イスラームにおける非ムスリムの権利

非ムスリムの一般的権利を保証するイスラームの教義について。

イスラーム国家における非ムスリム社会と、イスラームにおける非ムスリムの一般的権利について。

 非ムスリムのための人としての尊厳を保つ権利、またその歴史的先例と原拠。

イスラームにおける非ムスリムの権利

(1/13):イスラーム的基礎

序説

イスラームはムスリム・非ムスリムを問わず、すべての人々に慈悲をもたらす宗教です。預言者ムハンマドは彼のもたらした教えから、クルアーンにおいて「慈悲」であると表現されています。

 われは只万有への慈悲として、あなたを遣わしただけである。(クルアーン21107 

偏見なき清らかな心でイスラーム法について分析するのであれば、上の節によって述べられた慈悲の意味が明らかになるはずです。こうした典型的な慈悲を構成する要素の一つとしては、イスラーム法が他信仰の人々をどう扱うかについてであり、彼らの居住地が自国であるかムスリム国であるかを問わず、非ムスリムに対する寛容的姿勢は歴史の研究からも明白にうかがい知ることが出来ます。この事実はムスリムたちのみによって主張されていることではなく、多くの非ムスリムの歴史家たちによっても容認されていることなのです。ガイト総主教は述べています。

「主によって世界の統制を許されたアラブ人たちによる、我々への処遇はご存知のとおりです。彼らはキリスト教徒の敵ではありません。事実、彼らは我々の共同体を讃え、我々の聖職者・聖人たちに敬意を示し、教会・修道院の救援を申し入れたのである。」1

ウィル・デュラントは記しています。

「ウマイヤ朝時代、契約の民とされたキリスト教徒、ゾロアスター教徒、ユダヤ教徒、サービア教徒は、現在のキリスト教国家においても見出すことの出来ない水準の寛容性を享受していました。彼らは自由に宗教を実践でき、彼らの教会や寺院は保護されました。彼らは学者・裁判官による宗教法によって治められ、自治性を有していたのです。」2

ムスリムと他宗教の人々の公正な関係は、単にムスリムの為政者による政治的手腕によるものではなく、他宗教の人々に信教の自由を許すイスラームの教えの直接的結果によるものなのです。神はクルアーンにおいて、こう述べています。

 教には制があってはならない(クルアー2256 

イスラームは彼らの信教の自由だけでなく、彼らが人類の兄弟として公正に扱われることも説きます。イスラーム的社会における非ムスリムへの虐待を警告して、預言者はこのように述べています。

 をつけよ!誰であれ非ムスリムの少数派に対し酷にし、彼らの利を侵害し、彼らが耐えうるよりも多くの負担を課し、彼らの意思に反して何かを奪う者があれば、私(預言者ムハンマド)は審判の日、そういった人物にする不平を述べるであろう。(アブー・ダウード) 

こうした礼節は、現代においても異宗教だけに留まらず、外国人や異民族をも権利侵害・抑圧の対象とする大半の諸国家と比べ、いかにかけ離れたものでしょうか。多神教徒による支配期のマッカでムスリムたちが拷問の末に死に追いやられ、キリスト教ヨーロッパでユダヤ教徒たちが迫害され、様々な人々が特定の人種や階級を理由に隷属化させられていた頃、イスラームはその慈悲に基づいた教えから、人類に人間性という権利を与え、すべての人々と宗教に対する公正な処遇を呼びかけていたのです。

 


Footnotes:

1 Tritton, Arthur Stanley: ‘The People Of The Covenant In Islam.’ p. 158.

2 Durant, Will: ‘The Story Of Civilization.’ vol. 13. p. 131-132.

(2/13)

イスラームが他宗教の存在を許すことについては、様々な議論が繰り広げられてきました。イスラームが現実に説いていること、そして非ムスリムが実際にムスリム諸国に住んでいることを知らずに、ムスリムはすべての人々がイスラームを受け入れるまで戦い続けるのだという一部の意見は、イスラームに対する嫌悪感を作り出しています。

ムスリム社会に居住する非ムスリムは、三種類に分類されます。これらの分類を理解することは、イスラーム社会におけるムスリムと非ムスリムの関係についての理解を深めることに役立つはずです。

非ムスリムの分類

1.永住者

イスラーム法学者たちは非ムスリムの居住者たちを「契約の民」(アラビア語で「ズィンミー」、または「アハルッ=ズィンマ」)という用語で言及します。それは一部の人々が見なすような軽蔑的な用語ではありません。アラビア語の「ズィンマ」はムスリムの領土に住む非ムスリムのための保護条約を意味し、類似用語である「アハルッ=ズィンマ」は「契約の民」を意味し、それは預言者ムハンマドとムスリムたちによって差し伸べられた契約によって彼らが保護の対象となったことに基づいています1。非ムスリムはムスリム社会において、人頭税を支払い、イスラーム法において述べられる特定の法令を遵守する限りは保護が保証されます。この保護契約は特定の期間に限定されるものではなく、その対象となる人々が条件を満たす限り有効であり続けます2。「ズィンミー」という用語に潜む良き意図は、カリフ・アブー・バクル・アッ=スィッディークによるナジラーンの非ムスリムに宛てられた書簡から、うかがい知ることが出来ます。

 ‘慈悲あまねく慈愛深き神の御名において。本書は神の使徒、預言者ムハンマドの後継者、神の僕アブー・バクルによってしたためられたものである。彼(預言者)は保護を受ける隣人の権利をあなたがた自身、あなたがたの土地、あなたがたの宗教共同体、あなたがたの富、保有物、召使い、あなたがたの内の在住者、不在者、あなたがたの修道僧、聖職者、修道院を含むすべての所有物に対してその大小を問わず確約する。あなたはその中のいかなるものを奪われることも、また所有を制限されることもない・・・’4

もう一つの例としては、著名なイスラーム学者であるイマーム・アル=アウザーイー5による、アッバース朝の総督サーリフ・ブン・アリー・ブン・アブドッラーへ宛てられた、契約の民についての書簡があります。“彼らは奴隷ではない。したがって、自由民である彼らの身分を変更することについて注意しなさい。彼らは契約の民なのである。”6

その事実を認知して、ロン・ランドーはこう記しています。

 ‘被支配民にキリスト教への改宗を強制したキリスト教帝国とは対照的に、アラブ人たちは宗教的少数派を認知し、彼らの存在を受容しました。ユダヤ教徒、キリスト教徒、ゾロアスター教徒は契約の民として知られるようになりました。言い換えるなら、諸国家は地位の保護を享受することが出来たのです。’7

2.寄留者

この分類には二種類があります。

1)非ムスリム国家の居住者で、ムスリム国家に出稼ぎ、留学、ビジネス、外交的任務などによって一時的に滞在する中、決められた和平条約、国際協定、その他の機構によってムスリム側と和睦している者たちのこと。イスラーム法学者たちは彼らのことをアラビア語で「協定を締結した者たち」を意味する「ムアーハドゥーン」として言及します。

2)非ムスリム国家の居住者で、ムスリム国家に出稼ぎ、留学、ビジネス、外交的任務などによって一時的に滞在するも、ムスリム側との和平条約が結ばれていない者たち、またはムスリム側と戦争状態にある者たちのこと。イスラーム法学者たちは彼らのことをアラビア語で「保護を求める者」を意味する「ムスタアミヌーン」として言及します。

各種には共通する一般的権利があり、各種限定の権利もあります。ここでは過剰な詳細に触れることを避け、最も一般的かつ共通の権利についてのみ言及します。

非ムスリムの一般的権利

「人権」という言葉は比較的新しい表現であり、第二次世界大戦が終った1945年の国連の創立後、1948年の国連総会の世界人権宣言によって日常的に使われ始めました8。国際法における登場は比較的新しいものですが、人権という概念そのものは新しくはありません。1400年以上も前にイスラームによってもたらされた人権と、国連による世界人権宣言について調査・比較するのであれば、イスラームによって成し遂げられた極めて高い水準の倫理について明確に知ることが出来るでしょう9。この倫理規範は人間の知的努力によってもたらされたのではありません。イスラーム的倫理の源泉は神そのものなのです。神による規範は、人類の必要性に対する真の普遍性と深みを与えます。それは人類を益するものすべてを提供し、いかなる害からも守ります。客観的な研究からは、このような結論が導き出されるはずです。「これらの権利に寛大な配慮をし、確証し、詳細を述べ、明確にし、表現し得る宗教、または倫理規範は、地球上にはイスラーム以外に存在しないのです。」10

イスラームの法的・倫理規定であるシャリーアは、ムスリムだけに権利を与えるに留まりません。その特筆すべき特徴の一つとして、非ムスリムがその権利の多くを共有することが挙げられます。事実、原則としては非ムスリムもムスリムと同じ権利と義務を有します11。こうした宗教的一面はイスラーム独自のものであり、おそらくいかなる世界宗教からも同様のことを見出すことは出来ないでしょう。例えばキリスト教を見てみると、トロント大学のジョセフ・ヒース教授はこのように述べています。「バイブルを徹底的に調査しても、「権利」という単語が一度たりとも言及されていないことなど言うまでもないでしょう。その後のキリスト教思想の1500年間を掻い摘んでみても、いかなる権利を見出すことも出来ないでしょう。なぜなら、権利といった概念そのものが完全に欠如しているからです。」12

非ムスリムはイスラームにおいて多くの権利を有します。ここではその中でも最も重要な物である、信仰の自由、働く権利、居住の権利、移動と教育の自由に絞って焦点を当てます。

 


Footnotes:

1 Zaydan, Dr. Abd al-Karim, ‘Ahkam al-Dhimmiyin wal-Musta’minin,’ p. 20

2 Zaydan, Dr. Abd al-Karim, ‘Ahkam al-Dhimmiyin wal-Musta’minin,’ p. 35

4 Abu Yusuf, Kitab al-Kharaj, p. 79

5 アル=アウザーイー(ヒジュラ暦157年/西暦774年没):正式名アブー・アムル・アブドッラフマーン。彼はマーリク法学派になる以前の西アフリカにおいて従われていた法学派のイマームであり創立者で、ベイルートの港町で亡くなるまでシリアで生活していました。彼は同時代におけるシリアのイスラーム法における主たる権威でした。彼はムスリム共同体の「生きた伝統」を権威ある法源として非常に重要視しました。彼の法学派は北アフリカとスペインに広まりました。彼はベイルート近郊に埋葬されています。

6 Abu Ubayd, al-Amwaal, p. 170, 171

Zaydan, Dr. Abd al-Karim, ‘Ahkam al-Dhimmiyin wal-Musta’minin,’ p. 77

7 Landau, R, ‘Islam and The Arabs,’ p. 119

8 “Human Rights.” Encyclopedia Britannica. 2006.

9 Refer to Ghazali, M, ‘Human Rights: The Teachings Of Islam vs. The Declaration of the United Nations.’

10 Mutajalli, R.J.H., ‘Liberties And Rights In Islam,’ p. 22-23

11 Zaydan, Dr. Abd al-Karim, ‘Ahkam al-Dhimmiyin wal- Musta’minin,’ p. 62

12 Heath, Joseph, ‘Human rights have nothing to do with Christianity,’ Montreal Gazette, March 18, 2003

(3/13):人間としての尊厳を保つ権利(上)

神はムスリム・非ムスリムを問わず、人類を尊厳と共に創造し、彼らの地位を多くの創造物よりも高められました。神はクルアーンでこう述べられます。

 “われはアーダムの子孫を重んじて海陸にかれらを運び、また種々の良い(暮らし向きのための)ものを支給し、またわれが創造した多くの優れたものの上に、かれらを優越させたのである。”(クルアーン17:70) 

栄誉のしるしとして、またその地位を高めるため、神は天使たちに対し、人類の父であるアダムへ謙虚に跪拝するよう命じました。神はクルアーンの中でこう告げ知らせます。

 “われが天使たちに対し、「アダムにサジダしなさい。」と言った時を思いなさい。サタンの他かれらはサジダした。だがかれは拒否した。”(クルアーン20:116) 

神は人類に多くの恩寵を授けられ、その中には明瞭なもの、また不明瞭なものがあります。例えば、彼は天地を人類の栄誉のために創造しました。

 “神こそは、天と地を創造され、天から雨を降らせ、これによって果実を実らせられ、あなたがたのために御恵みになられる方である。また船をあなたがたに操縦させ、かれの命令によって海上を航行させられる。また川をあなたがたの用に服させられる。またかれは、太陽と月をあなたがたに役立たせ、両者は飽きることなく(軌道)を廻り、また夜と昼をあなたがたの用に役立たせられる。またかれはあなたがたが求める、すべてのものを授けられる。たとえ神の恩恵を数えあげても、あなたがたはそれを数えられないであろう。人間は、本当に不義であり、忘恩の徒である。”(クルアーン14:32−34) 

神によって与えられた人類の地位は、イスラームにおける人の尊厳の原則を形成します。それは、その人がムスリムかそうでないかに関わりません。イスラームでは全人類の起源は同一であることを強調し、各人にはそれぞれ特定の権利が帰属されているのです。神はこう述べています。

 “人びとよ、われは一人の男と一人の女からあなたがたを創り、種族と部族に分けた。これはあなたがたを、互いに知り合うようにさせるためである。神の御許で最も貴い者は、あなたがたの中最も主を畏れる者である。本当に神は、全知にしてあらゆることに通暁なされる。”(クルアーン49:13) 

神の使徒は、当時のアラブ史上最大の合同集会だった最後の説教で、このように説いています。

 “人々よ、あなたがたの主が御独りであること、あなたがたの父祖も一人であることを知るのだ。篤信いてはアラブアラブ、非アラブがアラブ、白人黒人、黒人白人優越性つわけではないことをりなさい1 

非ムスリムの尊厳を保つ一例としては、彼らの感情が尊重されることです。例えば彼らとの会話では礼節をもって接されます。

 “また啓典の民と議論するさいには、立派な(態度で)臨め。かれらの中不義を行う者にたいしては別である。それで言ってやるがいい。「わたしたちは、自分たちに下されたものを信じ、あなたがたに下されたものを信じる。わたしたちの神とあなたがたの神は同じである。わたしたちはかれに服従、帰依するのである。」”(クルアーン29:46) 

非ムスリムは、彼らの宗教を嘲笑されてはならない権利を持ちます。他の信仰を持つ人々に対してここまで寛容なのは、いかなる宗教・宗派を見渡しても、イスラーム以外に存在しないと言っても過言ではないでしょう。次のクルアーンの一節を見てみましょう。

 “言ってやるがいい。「天地からあなたがたに扶養を与えるのは誰なのか。」言ってやるがいい。「神であられる。要するにわたしたちか、またはあなたがたのどちらかが導きの上にあり、どちらかが迷っている。」”(クルアーン34:24) 

この節は、アラビア語言語学者らによって修辞学的質問と呼ばれる方法によって締められており、その質問の答えは意図する対象にとっての一般的知識となります。この節は確実性に疑問性を融合します。導きに従うムスリムと、不信仰者の過ちが何らかの確証的でないものとして呈されることにより、神は読者が自らの答えを導きだすことによって真実を強調させるのです。神はこの節で誰が導きに従い、誰がそうでないかについて述べているのではありません。この節では議論を提示し、傍聴者に自ら判断させることによって「仮想敵」に公正な処遇を与えているのです。言語学者でありクルアーン解釈学者でもあるアッ=ザマフシャリーはこの点についての考えを詳述します。

「これは公平な言葉である。誰であってもこれを聞くのであれば、支持者であれ反対者であれ、その言葉が向けられた人物に対し、発言者が公正な対応をしたことを告げるであろう。それは議論の提示後、誰が導きに従い、誰が誤信を犯しているのか、聞き手を必然的な結論へと導くのである。もし問題が難解な場合は、事実の示唆をすることによって、真実の説得力ある証明を提供するだけでなく、激しい議論に陥ることなく相手の気持ちを和らげることも出来るのである。」2

クルアーンにおいて用いられているこうした形式の例としては、ある人物が議論において「神は誰が真実を述べ、誰が嘘をついているのかお見通しである。」と発言するようなものです3

また神は、ムスリムが非ムスリムによって崇拝されている神々や偶像について中傷することを禁じられています。そうすることによって唯一・真実の神が中傷されないためです。同様の例はいかなる経典、または世界宗教においても見出すことは困難でしょう。もしムスリムたちが多神教の神々を中傷するのをその信者たちが聞いたのであれば、それは彼らがアッラー(唯一神の正式な名称)を中傷することへとつながるでしょう。また、もしムスリムたちがそれらの神々を中傷すると、多神教徒たちは彼らの傷心をムスリムの心を傷つけることによって癒そうとするでしょう。そういった筋書きは双方の尊厳に背いたものであり、相互の拒絶や憎悪に結びつきます。神はクルアーンにおいて述べています。

 “あなたがたは、かれらが神を差し置いて祈っているものを謗ってはならない。無知のために、乱りに神を謗らせないためである。われはこのようにして、それぞれの民族に、自分の行うことを立派だと思わせて置いた。それからかれらは主に帰る。その時かれは、かれらにその行ったことを告げ知らされる。”(クルアーン6108 

 


Footnotes:

1 ムスナド・アフマド

2 Zamakhshiri, ‘Kashhaf,’ vol. 12, p. 226

3 Aayed, Saleh Hussain, ‘Huquq Ghayr al-Muslimeen fi Bilad il-Islam,’ p. 17

(4/13):人間としての尊厳を保つ権利(下)

イスラームが人間の尊厳に重きを置くことが分かる別の例として、初期イスラームのカリフが非ムスリムの尊厳を保護した、次の有名な逸話があります。アムル・ブン・アル=アースがエジプトの長官だったとき、彼の息子の一人が「我は貴人の息子である!」と豪語し、コプト教徒を鞭打ちました。そのコプト教徒ははるばるマディーナに住んでいたカリフのウマル・ブン・アル=ハッターブを訪れ、その件について苦情を述べました。以下は、預言者の生前に彼の身の回りの世話をしていたアナス・ブン・マーリクによる伝承です。

“我々がウマル・ブン・アル=ハッターブと座っていたとき、エジプト人が訪れてこう述べた。「信仰者の長よ、私は貴方のもとに避難を求めてやってきました。」それでウマルが彼の問題について尋ねると、彼はそれに答えてこう述べた。「アムルは所有していた馬をエジプトでは放し飼いにしていました。ある日、私が自分のラバに乗って人々の集まりを通りがかると、彼らは私の方を見ていましたが、アムルの息子ムハンマドが立ち上がって私に向かって来るなりこう言いました。『カアバの主に誓って、それは我のラバである!』私はこう答えました。『カアバの主に誓って、このラバは私のものです!』彼は私を鞭で打ち始め、こう言ったのです。『お前にそれをくれても良いが、それはなぜなら我が貴人の息子だからである!(つまり、自分がより寛大であることを示す意味)』この事件はアムルの知るところとなりましたが、貴方の耳に入ることを恐れた彼は、私を投獄しました。私は脱出して、貴方の元にこうしてやって来たのです。」”

アナスは続けます。

 “神に誓って、ウマルによる唯一の反応は、そのエジプト人に座るよう告げたことだった。そしてウマルはアムルに次の手紙を書いた。「この手紙があなたに届いたら、そなたの息子ムハンマドを連れてくるのだ。」そして彼は例のエジプト人にアムルが来るまでマディーナに留まるよう告げた。アムルが手紙を受け取ると、彼は息子を呼びこう尋ねた。「お前は何か罪を犯したのか?」息子が否定したのでアムルは言った。「では何故ウマルはお前について手紙を書いたのだ?」彼らは二人でウマルの元へ行くことにした。”

アナスは更に続けます。

 “神に誓って、我々がウマルと共に座っていると、一般人の衣服を身に付けたアムルが到着した。ウマルが彼の息子はどこかと見回すと、父親の背後に(目立たないよう)立っているのを見つけた。ウマルは尋ねた。「例のエジプト人はどこか?」 彼は答えた。 「ここです!」ウマルは彼に言った。「この鞭を取り、貴人の息子を打つのだ。」それで彼はそれを手に取り、ウマルが何度も「貴人の息子を打つのだ。」と繰り返す中、力強く打ち続けた。我々は彼がもう十分に打ったと満足するまで彼を止めなかった。するとウマルは言った。「では、これを取って私の禿頭を打つのだ。今回これが起きたのは指導を行き届かせていなかった私の責任にもある。」エジプト人は答えた。「私は気が済みました。私の怒りも静まりました。」ウマルは彼に言った。「もしお前が私を打ったとしても、お前がそう望むまで私はお前を止めなかっただろう。さてアムルよ、お前に関してはいつから人々を奴隷としたのだ? 彼らは自由民として生まれたのだぞ。」アムルは謝りながらこう言った。「私はそのことを知らなかったのです。」それでウマルはエジプト人に向かってこう告げた。「行くが良い。導きあれ。もしお前に何か起きたなら、私に手紙を書くが良い。」”1

これが、カリフとして選出されたときにまず「私が権利を帰属させることにより、弱者は強者となろう。そして私が不当な権利を剥奪することにより、強者は弱者となろう。」と言ったウマルの生き様だったのです。虐げられた人々の社会的地位にも関わらず、彼らに対する公正さ、そして抑圧者の階級にも関わらず、彼らに対する断固とした態度により、歴史は彼を公正な統治者として記録したのです。

「この逸話の真価とは、人々がイスラームの統治下において、いかに人間性と尊厳について熟知していたかということにある。不正な一打であれ非難され嫌悪されていたのだ。ビザンチン帝国の時代においては、この逸話のものと類似した多くの不正が報告されていたが、誰一人としてそれを正そうとはしなかったのである。しかし我々は、イスラーム国家による保護と苦情の聞き入れを確信して、自らの尊厳と権利を求めエジプトからマディーナへの長旅をも厭わなかった一人の被抑圧者の例から、当時の公正な様子を垣間見ることが出来るのである。」2

 


Footnotes:

1 Tantawi, Ali, ‘The History Of Umar,’ p. 155-156

2           Qaradawi, Yusuf, ‘Ghayr al-Muslimeen fil-Mujtama’ al-Islami’ p. 30-31

(5/13):信仰の自由という権利(上)

イスラームは他宗教の人々に改宗を強制しません。イスラームでは他宗教の人々に対し、完全な信教の自由、そしてイスラームへの改宗を強制されない権利を与えています。こうした自由はクルアーンとスンナ(預言者の教え)の双方に記録されています。神はクルアーンの中で、預言者へこう語りかけます。

 “もし主の御心なら、地上のすべての者はすべて信仰に入ったことであろう。あなたは人びとを、強いて信者にしようとするのか。”(クルアーン10:99) 

預言者(神の慈悲と祝福あれ)は人々に対し、イスラームへの入信、または宗教の保持といった二つの選択肢を与えていました。彼がイスラーム入信を求めたのは彼らがそれに合意してからのみ、つまり彼らがイスラーム国家の居住者となり、個人と財産の安全を確信してからだったのです。このことは神とその預言者との誓約の安全性について彼らを満足させたのです。こうした前提のもと、非ムスリム市民はズィンミー1として言及されます。預言者が軍隊の指揮官、または部隊を戦場に送り出したとき、預言者は彼らに対する振る舞いにおいて神を念頭に置くこと、そしてムスリム同胞に良い処遇を与えるよう命じました。慈悲深き預言者はこのように命じています。

 “神のための戦いに出て、神を信仰しない者たちと戦うのだ。戦いに出るときは節度を守り、不誠実に振る舞ったり、死体を損傷したり、子供たちを殺めたりしてはならない。敵である不信仰者たちと対峙するときには、三つの選択肢を与えるのだ。それらの一つにでも彼らが合意するのなら、戦いを止めるのだ。 

1.彼らをイスラームへといざなうこと。彼らが合意したのなら、それを認めて戦いを止めるのだ。そして彼らを移住者の地(マディーナ)へと移住することを勧め、彼らがそれに従うのなら、彼らには他の移住者たちと同様の特権と義務が与えられるだろう。彼らが移住を拒否するなら、彼らにはムスリムの遊牧民と同様の地位が与えられることを告げるのだ。つまり彼らにはムスリム全体に適用される神の法に従い、ムスリムたちと共にジハードに参加しない限り、遠征によって得られた戦利品の分け前がないことである。

2.彼らが拒否するのなら、ジズヤ2の支払いを求めるのだ。もし彼らが合意するなら、それを受け入れて戦いを止めるのだ。

3.彼らがこれらを拒否するなら、神のご加護を求め、彼らと戦うのだ。3

預言者によるこれらの指示は、神がクルアーンで述べていることに忠実です。

 “宗教には強制があってはならない。正に正しい道は迷誤から明らかに(分別)されている。それで邪神を退けて神を信仰する者は、決して壊れることのない、堅固な取っ手を握った者である。神は全聴にして全知であられる。”(クルアーン2:256) 

米国人の学者エドウィン・カルガリーはこの節について次のように記しています。「クルアーンの中には真実・英知に満ちた節があり、それはすべてのムスリムがよく知るものです。ムスリム以外の人々もそれを知るべきでしょう。そこには、宗教に強制はない、と述べられているのです。」4

この節はマディーナの住人の一部に関して下されたものです。マディーナの多神教徒の新生児は、幼年期を超えて生き延びることが少なかったため、母親たちはもし生き残ったのであれば自分の子供をユダヤ教徒、またはキリスト教徒にすると誓いを立てていました。マディーナにイスラームがもたらされると、ユダヤ教徒やキリスト教徒に成長した子供たちがいました。彼らの両親たちが強制的に新たな宗教に改宗させてしまったためで、それによりこの節はそうしないよう、両親たちに告げているのです。この節、そしてその啓示の経緯によって、誰かを強制的にムスリムにさせることも禁じられるということが明らかにされました。それは自分たちの子孫にとって最善のものを望む両親の子供たちが、別の宗教に改宗した場合においても同様です。クルアーンは誰かにイスラーム改宗を無理強いすることを否定するのです5。神はクルアーンの中でこう述べています。

 “言ってやるがいい。「真理はあなたがたの主から来るのである。だから誰でも望みのままに信仰させ、また(望みのままに)拒否させなさい。」本当にわれは、火を不義者のために準備している。その(煙と炎の)覆いは、かれらを取り囲む。もしかれらが(苦痛の)軽減を求めて叫ベば、かれらの顔を焼く、溶けた黄銅のような水が与えられよう。何と悪い飲物、何と悪い臥所であることよ。”(クルアーン18:29)

イスラームは非ムスリムに対して信教の自由を与えるだけでなく、その寛容な法は、彼らの崇拝の場の保護もするのです6。神はクルアーンにおいてこのように述べています。

 “(かれらは)ただ「わたしたちの主は神です。」と言っただけで正当な理由もなく、その家から追われた者たちである。神がもし、ある人びとを他の者により抑制されることがなかったならば、修道院も、キリスト教会も、ユダヤ教堂も、また神の御名が常に唱念されているマスジド(イスラームの礼拝堂)も、きっと打ち壊されたであろう。神は、かれに協力する者を助けられる。本当に神は、強大で偉力ならびなき方であられる。”(クルアーン22:40

カリフは遠征に出る軍の指導者に対し、このことが保証されるよう命じていました。第一の例は、アブー・バクルによるウサーマ・ブン・ザイドへの命令でした。

「私はあなたに次の10の事柄の履行を命じる。女性、子供、老人を殺めてはならない。果実のなる木を切り倒してはならない。家々を破壊してはならない。食べる必要性のない限りは羊やラクダを殺傷してはならない。ヤシの木を沈めたり、焼いたりしてはならない。不誠実な振る舞いをしてはならない。臆病であってはならない。またあなたがたは修道院で崇拝に耽る人々の元を通りがかるだろうが、彼らをそっとしておくのだ。」7

第二の例は、ウマル・ブン・アル=ハッターブがエルサレムのイリヤの人々と締結した条約です。

「これは信仰者の長、神の僕ウマルによって、イリヤの人々に与えれた安全保障である。彼らに関しては病気か健康かを問わず、すべての人々が、所有物、教会、十字架を含む、コミュニティ全体の安全が保証されるのだ。彼らの教会は占拠も破壊もされず、服飾品、十字架、金銭を含む、いかなる物であっても没収されない。彼らは自らの宗教を放棄することを求められず、それによって危害を加えられることもない。また彼らはイリヤのユダヤ教徒の入植者らによって占拠されることもない。」8

こうした結果、正統四代カリフの時代以降、ユダヤ教徒・キリスト教徒たちは自由と安全の中、信教の自由を謳歌することが出来たのです9

 


Footnotes:

1 Zuhaili, Wahba, ‘al-Islam wa Ghayr al-Muslimeen,’ p. 60-61

2 ジズヤ:ムスリムの為政者に対して保護を受ける代わりに支払う人頭税のこと。

3 サヒーフ・ムスリム

4 Quoted in Young, Quailar, ‘The Near East: Society & Culture,’ p. 163-164

5 Qaradawi, Yusuf, ‘Ghayr al-Muslimeen fil-Mujtama’ al-Islami,’ p. 18-19

6 Aayed, Saleh Hussain, ‘Huquq Ghayr al-Muslimeen fi Bilad il-Islam,’ p. 23-24

7 Tabari, Tarirk al-Tabari, vol 3, p. 210

8           Tabari, Tarirk al-Tabari, vol 3, p. 159

9           Qaradawi, Yusuf, ‘al-Aqaliyyat ad-Diniyya wa-Hal al-Islami,’ p. 13

(6/13):信仰の自由という権利(下)

ムスリムは統治した土地において、キリスト教会に危害が加えられないように保護しました。シメオンに宛てた手紙で、ペルシャにおける主教らの長である、ネストリウス派総主教ジェフ三世はこのように記しました。

「神によって世界の支配が許されたアラブ人は、あなたがいかに裕福であるかを知っている。なぜなら彼らはあなたと共に生きているからである。それにも関わらず、彼らはキリスト教の信条を攻撃しない。反対に、彼らは我々の宗教に共感し、主に仕える聖職者や聖人を尊敬し、我々の教会や修道院に寛大な寄付をするのだ。」1

カリフ・アブドル=マリクはキリスト教徒から教会を奪い、モスクの一部としました。ウマル・ブン・アブドル=アズィーズが次のカリフに就任した際、キリスト教徒たちは彼の前任の行いについて苦情を述べました。するとウマルは長官に手紙を書き、もし彼らが金銭的な妥協案に合意しなければ、件のそのモスクの一部となった教会を彼らに返還するよう命じたのです2

エルサレムの嘆きの壁は、ユダヤ教における最も神聖な場所の一つとして有名です。一時期、そこは完全に瓦礫や塵の山の下に埋れていました。オスマン帝国のカリフ、スルターン・スライマーンがそのことを知ると、彼はエルサレムの長官に瓦礫や塵を取り除き、綺麗に清掃して嘆きの壁を修復し、ユダヤ教徒たちが訪れることの出来るよう命じたのです3

欧米の歴史家の内、偏向的視点を持たない学者たちもこの事実を認めています。ル・ボンはこう記しています。

「ユダヤ教徒、キリスト教徒に対するムハンマドの寛容性は実に偉大なものであった。彼以前の諸宗教の創立者たち、特にユダヤ教とキリスト教においては、そういった善意が示されることはなかった。彼のカリフも同じポリシーに従っており、彼の寛大さは懐疑論者・信仰者を問わず、アラブの歴史を深く研究する者たちに認知されてきたのである。」4

ロバートソンはこう記します。

「ムスリムだけが自らの宗教における熱意と、他宗教の追従者たちに対する寛容さを統合することが出来たのである。たとえ彼らが宗教伝搬の自由のために剣を手に取って戦った時も、自らの宗教の教えに従うことを選んだ者たちはそのままにしたのである。」5

英国人東洋学者のトーマス・アーノルド卿はこう記します。

「非ムスリムの少数派に対してイスラームへの改宗を強要させる計画や、キリスト教に対する集団的迫害の報告を、我々は一つも手に入れることが出来なかった。もしカリフの内の一人でもそうした政策を採ったのであれば、フェルディナンドとイザベラがスペインからイスラームを駆逐した際、またはルイ14世がフランスでプロテスタントに従うのを処罰の対象である罪とした際、または英国においてユダヤ教徒が350年に渡って追放された際と同様の容易さで、キリスト教を壊滅させることが出来たはずである。当時、東方正教会はキリスト教世界から完全に孤立しており、キリスト教の異端派と見なされていたため、世界中のどこにも支持勢力を見出すことが出来ずにいたのである。彼らが今なお存続しているという事実こそは、イスラーム国家による寛大な政策の賜物であり、その最も強力な証拠なのである。」6

米国人著者のロスロップ・スタッダードはこう記しています。「カリフ・ウマルはキリスト教で神聖視される場所を維持するための最大限の労力を惜しまず、彼の後に続いたカリフたちも彼の志を継いだのです。彼らはキリスト教世界からエルサレムへと巡礼に訪れる多くの諸宗派に敬意を示しました。」7

事実として、非ムスリムは彼ら自身の宗派間よりも、ムスリムたちのもとでより寛大な処遇を受けていたのです。リチャード・ステビンスはトルコの支配下におけるキリスト教徒の経験について語っています。

「彼ら(トルコ人)はローマカトリック教会、ギリシャ正教会をすべて受け入れ、彼らの宗教を保持し、彼らの善良心に任せた。彼らはコンスタンチノープルやその他の多くの場所の教会で宗教儀式が行われることを許可した。このことは、私自身証言することの出来る、スペインにおいて12年間に渡り経験したものとは正反対であった。我々は彼らの教皇儀式に強制的に出席されられた他、我々だけでなく、我々の子孫も生命の存続が脅かされていたのである。」8

トーマス・アーノルドは、著書「Invitation to Islam(イスラームへのいざない)」において、当時のイタリアではオスマン帝国の支配を待ち望む声が多かったことに言及しています。彼らはオスマン帝国がキリスト教徒の支配民に与えていたものと同様の自由と寛容性がもたらされることを望んでいたのです。なぜなら、それこそは彼らがキリスト教政府から勝ち取ろうと必死になっていたものだからです。また彼は、15世紀末には非常に多くのユダヤ教徒たちがスペインによる迫害を逃れ、オスマン・トルコへと亡命していたことについて触れています9

次のことは再度強調されるべきでしょう。スペインからアフリカ全土、シリア、インド、インドネシアまで、イスラーム世界全般における数世紀に渡る非ムスリムとの共存こそは、イスラームによって他信仰の人々に差し伸べられた、宗教的寛容性の明確な証拠なのです。しかし残念ながらこうした寛容性は、スペインで見られたように、それを利用したキリスト教徒たちによってムスリムの駆逐へとつながってしまいました。彼らはムスリムの弱みに付け込んで彼らを攻撃・殺害し、改宗を強要した挙句に追放したのです。エティエンヌ・デニールは記しています。「ムスリムたちは、多くの人々が想像しているようなこととは正反対の人々です。彼らはヒジャーズ10  の外側からは、一度も暴力行為に訴えたことはありませんでした。キリスト教徒たちの存在がその事実の証拠です。ムスリムたちが彼らの土地を支配した8世紀の間、キリスト教徒たちは完全なる安全性を享受していました。彼らのうち少数はコルドバで高官を務めることも出来ましたが、キリスト教徒たちが権威につくようになると、彼らの第一の関心事はムスリム放逐となったのです。」11

 


Footnotes:

1 Arnold, Thomas, ‘Invitation To Islam,’ p. 102

2 Qaradawi, Yusuf, ‘Ghayr al-Muslimeen fil-Mujtama’ al-Islami,’ p. 32

3 Hussayn, Abdul-Latif, ‘Tasamuh al-Gharb Ma’l-Muslimeen,’ p. 67

4 LeBon, Gustav, ‘Arab Civilization,’ p. 128

5 Quoted in Aayed, Saleh Hussain, ‘Huquq Ghayr al-Muslimeen fi Bilad il-Islam,’ p. 26

6 Arnold, Thomas, ‘Invitation To Islam,’ p. 98-99

7 Stoddard, L.W., ‘The Islamic World At Present,’ vol 1, p. 13-14

8 Quoted in Qaradawi, Yusuf, ‘al-Aqaliyyat ad-Diniyya wa-Hal al-Islami,’ p. 56-57

9 Arnold, Thomas, ‘Invitation To Islam,’ p. 183

10 ヒジャーズ:マッカとマディーナを擁する、アラビア半島西部の地域。

11 Denier, Etienne, ‘Muhammad The Messenger Of God,’ p. 332

(7/13):非ムスリムが独自の宗教法に従うことの出来る権利

イスラームは、その領地に住む非ムスリムの市民がイスラーム法に従うことを強制しません。彼らはザカーの支払い1  が免除されます。イスラーム法においては、ザカーを支払わず、その義務的性質も否定するムスリムは非信仰者とみなされます。 また、イスラーム法は五体満足なムスリムに対して軍務に服すことを求めますが、彼らの参加が有益となるにも関わらず、非ムスリムはその義務を免除されるのです。それらが免除される代わりに、非ムスリムはジズヤと呼ばれる名目上の税金を支払います。トーマス・アーノルド卿はそれに関し、このように記しています。「ジズヤはあまりにも少額で、彼らにとって負担となるようなものではなかった。ムスリムにとっては義務である軍務が免除されることも念頭に入れると、特にそう言えるだろう。」

またイスラームは、非ムスリムが婚姻・離婚などする際には彼ら自身の民法に従うことも許可していました。刑事裁判に関しては、ムスリム裁判官は非ムスリムに対しても、イスラームおける罪の重さに基づいて(窃盗などの)刑を言い渡しましたが、飲酒、豚肉の消費など非ムスリムにとって合法とされる事柄については免除していたのです3。このことは明らかに、マディーナで「憲法」を制定した預言者の先例に基づいたものでした。彼はムスリムでない部族が諸事に関し、それぞれの啓典と学識者を参照にすることを認めていたのです。しかし、彼らがもしそう望むのであれば、彼ら自身の諸事について預言者の裁決を仰ぐことも出来ました。神はクルアーンの中でこう述べています。

 かれらがもしあなたの許に来たならば、かれらの間を裁くか、それとも相手にするな。(クルアーン542

私たちはここで、預言者がそれぞれの宗教に対し、社会における平和的共存のために締結された憲法の項目に違反しない限りは、それぞれの啓典に基づいた裁決を彼ら自身の間に下すことを認めたのを見出します。

イスラーム共同体の統治者だったウマル・ブン・アブドル=アズィーズは、非ムスリムが彼ら独自の社会規定に従うのを認めることは困難であると感じていました。彼は法的提言を求め、ハサン・アル=バスリー4に宛てた手紙でこう書いています。「いかに正統カリフたちは近親と結婚5し、豚やワインを保有していた契約の民をそのままにしておいたのでしょう?」ハサンの返答はこうでした。「彼らはジズヤを支払っていたために、彼らの宗教に留まることが認められていたが、あなたがたはイスラーム法のみに従い、新奇な事例を作り出してはならない。」6

契約の民は独自の法廷によって論争を解決していましたが、希望すればイスラーム法廷の調停を求めることも出来ました。神は預言者に命じています。

 “かれらがもしあなたの許に来たならば、かれらの間を裁くか、それとも相手にするな。もしあなたが相手にしなくても、かれらは少しもあなたを害することは出来ないであろう。またもし裁くならば、かれらの間を公平に裁決しなさい。神は公平に行う者を愛でられる。”(クルアーン5:42)

歴史家アダム・メッツは 「Islamic Civilization in the Fourth Century of the Hegira (ヒジュラ暦4世紀におけるイスラーム文明)」でこう記しています。

「イスラーム法の適用はムスリムに限定されるため、イスラーム国家は他宗教の人々に彼ら自身の法廷を持つことを許可しました。それらの法廷は教会法廷で、著名な精神的指導者たちが裁判長を務めていました。彼らは教理典範についての本を多く著し、彼らによる裁決は個人的地位に限定されたものではありませんでした。そこには相続問題などに関するものや、国家が干渉しなかったキリスト教徒同士の訴訟などが含まれていました。」7

それゆえイスラームは、飲酒や豚肉の消費など、たとえイスラームにおいて禁じられている行為を非ムスリムが行ったとしても、彼らに処罰を下すことはありませんでした。イスラームによって非ムスリムに差し伸べられた寛容性は、現在においても他のいかなる宗教法、世俗的国家、または政治システムによるそれにも見られない性質のものです。ギュスターヴ・ル・ボンはこう記しています。

「アラブ人たちは第一の征服によって盲目的になり、征服者たちが通常犯すような不正を犯すことが容易に出来た。彼らは打倒した敵を虐待したり、彼らが世界中への伝搬を望んでいた宗教の改宗を強要したりすることも容易に出来たはずなのだ。しかしアラブ人たちはそうしなかった。初期のカリフたちは政治的天才で、それは新宗教の当事者としては類稀なことであったが、彼らは宗教と制度は無理強い出来ないということを認識していたのである。それゆえ彼らは承知のように、シリア、エジプト、スペインを始め、統治したあらゆる土地の人々を多大なる寛大さでもって処遇した。彼らは法、規定、信仰が損なわれないようにしつつも、ジズヤを課すことによって彼らの安全を保証したのである。それは過去に彼らが払っていた税金に比べれば、微々たるものであった。現実には、諸国家はムスリムたちよりも寛容な征服者たち、またはイスラームよりも寛容な宗教を目の当たりにしたことがなかったのである。」8

 


Footnotes:

1 ザカー:「イスラームの5柱」に含まれる、ムスリムにとって基本的義務にあたる行いの一つ。特定の種類の富に対して課せられる義務の喜捨のこと。

3 Maududi, Abul ‘Ala, ‘The Rights of The People of Covenant In The Islamic State,’ p. 20-21

4 ハサン・アル=バスリー:その禁欲主義と知識の深さで知られる、最も著名な賢者の一人。彼は西暦642年、預言者の召使いだったザイド・ブン・サービトにより解放された元奴隷の息子としてマディーナに生まれました。彼はイラクのバスラで育てられました。ハサンは数々の教友たちと対面し、預言者ムハンマドの伝承を数多く伝えました。彼の母は預言者の妻であるウンム・サラマに奉仕していました。彼は西暦728年、バスラにて88歳で亡くなりました。

5 ゾロアスター教では今日に至っても兄弟姉妹との結婚が認められています。

6 Maududi, Abul ‘Ala, ‘The Rights Of The People of Covenant In The Islamic State,’ p. 22

7 Metz, Adam, ‘Islamic Civilization in the Fourth Century of the Hegira,’ vol 1, p. 85

8 Lebon, G, ‘The Civilization Of The Arabs,’ p. 605

(8/13):公正を受ける権利・上

神はムスリムに対し、諸事において公正であり、皆を平等に扱うよう求めています。神はこう述べます。

 かれは天を高く掲げ、秤を設けられた。あなたがたが秤を不正に用いないためである。正に平衡を旨とし量目を少なくしてはならない。また大地を、生あるもののために設けられた。(クルアー557−10

たとえ結果的に自分、または親近者に不利な状況となることが予測されても、ムスリムは公正に振舞うよう、神ご自身から命じられているのです。

 あなたがた信仰する者よ、証言にあたって神のため公正を堅持しなさい。たとえあなたがた自身のため、または親や近親のため(に不利な場合)でも、また富者でも、貧者であっても(公正であれ)。神は(あなたがたよりも)方にもっと近いのである。だから私欲にって、(公正から)逸れてはならない。あなたがたがたとえ(証言を)曲げ、または背いても、神はあなたがたの行うことを熟知なされる。(クルアーン4135

神は私たちが、すべての状況において公正であるよう求めます。

 誠に神は、あなたがたが信託されたものを、元の所有者に返還することを命じられる。またあなたがたが人の間を裁く時は、公正に裁くことを命じられる。神があなたがたに訓戒されることは、何と善美なことよ。誠に神は全てをき凡てのことに通暁なされる。(クルアー458

非ムスリムに対するイスラーム的公正さは多岐にわたります。イスラームは彼らが自分たちの宗教の裁判所に行くことを認めます。また、たとえ彼らがイスラーム法廷で裁判を委託することを選んだとしても、彼らには公平性が保証されるのです。神はこう述べています。

 かれらがもしあなたの許に来たならば、かれらの間を裁くか、それとも相手にするな。もしあなたが相手にしなくても、かれらは少しもあなたを害することは出ないであろう。またもし裁くならば、かれらの間を公平に裁決しなさい。神は公平に行う者を愛でられる。(クルアーン542

もしもムスリムが、非ムスリムのズィンミー(イスラーム国家内に居住する非ムスリム庇護民)から窃盗したとしても、彼はズィンミーがムスリムから窃盗した場合と同様の懲罰を受けます。同様に、ムスリムがもし契約によって保護下にある誰かを中傷すれば、名誉毀損の懲罰を受けることは免れ得ないのです1

イスラームの歴史からは、ムスリムの非ムスリムに対する公正さの素晴らしい例を見て取ることが出来ます。タイマという名の男が隣人であるカターダの鎧の一式を盗みました。カターダは小麦粉の袋の中に鎧を隠していたため、タイマがそれを盗んだ際、袋には小さな穴が空いており、彼の家まで続く小麦粉の跡が残されてしまいました。タイマは自らの犯行を隠蔽するため、ザイドという名のユダヤ教徒の家に鎧を預けました。人々が盗まれた鎧を探したとき、彼らは小麦粉の跡をタイマの家まで追跡しましたが、そこには鎧がありませんでした。タイマは問い詰められたとき、自分は盗んでおらず、それについては何も知らないことを宣誓しました。カターダを手助けする人々も、タイマが夜にカターダの家に忍び込んだのを目撃し、その後に小麦粉の跡を追跡した結果、彼の家に辿り着いたことを宣誓しました。しかしタイマが自らの潔白を誓うと、彼らはさらなる証拠を求め、最終的には細い小麦粉の跡がザイドに家に続いているのを発見し、ザイドを拘束しました。

ザイドはタイマが鎧を置いていったことを彼らに告げ、彼のユダヤ人の同胞たちもそのことを証言しました。タイマの属する部族は代表団を神の使徒に送り、彼らの置かれている状況を説明しました。代表団はこのように陳述しました。「もしもあなた様が我々の部族の一員であるタイマを擁護しないのであれば、彼は評判を失い、厳しい懲罰を受けることになるでしょう。そしてユダヤ教徒たちは自由になってしまいます。」当初、預言者は彼らを信じる方向に傾いていましたが、神はそのユダヤ教徒の嫌疑を晴らす次の啓示を下しました2。これらの節は今日に渡り、ムスリムたちによって朗誦され、全人に公正さをもって接することへの訓戒となっているものです。

 誠にわれは、真理をもってあなた(ムハンマド)に啓典を下した。これは神が示されたところによって、あなたが人びとの間を裁くためである。あなたは背信者を弁護してはならない。神の御赦しを請いなさい。神は寛容にして慈悲深くあられる。自らの魂を歎く者を弁護してはならない。神は背信して罪を犯す者を御好みになられない。かれらは人に(その罪を)せるが、神に隠しだてすることは出来ない。夜中にかれの御喜びになられないことを、策謀する時でも、かれはかれらと共においでになられる。誠に神は、かれらの行う一切のことを御存知であられる。これ、あなたがたは現世の生活の上でかれらのために弁護している。だが誰が、復活の日に、かれらのため神に弁護出よう。また誰が、かれらの事の保護者となろうか。(クルア4105−109

 


Footnotes:

1           Masud, Fahd Muhammad Ali, ‘Huquq Ghayr is-Muslimeen fid-Dawla al-Islamiyya,’ p. 138-139, 144-149.

               Aayed, Saleh Hussain, ‘Huquq Ghayr al-Muslimeen fi Bilad il-Islam,’ p. 32-33.

               Zaydan, Dr. Abd al-Karim, ‘Ahkam al-Dhimmiyin wal-Mustami’nin,’ p. 254.

2           Wahidi, ‘Al-Asbab an-Nuzool,’ p. 210-211

(9/13):公正を受ける権利・下

あるとき、カリフだったアリー・ブン・アビー・ターリブとあるユダヤ教徒との間に確執が起き、彼らは裁判官シュライフ・アル=キンディのもとへと行きました。シュライフは何が起きたかについて詳細を述べています。

「アリーは鎖かたびらが紛失しているのに気付き、クーファに戻るとあるユダヤ教徒の男がそれを市場で売りに出しているのを見つけた。彼は言った。『ユダヤ教徒よ!その鎖かたびらは私のものだ。私はそれを売却のために譲った覚えはないぞ!』

ユダヤ教徒は応えた。『これは私物です。私の所有なのです。』

アリーは言った。『では裁判官にこのことを裁いてもらおう。』

それで彼らは私のもとを訪れ、アリーは私の隣に座るなり言った。『あの鎖かたびらは私のものだ。私はあれを売却のために譲ったりはしていない。』

ユダヤ教徒は私の正面に座りこう言った。『あれは私の鎖かたびらです。私の所有物なのです。』

私は尋ねた。『信仰者の長よ、あなたには何か証拠がありますか?』

アリーは言った。『ある。私の息子ハサンとカンバラが、あれが私の鎖かたびらであると証言出来るだろう。』

私は言った。『信仰者の長よ、父親のために行われる息子の証言は法廷では認められません。』

アリーは語気を強めた。『神こそは完全なる御方なり!あなたは楽園が約束された男の証言を認めぬと言うのですか? ハサンとフサインは楽園における若者たちの長である、と神の使徒が言ったのを私は聞いたのですぞ!』1

ユダヤ教徒の男は言った。『信仰者の長は私を裁判官のもとへお連れになった上、裁判官は私に有利に裁いて下さった!私は唯一なる神以外は崇拝に値せず、ムハンマドがかれの使徒であることを証言します(イスラームへの改宗の宣言)。信仰者の長よ、その鎖かたびらはあなたのものです。それをあなたは夜間に落とされ、私が拾い上げたのです。』」2

ムスリムによる非ムスリムへの公正さにおける驚くべき事例は、サマルカンド征服時にも見出すことが出来ます。ムスリム軍の総督だったクタイバは、サマルカンドの住民たちにイスラームを受け入れるか、保護の対象としての契約民となるか、または戦いに突入するかの選択肢を与えていませんでした。征服から数年後、サマルカンドの人々は新しいカリフとなったウマル・ブン・アブドル=アズィーズに苦情を訴えました。彼らの苦情に耳を傾けたウマルは、サマルカンドの長官に街を人々へ返却して撤退した上で、人々に三つの選択肢を与えるよう指示しました。即座に行われたその公正さに感銘を受けたサマルカンドの人々は、その多くがイスラームへと改宗したのです。3

また、歴史からはムスリム大衆が非ムスリムの権利について意識し、統治者から彼らの公正な扱いを求めたことも見て取れます。ウマイヤ朝のカリフ、ワリード・ブン・ヤズィードはキプロス島の居住者たちを撤去させ、シリアに強制移住させました。当時のイスラーム学者たちはこの行為を認めず、抑圧であると宣言しました。彼らは彼の息子がカリフになった際に、人々が故郷に再び定住することが出来るようにこの問題を取り上げました。彼はその提案に合意したため、ウマイヤ朝における最も公正な統治者として知られています。同様の歴史上の出来事としては、レバノンの長官サーリフ・ブン・アリーが、一部の住民が農作物の税金を支払わなかった非ムスリムの村落を村ごと退去させた事件から見出すことが出来ます。長官はカリフに近い顧問を務めていましたが、シリアの著名なイスラーム学者だったイマーム・アウザーイーは彼ら非ムスリムを擁護し、抗議の手紙を送りつけたのです。その手紙は、このような文面となっています。

「あなたはいかに、少数による悪事によって全体に懲罰を加えることをなさるのでしょうか? 彼らを住処から追い出すのは行き過ぎた行為です。神は仰せられています。

 “重荷を負う者は、他人の重荷を負うことは出来ない。”(クルアーン53:38)

これは、熟考し行動に移すべき最も説得力ある証拠です。そして忠実に守り、実行に移すべき預言者による命令として、次のようなものもあります。

『誰であれズィンミー(イスラーム国家内に居住する非ムスリム庇護民)を抑圧するか、絶えがたいほどの重荷を背負わせるのであれば、私は審判の日、彼について異議を唱えるであろう。』」5

「彼らは、あちこち望んだ場所に移動させることの出来るような奴隷ではないのです。彼らは契約の民であり、自由民なのです。」6

作家や歴史家たちは、イスラーム世界に住む非ムスリムへの公正な処遇について認識せざるを得ませんでした。英国人の歴史家H.G.ウェルズは、こう記しています。

「彼らは公正・寛容という偉大なる伝統を確立させた。彼らは人々の心に親切さと寛容さの念を吹きこみ、それは人道的かつ実践的であった。彼らはそれ以前のいかなる共同体とも異なる人間味のある共同体を創り、そこで残酷さ、社会的不正が見られることは稀であった。」7

イスラームの支配下にあったキリスト教宗派について議論しつつ、トーマス・アーノルド卿はこう記します。

「イスラーム的寛容の原理はこれらの(既述の)抑圧行為を禁じさせました。ムスリムは他者とは正反対だったのであり、彼らはキリスト教徒の被統治民すべてを惜しみなく、公平かつ平等に扱ったようです。その例としてはエジプト征服の際、ジャコバイト派が東方正教会とビザンチン権威の放逐において優勢に立ったときに見て取れます。ムスリムは東方正教会側が所有権の証拠を提示した際、彼らへと所有権を譲ったのです。」8

シチリア人東洋学者であるアマリはこう記します。

「アラブ・イスラームの支配下において、被支配者となった(シチリア)島の住民たちは、イタリアによって支配されていた時代と比べて快適に感じ、彼らに満足していたのである。」9

ナドミー・ルカはこう発言しています。

「次のように述べる法よりも、不正と偏見を徹底的に根こそぎにするものはないのだ。

 “…人びとを憎悪するあまり、あなたがたは(仲間にも敵にも)正義に反してはならない。クルアー58

…こうした基準に則り、その他いかなるものとも譲歩せず、高潔な信条と厳正さを併せ持つ宗教のみに自らをささげてこそ、初めて自らに名誉を帰属させたと主張することが出来るのである。」10

 


Footnotes:

1 アッ=ティルミズィー。

2           Hayyan, Abu Bakr, ‘Tarikh al-Qudat,’ vol 2, p. 200

3           Tantawi, Ali, ‘Qasas Min al-Tarikh,’ p. 85

5 アル=バイハキー「スナン・アル=クブラー」

6 ユースフ・カラダーウィー‘Ghayr al-Muslimeen fil-Mujtama’ al-Islami,’ p. 31

7           Quoted by Siba’i, Mustafa, ‘Min Rawai Hadaratina,’ p. 146

8           Arnold, Thomas, Invitation To Islam,’ p.  87-88

9           Quoted in Aayed, Saleh Hussain, ‘Huquq Ghayr al-Muslimeen fi Bilad il-Islam,’ p.  39

10          Luqa, Nadhmi, ‘Muhammad: The Message & The Messenger,’ p. 26

(10/13):生命・財産・名誉の保護

イスラーム法は、ムスリム・非ムスリムであるかを問わず、生命・財産・名誉の保護などといった基本的人権を守ります。非ムスリムが(イスラーム国家の)居住者・来訪者であるかに関わらず、彼らはこれらの権利を保証されるのです。これらの権利は、法によって認められ、正当化される事例以外には剥奪されることはありません。一例を挙げるなら、非ムスリムは殺害罪で有罪にならない限りは殺されることはないのです。神は述べます。

 言ってやるがいい。「さて、わたしは主があなたがたにし禁じられたことを、読誦しよう。かれに何ものでも同位者を配してはならない。親に孝行であれ。困窮するのを恐れて、あなたがたの子女を殺してはならない。われは、あなたがたもかれらをも養うものである。また公けでも隠れていても、醜い事に近付いてはならない。また、アッラが神聖化された生命を、権利のため以外には殺害してはならない。このようにかれは命じられた。恐らくあなたがたは理解するであろう。(クルアーン6151

預言者ムハンマドは、非ムスリムの居住者・訪問者の生命は侵害されざるべきものであると宣言しています。

「誰であれ、我と条約を締結している者を殺した者は、楽園に近づくことは出ず、その芳香を嗅ぐことが出ない。その芳香は40年の旅に相する距離の先にまで漂っているのにも関わらずである。」(サヒーフブハーー)

イスラームは非ムスリムに対する暴行や、名誉・財産の侵害を許しません。もし誰かがズィンミー(イスラーム国家内に居住する非ムスリム庇護民)から何かを窃盗したのなら、その人物は懲罰を受けなければならず、もし誰かがズィンミーから何かを借りたのなら、それは返却されなければなりません。預言者ムハンマドはこう述べています。

「契約の民の所有物を取ることは、それが(支いとしての物々)交換でない限り、合法ではない。」1

彼はこのようにも述べています。

に強大かつ荘厳なる神は、彼らに課されたもの(ジズヤ)をあなたがたに差し出す限りにおいて、あなたがたが許可を得ずして啓典の民の家に入ることを許されなかったし、その女性を叩くこと、その果を食べることを許されなかったのだ。」(アブー・ーウド)

エジプトのアフマド・ブン・トゥールーンの時代に興味深い逸話があります。ある日、キリスト教の修道士が総督について不平を訴えるためにトゥールーンの宮殿を訪れました。彼を見た番兵は彼の抱える問題について尋ねましたが、総督が修道士から300ディナールを奪ったことを知ると、彼が不平を訴えないことを条件に彼自らが修道士に直接その額を支払うことを提案し、修道院はその提案を受け入れました。

この出来事を耳にしたトゥールーンは法廷に修道士、番兵、総督を一同に召喚しました。トゥールーンは総督に言いました。「あなたには必要性を満たすだけの十分な収入がないのか? 他者からの搾取を正当化出来るほど、窮乏しているというのか?」

総督は非を認めましたが、トゥールーンは尋問を続けた末に彼を解任しました。次にトゥールーンは総督がいくら奪ったかを修道士に尋ねると、修道士は300ディナールであると答えました。するとトゥールーンはこう言いました。「あなたが3000ディナールだったと主張しなかったことは、大きな懲罰が必要な彼(総督)にとっては不幸中の幸いだったが、私はあなたの主張に基づいた判決しか下すことは出来ない。」そして総督から金を取り、修道士へと返却しました。」2

非ムスリムは名誉が保護される権利も有しています。この権利は非ムスリムの(イスラーム国家)居住者だけでなく、訪問者にも適用されます。彼ら全員には安全性と保護を受ける権利があるのです。神は述べます。

 もし多神教徒の中に、あなたに保護を求める者があれば保護し、アッラの御言葉を聞かせ、その後かれを安全な所に送れ。これはかれらが、知識のない民のためである。(クルアーン96

庇護を受ける権利は、すべてのムスリムが尊重し、庇護者を支援すべきものです。預言者はこのように述べています。

「契約によって課される義務は集義務であり、それに最も近いムスリムがその実現に尽力すべきである。誰であれ、ムスリムによって授与された保護を侵害する者は、神、天使、そして全人の呪いを受け、審判の日に彼のための執り成しは一切認められないであろう。3

女性の教友のひとり、ウンム・ハーニーは預言者にこう言っています。

「神の使徒よ、私の兄弟アリは私が庇護するイブン・フバイラという名の男と戦うと宣言しています。

預言者は彼女に言いました。

「ウンムハーーよ、あなたが庇護を与えた者は誰であれ、我々すべての庇護下にあるのだ。4

庇護を受ける権利とは、それを求める非ムスリムに対してムスリムが庇護を与え、安全を保証するものであり、それを侵害する者すべてへの痛烈な懲罰を警告するものです。庇護はそれが与えられた者に対する侵略・攻撃からの保護を保証するものです。他のいかなる宗教もこの権利を明確に保証したものはありません。

 


Footnotes:

1 ムスナド・アフマド

2 Ibn Hamdun, ‘at-Tazkira al-Hamduniyya,’ vol. 3, p. 200-201

3 サヒーフ・ブハーリー、イブン・マージャ

4 サヒーフ・ブハーリー。

(11/13):良い処遇

クルアーンでは、敵対者でない限り、ムスリムが親切さと寛大さの精神をもって非ムスリムと接するよう指示します。

 “アッラーは、宗教上のことであなたがたに戦いを仕掛けたり、またあなたがたを家から追放しなかった者たちに親切を尽し、公正に待遇することを禁じられない。本当にアッラーは公正な者を御好みになられる。アッラーは只次のような者を、あなたがたに禁じられる。宗教上のことであなたがたと戦いを交えた者、またあなたがたを家から追放した者、あなたがたを追放するにあたり力を貸した者たちである。かれらに縁故を通じるのを(禁じられる)。誰でもかれらを親密な友とする者は不義を行う者である。”(クルアーン60:8−9)

イスラーム学者の権威の一人、アル=カラーフィーは上記の節で言及される「親切に尽くす」ことの意義深さを説明します。

「…弱者への親切としては彼らへ衣服を提供し、優しく語りかけることが含まれる。これは思いやりと慈悲の念からなされなければならず、怯えさせたり侮辱的であってはならない。さらには、彼らが厄介な隣人であったとして、あなたが強制的に退出させることが出来るにも関わらず、恐怖心や経済的理由からでなく、親切心によってそれを大目に見ることも含まれる。また、彼らが導きを得ることの出来るよう、また外的な報奨がある者として祝福されるよう祈り、また現世的・精神的な事柄について助言し、彼らが誹謗されているときにもその評判のみならず、財産、家族、権利、関心事について守ることである。そして彼らが抑圧を受けないよう、権利を享受することの出来るように援助することである。」1

非ムスリムへのこうした処遇に関する神の指令は、ムスリムによって真摯に受け止められました。それは朗誦するだけのための節ではなく、行動に移すための神の御意だったのです。預言者(神の慈悲と祝福あれ)自身、最初に神の指令を実行に移しており、彼に続いてカリフ、そして信仰者からなる一般大衆がそうしたのです。預言者の伝記からは、こうした種類の非ムスリムとの寛容な共存の場面が多く見て取れます。彼の隣人には何人かの非ムスリムがおり、預言者は彼らに親切にし、お互いに贈り物を交わしていました。預言者は彼らが病気のときには見舞い、それ以外のときには商取引をしていました。また預言者が定期的に喜捨をしたユダヤ教徒の家族もあり、ムスリムたちは預言者の死後も彼らに喜捨をし続けました2

エチオピアからのキリスト教徒の代表団がマディーナを訪問した際、預言者は彼のモスクを彼らのために開放して歓待し、彼自身も彼らへ食事を運びました。彼はこう述べています。

「彼らは私の教友たちに寛大であったから、私も彼らに寛大でありたいのだ…」

ここでは、彼らの一部がマッカでの迫害を逃れてアビシニアへ移住した際、教友たちが庇護を与えられた件が言及されています3。その他、ザイド・ブン・サナというユダヤ教徒の男が預言者の元に負債の徴収に訪れたとき、預言者の上着を掴み、預言者を自分の顔の方へ力づくで引き寄せ、こう言った出来事もありました。「ムハンマドよ、お前らはいつ私への返済をするのだ? お前の部族バヌー・ムッタリブはいつになれば期限内に借金を返済するようになるのだ?」 預言者の教友の一人ウマルは興奮してこう言いました。「神の敵よ、お前が神の預言者に対して言い放ったことを、私は本当に耳にしたのか? 真理をもって彼をお遣いになったお方にかけて誓うが、 彼が私をお咎めになることを私が恐れていなければ、私は剣を抜いてお前の首を切断しているところだぞ!」預言者は落ち着いてウマルの方を見やり、穏やかにこう譴責しました。

「ウマルよ、我々が耳にしたいのはそういう言葉ではありません。あなたは私が期限内に返済をするよう忠言すべきだったのであり、同じような態度で彼に返済の許可を求めるべきだったのです。彼へ私の資金から返済し、彼にナツメヤシを20サーア(単位)与えなさい。

こうした預言者の態度にユダヤ教徒の男は感嘆し、その場で即座にイスラームへの改宗を宣言したのです4

預言者ムハンマドの教友たちは、非ムスリムといかに接すべきであるかというこの模範に倣いました。ウマルは預言者が面倒を見ていたユダヤ教徒家族への恒久的な給付基金を設けました5。彼は次のクルアーンの節から、啓典の民に対する基金設立の正当性を見出したのです。

 “施し〔サダカ〕は、貧者、困窮者、これ(施しの事務)を管理する者、および心が(真理に)傾いてきた者のため、また身代金や負債の救済のため、またアッラーの道のため(に率先して努力する者)、また旅人のためのものである。これはアッラーの決定である。アッラーは全知にして英明であられる。”(クルアーン9:60)

預言者ムハンマドの著名な教友の一人であるアブドッラー・ブン・アムルは、隣人に惜しみなく施しました。彼は宗教的祝祭日には、ユダヤ教徒の隣人に召使いを送って肉を分配しました。驚いた召使いは、ユダヤ教徒の隣人に対するアブドッラーの気遣いについて尋ねました。そしてアブドッラーは彼に、預言者ムハンマドのこの言葉を紹介したのです。

「天使ガブリエルは私に対し、隣人に寛大であるよう念に念を押したため、かれが隣人を私の相続人にするのではないかと思った程だった。6

歴史に目を向けると、ムスリムの為政者がその長官に対し、どのようなユダヤ教徒住民の扱いを求めていたかを知ることの出来る、驚くべき例が存在します。モロッコのスルターンだったムハンマド・ブン・アブドッラーは、1864年2月5日に次の勅令を発行しています。

「我々の領土における公認代議士としての職務を担う民間役員と代理人たちへ、我々は次の勅令を発行する。

「彼らは領土内のユダヤ教徒住民に対し、神によって定められた絶対的基準にしたがって接しなければならい。法に基づき、ユダヤ教徒たちには他者と同様の平等性のある処遇を与え、誰一人として最小限の不正、抑圧、虐待も被ってはならない。彼らの共同体の一員、またはその外部からの者、また彼らの財産に対し、いかなる違反も認められない。彼らの職人、芸術家に対し、意思に反して奉仕させてはならず、国家のために働いた暁には最大限の賃金が与えられなければならない。いかなる抑圧であれ、それは審判の日に抑圧者にとっての暗闇の原因となるのだ。我々はそうした悪事を一切容認しない。我々の法の前には全人は平等であり、ユダヤ教徒に対し悪事や侵略を働く者に、我々は神の助けによる懲罰を加える。ここで我々が述べる勅令は、常に知られてきたものと同じ既定の法である。我々がこの勅令を発行したのは、ただユダヤ教徒たちに害を及ぼそうとする者たちへの警告とし、彼らがより大きな安心感を得、彼らへ危害を与えようとする者たちにそれを思いとどまらせるためである。」7

ルノーは、ムスリムによる非ムスリム少数派への寛大・公正な処遇を認知した西洋の歴史家の一人です。彼はこう発言しています。

「イスラーム化していたスペインにおけるムスリムの都市では、非ムスリムは最大限の処遇を受けていた。そのお返しとして、非ムスリムはムスリムの慣習に敬意を払い、自分たちの子供に割礼を施し、豚肉の消費を慎んでいたのである。」8

 


Footnotes:

1           Al-Qarafi, ‘al-Furooq,’ vol 3, p. 15

2           Abu Ubayd, al-Amwaal, p. 613

3           Ibn Hamdun, ‘at-Tazkira al-Hamduniyya,’ vol. 2, p. 95

                Siba’i, Mustafa, ‘Min Rawai Hadaratina,’ p. 134

4           Ibn Kathir, ‘al-Bidaya wal-Nihaya,’ vol 2, p. 310

5           Abu Yusuf, Kitab al-Kharaj, p. 86

6 サヒーフ・ブハーリー。

7           Qaradawi, Yusuf, ‘al-Aqaliyyat ad-Diniyya wa-Hal al-Islami,’ p. 58-59

8           Quoted by Siba’i, Mustafa, ‘Min Rawai Hadaratina,’ p. 147

(12/13):社会保障

近代の福祉国家は、貧しい市民に福祉を提供していますが、イスラームではあらゆる国家に先行して社会保障を実施していました。イスラーム法では、ザカー(義務の喜捨)とサダカ(任意の喜捨)によりムスリムに必要な経済的援助を与えます。ザカーは裕福なムスリムが貧しいムスリムを支援するための義務であり、サダカは困窮者の手助けを希望する者の個人的裁量に任されました。イスラームによって提供されたこの社会保障は、非ムスリムにも適用されました。イスラーム法は、ムスリム・非ムスリムを問わず、国家が障害を持つ働くことの出来ない市民を養うことも命じます。彼らは公的資金から受給されますが、為政者がそうしなかった場合、それは怠慢から来るものなのです。歴史には、ムスリムが非ムスリムに社会保障を提供した多くの例が記録されています。イスラームにおける第二のカリフ、ウマル・ブン・アル=ハッターブは、ある家の前で物乞いをする盲目の老人を見かけました。ウマルは彼がどの宗教に属するのかを尋ねました。老人は彼がユダヤ教徒であると述べました。ウマルは彼に尋ねました。「なぜあなたはそんなことをしているのですか?」老人は言いました。「そんなことは私に聞かないでくれ。貧困と老年に聞いてくれ。」ウマルはその老人を自宅に連れ帰り、自分のお金から彼に分け与え、財務長官にこう命じたのです。「この老人、そして彼と同様の境遇にある人々の世話をしなければならない。我々は彼のような人々に尽くしてこなかった。我々と共にある人々は、老年に達して惨めになるようであってはならないのだ。」また、ウマルは彼、そして同様の人々からジズヤの支払いを免除したのです1

ハーリド・ブン・アル=ワリードによるイラクの都市ヒーラの人々への手紙には、別の例を見出すことが出来ます。彼による停戦協定の申し出には、このように書かれています。

「もしも神が我々に勝利をもたらすのであれば、契約の民は保護されるであろう。彼らには神により約束された諸権利があるのだ。それは神がかれの諸預言者に対して課せられた最も厳格な契約なのである。また彼らには決して破ってはならない義務が課せられている。もし彼らが征服されたなら、彼らは快適な生活をし、必要なものすべてが与えられる。働くことの出来ない老人、身体障害者、自らの地域で喜捨を受給している者たちからはジズヤの支払いを免除するよう、私は命じられている。ムスリムの土地、またはムスリムが移住した共同体に居住する限りにおいて、彼らと彼らの扶養家族には公庫からの支給を受ける。もし彼らがムスリムの土地から移住したのであれば、彼らと彼らの扶養家族はいかなる利益を受け取る資格もなくなる。」2

別の例は、二代目正統カリフ、ウマル・ブン・アル=ハッターブがダマスカスを訪れた際にも見られます。彼はキリスト教徒のハンセン病患者の集団の前を通りがかりました。彼は彼らへの喜捨と定期的な食料支給がされるよう、命じました3

初期カリフの一人として著名なウマル・ブン・アブドル=アズィーズは、イラクのバスラにいる彼の代理人にこうした手紙を記しています。「あなたの地域に居住する契約の民で、老年に達し、稼ぎを得ることが出来ない者を探し、彼らが必要性を満たすことの出来るよう、公庫から定期的に支給するのだ。」4

初期のムスリムの一部は、ラマダーン後の喜捨(ザカートル=フィトル)を、次のクルアーンの節の理解に基づき、キリスト教徒の修道士たちに支給していました5

 アッラーは、宗上のことであなたがたに戦いを仕掛けたり、またあなたがたを家から追放しなかった者たちに親切をし、公正に待遇することを禁じられない。本当にアッラーは公正な者を御好みになられる。アッラーは只次のような者を、あなたがたに禁じられる。宗教上のことであなたがたといを交えた者、またあなたがたを家から追放した者、あなたがたを追放するにあたり力を貸した者たちである。かれらに故を通じるのを(禁じられる)。誰でもかれらを親密な友とする者は不義を行う者である。(クルアー608−9

働く権利、住居の権利、移動の権利、就学の権利など、その他の諸権利も存在しますが6、それらが基本的であり当たり前のものとして受け取られていることから、本稿では省略しました。しかし、結論へと進む前に、次の点が指摘されなければならないでしょう。本稿では、ムスリム諸国に住む非ムスリムが、非ムスリム諸国では与えられないような諸権利を享受出来ることを明確にしました。一部の読者の方々は、それらの権利は歴史上すでに存在しており、ムスリム諸国に住む非ムスリムの経験は、現在異なるものだと異議を唱えるかもしれません。著者の個人的な認識としては、依然として非ムスリムはそれらの諸権利の一部、あるいは更に多くを享受しています。全能なるアッラーは、私たちに誠実であるよう命じるのです。

 あなたがた信仰する者よ、証言にあたってアッラーのため公正を堅持しなさい。仮令あなたがた自身のため、または両親や近親のため(に不利な場合)でも、また富者でも、貧者であっても(公正であれ)。アッラは(あなたがたよりも)双方にもっと近いのである。だから私欲に従って、(公正から)逸れてはならない。あなたがたが仮令(証言を)曲げ、または背いても、アッラはあなたがたの行うことを熟知なされる。(クルア4135

さらに、ムスリム諸国に住む非ムスリムの状況を、非ムスリム諸国に住むムスリムの状況と比べたのであれば、それが現在であれ過去であれ、非常に大きな格差を見出すでしょう。十字軍遠征の際や、スペインでの異端審問、または中共・ソビエト連邦において、ムスリムたちはどのような扱いを受けてきたでしょう? 現在においてもバルカン半島、ロシア、パレスチナ、インドでは何が起きているでしょうか? 公正さ、真実、正義に基づいた答えを出すためには、熟考が必要とされます。アッラーこそは最も公正な審判であり、かれはこのように述べています。

 “あなたがた信仰する者よ、アッラーのために堅固に立つ者として、正義に基いた証人であれ。人びとを憎悪するあまり、あなたがたは(仲間にも敵にも)正義に反してはならない。正義を行いなさい。それは最も篤信に近いのである。アッラーを畏れなさい。アッラーはあなたがたの行うことを熟知なされる。”(クルアーン58

 


Footnotes:

1           Abu Yusuf, Kitab al-Kharaj, p. 136

2           Abu Yusuf, Kitab al-Kharaj, p. 155-156

3           Qaradawi, Yusuf, ‘Ghayr al-Muslimeen fil-Mujtama’ al-Islami,’ p. 17

4           Abu Ubayd, al-Amwaal, p. 805

5           Sarkhasi, ‘al-Mabsut,’ vol 2, p. 202

               Jassas, ‘al-Ahkam ul-Quran,’ vol. 3, p. 215

6           Public Regulations Relevant to non-Muslims, p. 43-58.

(13/13):外国の侵略からの保護

非ムスリムの市民はムスリムの市民同様、外敵からの保護を受ける権利を有します。ジズヤの支払いは外部からの侵攻、敵からの防衛、また敵から捕虜とされた際の身代金の支払いが保証されます1

著名な中世イスラーム学者の一人、イブン・ハズムはこう記しています。

「もし我々が敵国に攻撃を受け、彼らが我々と共存する契約の民をも攻撃の対象とするなら、神と使徒が保護した契約の民を保護するために完全武装し、死を決意することは我々の義務である。それ以下のことをするか、または彼らを明け渡すのであれば、神聖なる約束の放棄として咎められることになるのだ。」2

ムスリムがズィンミー(イスラーム国家内に居住する非ムスリム庇護民)のために神聖な約束を果たしたことは、歴史上の多くの例が証言しています。預言者ムハンマドの教友アブー・ウバイダ・アル=ジャッラーフは、シリア征服軍の統率者でした。彼はシリアの人々とのジズヤの支払いの合意を成立させた人物です。

ムスリムの信仰深さと忠誠心を理解していたシリアに住む契約の民は、ムスリムの敵に対抗し、ムスリムたちを援助しました。各地の住民はビザンチンに対してスパイを送り込み、ビザンチンが軍隊を募っていることをアブー・ウバイダの司令官たちに伝えました。結果的に、ムスリムたちは彼らの保護を保証出来ない恐れがあると見込んだため、アブー・ウバイダは司令官たちにジズヤとして徴収したお金をすべて返金する旨を明確にし、次の手紙をシリアの人々に宛てて書きました。

「軍隊が送り込まれる知らせが届いたため、我々はあなたがたのお金を返却する。我々の合意の条件には、我々によるあなたがたの保護が盛り込まれていたが、そうすることが困難であるため、あなたがたから徴収したものをお返しする。もしも神が我々に勝利をお授けになれば、我々の合意は固守されよう。」

司令官たちがお金を返却し、既述の声明を伝えたとき、シリアの人々の反応は次のようなものでした。

「神があなたを再び我々の元に無事お返しになりますように。神があなたに勝利をお授けになりますように。もしビザンチンがあなたの立場だったのであれば、彼らは何一つ返却しなかったでしょうし、彼らは我々の所有物を片っ端から奪いとり、我々を身一つにしたことでしょう。」

ムスリムたちはその戦いに勝利しました。同盟軍の敗北を目撃した街の人々は、ムスリムたちと休戦の締結を望みました。アブー・ウバイダは休戦を結び、最初の協定で述べられていた全ての諸権利を彼ら全てにも提供したのです。彼らはまた、彼らの間に潜んでいるビザンチン人たちが家族や財産に危害を加えられることなく安全に帰国出来るよう要求し、アブー・ウバイダはそれに合意しました。

その後シリア人たちはジズヤを納め、街を開放してムスリムたちを歓迎しました。帰途にあったアブー・ウバイダは市民・村民の代表者たちと会い、彼らからも協定が結ばれるよう求められ、それに喜んで応じました3

ムスリムによる非ムスリム市民の防衛のもう一つの例は、イブン・タイミーヤの行動から見出すことが出来ます。彼は捕虜の開放を求めてシリアを侵攻したタタール人の指導者の元を訪れました。タタール人の指導者はムスリムの捕虜の解放に合意しましたが、イブン・タイミーヤは異議を唱えました。

「我々はユダヤ教徒とキリスト教徒の捕虜たちも同様に全員開放されるまでは満足出来ない。彼らは契約の民である。我々は同胞であれ、契約下にある人々であれ、捕虜を見捨てたりはしない。」

彼はタタール人たちが彼ら全員を解放するまで粘り強く交渉し、それを実現させたのです4

さらに、イスラーム法学者たちも、非ムスリムを外部の侵略から保護することは、内部の抑圧から守ることと同様の義務であると述べています。アル=マーワルディーは述べています。

「ジズヤの支払いは、契約の民に次の二つの権利を与える。彼らには第一に干渉を受けない平穏な暮らし、第二に保護が保証されるのだ。このようにして、彼らは社会における安全と、外部の脅威からの保護を受けるのである。」5

イスラームでは、非ムスリム市民への保護を放棄することは、悪行・抑圧の一形態であると見なします。神はこう述べています。

 “…われは、あなたがたの中、悪を行う者に、懲罰を味わせるであろう。”(クルアーン25:19)

契約の民に危害を加えること、抑圧することは重大な罪であると見なされるのです。彼らとの協定を守ることは、ムスリムのカリフとその代表者たちによる義務なのです。預言者は審判の日、彼らに危害を加える者たちに対し、ズィンミーの弁護をすると約束しています。

「用心せよ!誰であれ非ムスリムの少数派に対し無慈悲・辛辣である者、彼らの権利を侵害する者、彼らが耐えうる以上の重荷を背負わせる者、または彼らの意思に反して彼らの物を奪うのであれば、私(預言者ムハンマド)は審判の日、そうした人物の不平を唱えるであろう。」(アブー・ダーウード)

イスラーム法のすべての根拠は、契約の民を保護する点において合意します。著名なイスラーム学者、アル=カラーフィーはこう記しています。

「契約とは、我々にそれを義務付ける条件を有する契りであり、神と使徒の契約、そしてイスラームの教えによって彼らは我々の保護下に入り、隣人となるのである。もし誰かが不適切な言葉、中傷、あるいはいかなる種類の迷惑であれ彼らに危害を加えるのであれば、その人物は神、その使徒、そしてイスラームの契約を軽んじているのである。」 6

イスラームにおける第二代正統カリフであるウマルは、彼に接見に来る属州からの訪問者たちに現地での契約の民の状況について尋ね、こう言ったものでした。「我々は、協定が依然として守られているかどうかを知りたい。」7また、彼は死の床においてこう言ったことが報告されています。「私の後にカリフを継ぐ者に対し、契約の民に良い処遇を与え、協定を維持し、彼らに危害を加えようとする者たちと戦い、彼らに重荷を背負わせないよう、命じるのだ。」8

イスラーム学者たちによる著作、そしてムスリムの統治者たちの行為は、こうした非ムスリムの権利に対する最初期からのイスラーム的責務を実証しているのです。

 


Footnotes:

1           Some parts of this article are taken from the books: ‘Ghayr al-Muslimeen fil-Mujtama’ al-Islami,’ by Yusuf Qaradawi and ‘Huquq Ghayr is-Muslimeen fid-Dawla al-Islamiyya,’ by Fahd Muhammad Ali Masud.

2           Qarafi, ‘al-Furuq,’ vol 3, p. 14

3           Abu Yusuf, Kitab al-Kharaj, p. 149-151

4           Qaradawi, Yusuf, ‘Ghayr al-Muslimeen fil-Mujtama’ al-Islami,’ p. 10

5           Mawardi, ‘al-Ahkam al-Sultaniyya,’ p. 143

6           Qarafi, ‘al-Furuq,’ vol 3, p. 14

7           Tabari, Tarirk al-Tabari, vol 4, p. 218

8           Abu Yusuf, Kitab al-Kharaj, p. 1136