Дар бораи мақола

Муаллиф :

Muhammad Bin Ibrahim Al-Tuwajre

Сана :

Mon, May 01 2017

Категория :

Jurisprudence

Бор кунед

5つの義務のサラー(礼拝)の後のズィクル(念唱


5つの義務のサラー(礼拝)の後のズィクル(念唱

] 日本語 [

أذكار أدبار الصلوات الخمس
[اللغة اليابانية ]


ムハンマド・ブン・イブラーヒーム・アッ=トゥワイジリー
محمد بن إبراهيم التويجري

翻訳者: サイード佐藤
ترجمة: سعيد ساتو
校閲者: ファーティマ佐藤
مراجعة:  فاطمة ساتو


海外ダアワ啓発援助オフィス組織(リヤド市ラブワ地区)
المكتب التعاوني للدعوة وتوعية الجاليات بالربوة بمدينة الرياض
1429 – 2008
 


⑥5つの義務のサラー(礼拝)の後のズィクル(念唱)


●    義務のサラーを終えてタスリーム したら、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)から正しく伝えられているサラー後のズィクル(念唱)を各自声に出して唱えるのがスンナです。それには以下に挙げるようなものがあります:

●    「私はアッラーにお赦しを乞います。私はアッラーにお赦しを乞います。私はアッラーにお赦しを乞います。」(ムスリムの伝承 )

●    「アッラーよ、あなたこそが平安の主で、平安はあなたからのものです。崇高さと栄誉の主に称えあれ。”」(ムスリムの伝承 )

●    「いかなる共同者もない、唯一のアッラーの他に真に崇拝すべきものはありません。そしてかれにこそ主権と全ての賛美は属し、かれこそは全能のお方です。アッラーよ、あなたがお与えになるものを禁じる者はなく、あなたが禁じられるものを与えられる者はおりません。(現世における)どんな優れた境遇も、あなたの御許での真の幸福を益することはありません。 」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承 )

●    「いかなる共同者もない、唯一のアッラーの他に真に崇拝すべきものはありません。そしてかれにこそ主権と全ての賛美は属し、かれこそは全能のお方です。アッラーの他に諸事を司り事象を変転させる、いかなる威力もありません。唯一のアッラーの他に真に崇拝すべきものはなく、私たちはかれの他にいかなるものも崇拝したりしません。恩恵と潤沢はかれにこそ属し、そしてかれにこそよき誉れがあります。アッラー以外に真に崇拝すべきものはありません。例え不信者たちが忌み嫌おうとも、私たちはアッラーに誠意を尽して仕えます。」(ムスリムの伝承 )

●    それから預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)から伝わる、以下のようなズィクル(念唱)を行います:

1-「サラーを終えるたびにアッラーを33回タスビーフ し、また33回タハミード し、また33回タクビール して(計)99回(のズィクルを)行い、更に“いかなる共同者もない、唯一のアッラーの他に真に崇拝すべきものはありません。そしてかれにこそ主権と全ての賛美は属し、かれこそは全能のお方です”と唱えて100を完遂する者は、例え海の泡ほどの罪があったとしてもそれを赦されるであろう。」(ムスリムの伝承 )

2-「タスビーフを25回、タハミードを25回、タクビールを25回、タハリール を25回」(アッ=ティルミズィーとアン=ナサーイーの伝承 )

3- 「全ての義務のサラー後に33回のタスビーフ、33回のタハミード、34回のタクビールを(唱えてアッラーの念唱を)後続させれば、成功しそびれることはないだろう。」(ムスリムの伝承 )

4-預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「ムスリムが5度の(義務の)サラーの後に数え(て唱え)れば、天国に入ることの出来る2つの特別なもの。それは易しいものであるにも関わらず、行う者は数少ない。」(預言者は)言いました:「5度の(義務の)サラーを終えて10回タスビーフし、また10回タハミードし、更に10回タクビールすれば、それは舌には150、そして報奨の秤においては1500に値するのだ。」(アッ=ティルミズィーとアン=ナサーイーの伝承 )

5-アル=ムアウウィザターン (アブー・ダーウードとアッ=ティルミズィーの伝承 )

6-アーヤト・アル=クルスィー(クルアーン2:255)。預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「サラーの後にアーヤト・アル=クルスィーを読む者は、死んだ後天国に入ることを阻まれないであろう。」(アン=ナサーイーとアッ=タバラーニーの伝承 )
 
アーヤト・アル=クルスィーとは、次のアーヤ(句)のことです:-アッラーはかれの他に真に崇拝すべきものがなく、永生し全てを司る御方。まどろみも熟睡も、かれをとらえることはない。天地にある全てのものは、かれに属する。かれのお許しなくして、誰がかれの御許で執り成すことが出来ようか。かれは(人々の)以前のことも以後のことをもご存知である。かれの御意に適ったことの他、彼らはかれの御知識に就いて、何も会得するところはないのだ。かれの玉座は、全ての天と地を覆って広がり、この2つを守って、疲れも覚えられない。かれは至高にしてこの上なく偉大であられる。,(クルアーン2:255)

●    タスビーフは両手の指で数えるのがスンナです。

1-アブドッラー・ブン・アムル(彼らにアッラーのご満悦あれ)は言いました:「私は、アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)がタスビーフを数えるのを見ました。」(アッ=ティルミズィーとアン=ナサーイーの伝承 )

2-ヤスィーラ(彼女にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は私たちに言いました:“女性たちよ、タスビーフとタフリールとタクディース をするのだ。そして指で数えなさい。その指は(審判の日、)言葉を放つ(その善行の)証人となるのだから。そしてアッラーのご慈悲を忘れてしまわないよう、(ズィクルを)おろそかにしてはならない。”」(アブー・ダーウードとアッ=ティルミズィーの伝承 )

●    ファジュルとアスルのサラーの後、座ってズィクル(念唱)することの徳:

1-アナス(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“早朝のサラーの後で、太陽が昇るまで至高のアッラーをズィクルする民と共に座っていることは、私にとってイスマーイールの子孫の奴隷を4人解放することより愛すべきことである。またアスルのサラーの後で、太陽が沈むまで至高のアッラーをズィクルする民と共に座っていることは、私にとって奴隷を4人解放することより愛すべきことである。”」(アブー・ダーウードの伝承 )

2-ジャービル・ブン・サムラ(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はファジュルのサラーの後、太陽が完全に昇るまではサラーしたその場に座っていたものでした。(ムスリムの伝承 )

●    ズィクル(念唱)とドゥアー(祈願)をする場所:

1-任意のサラーの後のドゥアーに法的根拠はありません。ドゥアーしたい者は任意のサラーであれ義務のサラーであれ、タスリーム の前に行った方が良いでしょう。しかし何らかの理由で時々サラーの後にドゥアーするのなら、問題はありません。

2-「サラーの後」という限定付きで預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)から伝えられているドゥアー(祈願)は、タスリームの前に行うという意味です。一方ズィクル(念唱)は、タスリームの後に行います。