体的清浄性と同様、重要なものです。人が神との「精神的つながり」を持つ礼拝に立つ前には、心の中に罪・傲慢さ・偽善がないことが確かにされなければなりません。それが達成されたなら、または最低限そう望まれたなら、肉体的不浄から自身を清めることが出来ます。それには通常、水が用いられます。

 信仰する者よ、あなたがたが礼拝に立つ時は、顔と、両手を肘まで洗い、頭を撫で、両足を踝まで(洗え)。あなたがたがもし大汚(ジャナーバ)の時は、全身の沐浴をしなさい。(クルアーン56 

義務ないし任意礼拝の前に、人は清浄な状態であることを確認しなければなりませんが、それはウドゥー(洗浄)かグスル(沐浴)をすることによって達成されます。ウドゥーは身体の小汚を取り除き、グスルは身体の大汚を浄化ます。グスルは性交後、または体液が放出されるような性的行為の後に行われます。グスルはまた、女性の月経または産後出血の完了時にも行われます。

ウドゥーによる儀礼の浄化には、手洗い、口と鼻腔のゆすぎ、洗顔、肘を含む両腕の洗浄、頭部を拭うこと、耳の裏側を含む両耳の洗浄、そしてくるぶしを含む両足の洗浄が含まれます。この手順は、以下の項目によってウドゥーが無効となるまでは、各礼拝ごとに繰り返される必要はありません。それらは主に、排尿、排便、放屁、深い睡眠、気絶、性的興奮による体液(カウパー腺液)の分泌などです。

預言者ムハンマド(神の慈悲と祝福あれ)の伝統から、ウドゥーを完璧にこなす人物は、その洗った部位から放たれる輝かしい光によって、審判の日に識別されるということが伝えられています2。 預言者ムハンマドはまた、環境に優しい方法でウドゥーを行うようにも説いています。当時、水は希少で、ウドゥーを正しく行うために彼は出来るだけ少量の水を使用するよう推奨したのです。一方、特定の状況では沐浴(グスル)が義務付けられ、水が身体の隅々まで満遍なく行き届くことが必要とされます。

儀礼の洗浄は特定の条件下のみにおいて、水なしでも施行されます。これはタヤンムム(乾式の浄化)と呼ばれるものです。必要量の水を確保出来ないとき、または、例えば怪我人や重病人にとって水の使用が危険となる場合、きれいな地表で代用することが出来ます。タヤンムムは、汚れのない地表に手を触れた後、手の甲を拭い、次に埃を吹き飛ばした後に、顔全体を拭います。この行為は、ウドゥーまたはグスルの代用として行われます。

 “…または旅路にあり、また誰か厠から来た者、または女と交わった者で、水を見つけられない場合は、清浄な土に触れ、あなたがたの顔と両手を撫でなさい。アッラーは困難を、あなたがたに課すことを望まれない。ただし、あなたがたを清めることを望み、またあなたがたへの恩恵を果される。恐らくあなたがたは感謝するであろう。(クルアーン56 

神は、かれを崇拝する人物が儀礼的に清浄であることをお望みですが、かれは慈悲深き御方であり、特定の例外をお認めにもなるのです。かれはクルアーンの2:286において、誰に対しても、その能力以上のものを負わせたりはしない、と述べています。それゆえタヤンムムとは、靴下・スカーフ・ターバンの上を拭うことが許されているのと同様の、特例措置なのです。

イスラームは、肉体的・感情的・精神的にバランスの取れた健康に対しての人類の必要性を考慮する、包括的な教えです。肉体的・精神的な衛生管理と清潔さは、心と身体の病気を予防します。清潔さとは、イスラームに内在する高度な水準と価値観において、重要な部分を占めているのです。

 


Footnotes:

1 サヒーフ・ムスリム

2 サヒーフ・ブハーリー

(後編):自然な方法

ムスリムは、人間は本来、神は唯一であることを生まれながらにして知っていると信じます。それは、本能的に創造主の存在と、人生とは本来、かれを崇拝し、ご満悦を得るためのものであることを認識している自然な状態のことです。この状態のことをアラビア語ではフィトラと言い、それは最も純粋で自然な状態と共に、この世に誕生することを意味します。預言者ムハンマドは、「全ての子は、神への正しい理解を持ったフィトラの状態で誕生するのである」1と述べています。

中世の高名なイスラーム学者・歴史家アッ=タバリーは、フィトラを「道」または「神の宗教」と説明しています。イスラーム宗教は、人生の包括的な生活規範です。それは感情的・肉体的・精神的な健康を含有し、人間の必要性を考慮します。衛生管理に関してフィトラに言及する場合、私たちは全般的な健康の向上のために行う事柄のことを指します。その一部の行動は神をご満悦させ、かつ人間にとっても有益な方法であるという、自然なものです。

預言者ムハンマド(神の慈悲と祝福あれ)の伝統には、衛生管理を維持させる自然な方法への忠言が含まれます。彼はこう述べています。「これら5つのものは、フィトラの一部である。陰部の剃毛、割礼、口ひげを短く刈り揃えること、脇毛の抜毛、爪を切ることである。」これらは、古代から続く自然な方法であり、すべての預言者たちが行い、彼らのもたらした法によって、その追従者たちにもそう命じたものだったのです。それでは、衛生管理と清潔さの観点から、フィトラにおける5つの行為をそれぞれ検証していきましょう。

陰部の剃毛

礼拝前には、不浄から清められていることが義務付けられるため、陰毛の除去は清浄さの維持を容易にします。預言者ムハンマドは抜毛を推奨しましたが、陰毛は各人にとって最も容易な方法によって除去されることが許されています。陰部周辺に生える毛は、一般的に非常に硬く太いため、用を足した後には微量の糞尿がそこに絡まり、付着することが多々あるのです。

ムスリムは、陰部・下着を可能な限り清潔に保つことが推奨されています。預言者ムハンマドは信仰者に対し、用便の後には左手で完全にきれいにすることを忠言しています。この部分を適切に清浄出来なければ、私たちの身体は尿路感染症などの、病気の温床となってしまいます。預言者ムハンマドの時代、人々は石や乾いた土などを使っていましたが、現在はトイレットペーパーが存在します。しかしながら、トイレットペーパーの使用だけでは事足りません。不浄物がトイレットペーパーによってすべて取り除かれたのであれば、可能な場合、水によって完全に洗われなければなりません。一般的にムスリムの家庭では、その目的でトイレの側に洗浄用ホースが設置されていたり、水差しが置かれてたりします。

割礼

イスラーム学者の多数は、割礼が危害をもたらす恐れのない限りは義務であるということに合意しています。割礼は、男性器先端を覆う皮膚を切除することによって、尿や不浄物からの洗浄を容易にします。これは皮を剥いだり、男性器そのものの一部を切ることとは関係なく、そうすることは意図的に危害を加えることであり、それはイスラームの教えに背くことになります。女性割礼は、イスラームにおける義務的儀礼ではありません。

口ひげの刈り揃え

預言者ムハンマドは追従者たちに対して、口ひげを短く刈り揃え、あご髭を伸ばさなければならないことを明確にしています4。口ひげが完全に剃られても良いのかどうかは学者間の意見相違がありますが、それが唇を越えて口の中に入らない程度に短くすることにおいては意見が一致しています。口まわりが清潔に保たれ、悪臭がしないようにすることは重要なことなのです。

脇毛の抜毛

脇毛の除去には抜毛が最善ですが、それは快適な方法ではないかも知れません。それゆえ、どのような除毛方法であっても容認されています。脇毛を処理することによって、汗や汚物が蓄積する部位をきれいに保つことが容易となります。そこは物陰となるため、湿り気が体毛と相まって、バクテリアにとって増殖に最適な場所となるのです。

爪切り

爪を短く保つことは、清潔さと衛生管理が主な理由です。汚れやバクテリアは爪の下に貯まり、料理の作業や医療環境を通して、容易に他人に移されるのです。長く汚れた爪は、非健康的かつ非衛生的です。

預言者ムハンマドは、彼の追従者たちが身だしなみを整え、衛生的であるように、最低でも40日ごとに脇毛や陰毛が処理され、爪と口ひげが短く保たれるよう命じました5。衛生管理は、イスラームにおいて重要なものです。神を正しく崇拝するには、心と身体の双方において健康であるよう努めることが必要です。身体的な清潔さは、精神的な清潔さと同様に重要なものです。イスラームは明確な規定を私たちにもたらします。私たちの目的は神を崇拝することであり、私たちのすべての行為は、神をご満悦させる意図をもって始めることが求められます。神のご満悦を得ることは究極的な目標であり、神はクルアーンの中で、純潔さを愛されると述べているのです。

 “誠にアッラーは、悔悟して不断に(かれに)帰る者を愛でられ、また純潔の者を愛される。”(クルアーン2:222) 

 

 


Footnotes:

1 サヒーフ・ムスリム

4 サヒーフ・ブハーリー

5 サヒーフ・ムスリム