イスラームにおける 世界の開端と終焉

イスラームにおける 世界の開端と終焉

イスラームにおける
世界の開端と終焉

البداية والنهاية باللغة اليابانية

 

アブドゥッラフマーン・アッ=シーハ博士著

 

サイード佐藤訳

 

 
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目録
1.本書で用いられている専門用語                
2.はじめに                         
3.アッラーへの信仰                        
4.アッラーとは?                        
5.アッラーの存在証明                
6.現象界の創造の始まり            
7.天地の創造            
8.天使の創造                    
9.ジンの創造                    
10.アーダムの創造                    
11.アーダムはいかに創造されたか?                
12.アーダムの特性                        
13.アーダムの子孫は、なぜ様々に異なっているのか?    
14.人類の母ハウワー(イブ)の創造                
15.アーダムとハウワーの住まい                
16.使徒の派遣の始まり                
17.人類とは何か?                     
18.人間の創造における様々な段階        
19.人間は何から創造されたか?             
20.人間の創造における諸段階の詳細                
21.魂とは何か?                         
22.この世の生活の実相            
23.人間とジンの創造の目的    
24.この世の終焉                        
25.死後何が起きるか?                
26.復活の後に起こること        
27.クルアーンにおける復活の証明        
28.いかにして自分自身を救うか?                 
29.イスラームとは何か?                    
30.イスラームの主要な基幹(いわゆる五行)        
31.サラー(礼拝)            
32.ザカー(義務の浄財)                    
33.ラマダーン月のサウム(斎戒、いわゆる断食)        
34.ハッジ(マッカへの大巡礼)                
35.イーマーンの基幹(いわゆる六信)    
36. アッラーへの信仰                        
37. 諸天使への信仰                        
38. 諸啓典への信仰                    
39. 諸使徒への信仰                    
40. 最後の日への信仰                    
41. 定命への信仰                    
42.イスラームの使徒とは誰か?                 
43.預言者ムハンマド()について言われていること        
44.クルアーンとは何か?                    
45.クルアーンについて言われていること            
46.イスラームと学問                    
47.イスラームと富                        
48.終わりに                            


 

本書で用いられている専門用語

・ []サッラッラーフ・アライヒ・ワサッラム:一般に、預言者ムハンマドの名が言及される時に用いられる、彼に対する祈願の言葉です。時に「彼に平安あれ」と訳されますが、これは正確なものではありません。より忠実に訳すとすれば、「アッラーが彼の誉れを称揚され、彼と彼の系譜をあらゆる中傷や汚名からお守り下さい」というところでしょう。

・ []ラディヤッラーフ・アンフ:「アッラーが彼をお悦びになられますよう。」一般に、預言者ムハンマドの教友への祈願の言葉として用いられます。

・ [u]アライヒッサラーム:「彼に平安あれ。」一般に、預言者や使徒などに対する祈願の言葉として用いられます。

・ [I]スブハーナフ・ワ・タアーラー:「いかなる不完全性からも無縁で崇高であり、至高であられるお方。」アッラーを讃える言葉の一つです。

 

 


 


はじめに
アッラー(I)‐全ての讃美はかれにこそ属します‐はこう仰っています:
-人間よ、寛大なるあなたの主においてあなたを欺かせたのは何なのか?。かれこそはあなたをお創りになり、あなた(の形)を整えられ、あなたを均整の取れた形にされたお方。かれはあなたを、かれのお望みの姿に構築された。,(クルアーン82:6-8)
また預言者ムハンマド(r)‐アッラーがその誉れを称揚され、また彼をあらゆる中傷や汚名からお守り下さいますよう‐は、こう言っています:
「全人の祖先はアーダム(アダム)であり、アーダムは一塊の土塊から創られた。」(アブー・ダーウードとアッ=ティルミズィーによる伝承)
そしてアッラーが、彼とその系譜と教友たちのことも、あらゆる中傷や汚名からお守り下さいますよう。
宇宙の創造の起源は、古くから人間が関心を抱いてきたテーマです。そしてそれは特に非ムスリム(非イスラーム教徒)にとって、重要なものであったと言えるでしょう。というのも、イスラームはこのテーマを含め、人間が必要とするあらゆる事象を詳細かつ明確に説明しているからです。ゆえにムスリムは宇宙で発生する現象に混乱することもなければ、それらに関しての理論や仮説‐そしてそれらは新しい理論の出現によって後に抹消されるかもしれません‐を提起することもありません。
私たちムスリムは、これらの事象に関してクルアーン(コーラン)、及び正統なスンナ(預言者ムハンマドrの伝承)が言及する物事を真実であると固く信じています。そして全ての理論は、それらと一致するのです。私たちは、クルアーンとスンナに相違する理論はいかなるものであれ誤謬である、という立場に立っています。
現象界と幽玄界という全世界の創造主であるアッラーは、被造物のことなど必要とされてはいません。そうではなく、アッラーの被造物こそが、かれを必要としているのです。アッラー(I)はこう仰っています:
-人々よ、あなた方こそはアッラーを必要としているのである。そしてアッラーこそは何ものをも必要としない十全なるお方であり、全ての讃美に値するお方なのである。かれがお望みになれば、あなた方を滅亡させ、新しい創造をもたらすこともお出来になる。そしてそのようなことはアッラーにとって、大変なことなどではないのだ。,(クルアーン35:15-17)
そして信仰や善行によって益するのは、自分自身なのです。アッラー(I)はこう仰っています:
-あなた方が不信仰に陥ろうと、アッラーはあなた方のことなどそもそも必要ともされていないのである。そしてかれは、(信仰者の)しもべたちに不信仰をお悦びにはなられない。そしてもしあなた方が感謝するならば、それをあなた方にお悦びになられる。,(クルアーン39:7)
またアッラーは、聖なるハディース の中でこう仰っています:
「わがしもべたちよ!われは自らに不正を禁じ、またそれをあなた方の間に関しても禁じたのだ。ゆえに互いに不正を働き合ってはならない。

わがしもべたちよ!われが正道へと導くことがなければ、あなた方は皆迷妄の中にあるのだ。ゆえにわれに正しい導きを求めよ、そうすればわれはあなた方を導くであろう。

わがしもべたちよ!われが糧を与えることがなければ、あなた方は皆飢餓の中にあるのだ。ゆえにわれに糧を求めよ、そうすればわれはあなた方に糧を与えるであろう。

わがしもべたちよ!われが衣服を着させることがなければ、あなた方は皆裸なのだ。ゆえにわれに衣服を求めよ、そうすればわれはあなた方に衣服を着せてやろう。

わがしもべたちよ!あなた方は昼に夜に過ちを犯すものであるが、われは全ての罪を赦すことが出来るのである。ゆえにわれに罪の赦しを乞うのだ、そうすればわれはあなた方の罪を赦すであろう。

わがしもべたちよ!あなた方はわれを害することも出来なければ、われを益することも出来ない。

わがしもべたちよ!もしあなた方の内の最初の者と最後の者 、人間とジン が皆あなた方の内で最もアッラーを畏れる者の心のようであっても、それがわが王権に少しの増大ももたらすことはない。

わがしもべたちよ!もしあなた方の内の最初の者と最後の者、人間とジンが皆あなた方の内で最も放埓な者の心のようであっても、それがわが王権に少しの欠損ももたらすことはない。

わがしもべたちよ!もしあなた方の内の最初の者と最後の者、人間とジンが一同一つの丘に立ってわれに何かをこいねがい、そしてわれが各人の願いを叶えてやったとしても、それはわが御許において大海に落ちた一本の針を拾い上げた時についてくるしずく程度の量すらも影響を受けることがない。

わがしもべたちよ!あなた方はあなた方の行いによって問われるのであり、それによって報われるのだ。ゆえによきものを見出したならアッラーを讃え、そうでないものを見出したのなら自らを咎めさせよ。」(ムスリムの伝承:2577)
イスラームはアッラーがお選びになられた宗教であり、生き方の指針です。アッラーはイスラームをこそお悦びになられ、そのしもべたちのためにそれを定められたのです。人間は公私に渡る物事や、個人的・社会的諸事を秩序立ったものとするためにも、イスラーム法を必要としています。イスラームはその主な原則や原理に多大な重要性を置いていますが、その一方で二次的な事象にも注意を怠ってはいません。またイスラームは、人生における物資的側面と精神的側面のバランスを整えます。アッラー(I)はこう仰っています:
-この日われ(アッラーのこと)はあなた方のために、あなた方の宗教を完成させた。そしてあなた方への恩恵を全うし、イスラームがあなた方の宗教であることに満足した。,(クルアーン5:3)
人は人生においてイスラームを適用することで、快適さや満足感、精神的安らぎといった喜びを得ます。アッラー()はこう仰ります:
-そしてわれら(アッラーのこと)があなた(預言者ムハンマドr)を遣わしたのは、全世界への慈悲ゆえに他ならない。,(クルアーン21:107)
そしてイスラームを実践することにより、来世においてはアッラーのご満悦を得、天国に入ることを許されます。彼はそこで永遠の生命を生きるのです。アッラー(I)はこう仰っています:
-(イスラームを)信仰し善行に励む者たちこそには、フィルダウス(天国の最高位)の楽園がその住まいとして与えられよう。,(クルアーン18:107)
そしてアッラーはイスラームという宗教を、最後の時までお守りになられるのです。アッラー(I)はこう仰っています:
-実にわれら(アッラーのこと)は、訓戒(クルアーン)を下した。そしてわれらはその守護者なのである。,(クルアーン15:9)
イスラームの敵はイスラームのイメージを歪曲したり、根拠のないでっち上げを画策したりすることに奔走しますが、アッラーはイスラームをお守りになられるのです。アッラー(I)はこう仰ります:
-虚偽は、その前からも後ろからも近づくことが出来ない。それ(クルアーン)はこの上なく英知に溢れ、讃えられるべきお方の御許から下されたものなのである。,(クルアーン41:42)

そして最後には、アッラーの法とその宗教、そしてかれの軍勢が勝利者となります。アッラー(I)はこう仰っています:
-アッラーとその使徒(ムハンマド)に敵対する者たちは、彼ら以前の者たちと同様に辱めを受けるであろう。われら(アッラーのこと)は明白なみしるしを下したのだ。不信仰の民には屈辱的な懲罰があろう。,(クルアーン58:5)
イスラームの敵はイスラームの興隆を阻止しようとしますが、それは必ず失敗することになっているのです。アッラー(I)はこう仰っています:
-不信仰者たちは、(人々を)アッラーの道から妨害するために、その財産を施す。彼らに施させるがよい。やがてそれは彼らの後悔となり、彼らは打ち負かされるのだ。不信仰者たちは、地獄へと召集されるのである。,(クルアーン8:36)
アッラーの法は勝利し、そのご命令は永遠であり、かれの宗教は永劫に続きます。アッラー(I)はこう仰っています:
-彼らは口先で、アッラーの御光(イスラーム)をもみ消そうとしている。しかしアッラーはたとえ不信仰者たちがそれを忌み嫌おうとも、その御光を完遂させられる。,(クルアーン61:8)
またアッラーはイスラームに勝利をもたらし、それを全ての上に君臨させることを約束されています。アッラー(I)はこう仰ります:
-かれ(アッラー)こそは、導きと真理の宗教をもって、それ(イスラーム)を全ての宗教の上に君臨させるべく、その使徒(ムハンマド)を遣わされたお方。誠にアッラーこそは万全なる証言者であられる。,(クルアーン48:28)
また預言者ムハンマド(r)は、こう言っています:
「この宗教は、昼夜の変遷するあらゆる場所へと到達するであろう。アッラーは土で造られた家であろうが、ラクダの毛で造られた家(天幕)であろうが、どこへでもこの宗教をお届けになられるのだ。そしてそれは強力な者の威力によるものかもしれないし、あるいは惨めな者の屈辱によるものかもしれない。つまりアッラーがその者によって、イスラームという宗教に威光と栄光をお与えになられる者となるか、あるいはアッラーが不信仰に屈辱をお与えになられるゆえに惨めな者となるか、ということである。」(アフマドとイブン・ヒッバーン、アル=ハーキムによる伝承)
たとえムスリムがイスラームを正しい形で宣布しなかったとしても、イスラームという宗教は拡大し、多くの人々はそれを受容しています。その主たる理由は、イスラームが人間の自然な本性にそぐうものであり、その欲望を満たし、かつ心理的・社会的・経済的・政治的側面など、人間の全側面における安定性を保証するからでしょう。またアッラーはそのしもべに内面的強さを与えてくれますが、このことも一つの理由に数えられるに違いありません。  
一方でイスラームの敵は、この宗教に宣戦布告するべく、あらゆる手段を活用して奮闘しています。彼らは人々のイスラーム受容を阻止し、その道に立ちはだかろうとします。そしてイスラームがテロリズムを承認する、時代に逆行した教えと吹聴することで、人々を恐がらせるのです。
彼らがそうするのは、イスラームが彼らの目的達成を完全に阻むからに他なりません。イスラームは人々の搾取を阻止します。というのもイスラームはあらゆる形式の不正を禁じ、人間がアッラー以外の何かに隷従することを糾弾するからです。そのようなことは、特にその抑圧された人々が弱い立場にある場合、特に重大な罪と見なされます。イスラームはそれが個人であれ、集団であれ、社会であれ、他者を蔑むことを厳しく禁じているのです。アッラー(I)はこう仰っています:
-人間よ、実にわれら(アッラーのこと)はあなた方を1組の男女から創った。そしてあなた方を多くの民族や部族に分け広げた。それはあなた方が互いに知り合わんがためなのである。実にアッラーの御許で最も貴い者は、あなた方の内で最もタクワーの強い者。アッラーは全てをご存知になり、全てに通暁されたお方。,(クルアーン49:13)

私は拙著を記すにあたり、聖クルアーンから頻繁に引用します。それはアッラーご自身が、人間が自力で創造の開端に関する真実を解き明かすことの不可能性に、言及されているからです。アッラー(I)は仰っています:
-われら(アッラーのこと)は、天地の創造にも、あるいは彼ら自身の創造にも、彼らを立ち会わせたりしなかった。われらは迷妄へといざなう者たちを、自らの援助者などとすることもなかったのだ。,(クルアーン18:51)
またもう一つの源泉として、私は正統なスンナ(預言者ムハンマドrの伝承)を用いたいと思います。そしてクルアーン、及び預言者ムハンマドrのスンナ において言及された事実を、近代科学・理論・発明などに関連付ける作業は回避します。というのも今日真理と見なされているそれらの理論は、明日には別の理論にとって代わられるかもしれないからです。近代科学の発展により、過去に真理と見なされていた多くの理論は、現在誤謬であったことが明らかになっています。しかしアッラーは、真実以外のことを語られることがありません。
-彼らはあなたに、魂について尋ねる。言うがよい、「魂はわが主の命によるもの。あなた方(人類)は知識を、ごく僅かしか与えられてはいないのだ。」,(クルアーン17:85)

 


 
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アッラーへの信仰
アッラーとその存在、そしてその唯一性への信仰は、イスラーム法の基盤です。この基幹における信仰は、残りの信仰基幹を信じることの原因ともなっています。預言者ムハンマド(r)は天使ジブリール(ガブリエル)に「イーマーン(信仰)とは何か?」と尋ねられ、こう答えました:
「アッラーとその諸天使、その諸啓典、その諸使徒と、最後の日、そしてそれが善いことであれ悪いことであれ、運命を信じることです。」(ムスリムの伝承)
アッラーとは?
アッラー(I)は仰っています:
-かれこそはそれ以前にも、それ以後にも何ものも存在しないお方であり、最も高くかつ最も近いお方である。そしてかれは全てをご存知なのだ。,(クルアーン57:3)
また、アッラー(I)は仰います:
-かれこそはアッラー、かれ以外に崇拝すべきものは存在しない。(かれこそは)真の王。この上なく神聖なるお方。最も平安なるお方。最も平安を与えられるお方。最もよく監視されるお方。最も偉大なるお方。全てを従えられ、最も高遠なるお方。かれは彼ら(不信仰者)がかれに並べて配しているものなどからは無縁な、この上なく崇高なるお方である。かれこそはアッラー。(かれこそは)創始者であり、造物主であり、造形主。かれにこそ美名は属する。天地にあるものは全てかれの崇高さを讃えるのだ。そしてかれはこの上なく偉大で、英知溢れたお方であられる。,(クルアーン59:22-24)
また、アッラー(I)はこうも仰っています:
-アッラーはかれの他に真に崇拝すべきものがなく、永生し全てを司る御方。まどろみも熟睡も、かれをとらえることはない。天地にある全てのものは、かれに属する。かれのお許しなくして、誰がかれの御許で執り成すことが出来ようか。かれは(人々の)以前のことも以後のことをもご存知である。かれの御意に適ったことの他、彼らはかれの御知識に就いて、何も会得するところはないのである。かれの玉座は、全ての天と地を覆って広がり、この2つを守って、疲れも覚えられない。かれは至高にしてこの上なく偉大であられる。,(クルアーン2:255)
イスラームにおいて、アッラーは知られ得る存在です。というのもこの宗教は、アッラーがいかなる存在かということを説明し、かれの美名を教え、そしてまた私たちがどのようにかれに祈願すべきか、いかにしてかれのお近づきという光栄を得ることが出来るか、ということを明らかにしているからです。アッラーの特性としては、以下のようなものがあります:
1)アッラーは存在する。全宇宙とそこに存在するものは全て、アッラーの存在を証明しています。アッラー(I)はこう仰いました:
-言え、「天地にあるもの全てに目を凝らすのだ。」しかし信仰しない民には、いかなるみしるしも警告も役立つことがない。,(クルアーン10:101)
2)アッラーは唯一であり、かれの主権に共同するいかなるものも存在しない。アッラーには妻や子などなく、全被造物はかれに全面的に依拠しています。かれにはパートナーもライバルもなく、また比肩し得るものもありません。またアッラーはいかなる被造物も必要とされることはありませんが、全ての被造物はアッラーを必要としています。かれは何かから生じたわけでも、また何かを生むわけでもありません。アッラー(I)は仰っています:
-言え、「かれこそは唯一なるアッラー。アッラーこそは全てのものが依拠するところの主。かれは生むことも生まれることもなく、そしてかれに匹敵する何ものもない。」,(クルアーン112:1-4)
3)アッラーは全てをご存知であり、全てに通暁されている。アッラー(I)は仰ります:
-そしてわれら(アッラーのこと)があなた方の証人となることなしには、あなた(ムハンマドr)が何かを意図し行うこともなければ、クルアーンを読むこともなく、またあなた方が何らかの行為を没頭して行うこともないのだ。そして小蟻ほどの重さのものであっても、あるいはそれより小さい、あるいは大きなものであっても、天地においてあなたの主から隠れられるものはないのである。,(クルアーン10:61)
4)アッラーは永遠に生きられるお方であり、滅びることがない。アッラー(I)は仰っています:
-かれは永生されるお方。かれ以外に崇拝すべきものは何もない。ゆえにかれに何ものも並べて配することなく、かれのみを真摯に崇拝するのだ。万有の主アッラーにこそ讃えあれ。,(クルアーン40:65)
5)アッラーは完全に公正なるお方。アッラーは暴虐や抑制、不正などを行われることのないお方です。アッラー(I)はこう仰ります:
-そしてわれら(アッラーのこと)は審判の日のために公正な秤を設けるゆえ、魂はいかなる不正も被ることがない。そしてからし種一粒ほどの重さ(の行い)でも、われらは提示しよう。われらは精算者として完全なのである。,(クルアーン21:47)
6)アッラーはいかなるものにも相似されないお方。アッラーはいかなるものにも相似することがありません。またいかなるものも、アッラーの御業や特性に関して比較されることもありません。アッラーは全側面において、完璧さを有しているのです。かれがその実現をお望みになることは実現しないことがなく、またかれがそうお望みになられないことは、決して起こり得ません。アッラー(I)はこう仰います:
-アッラーは、かれ以外に崇拝すべきもののないお方。かれには最高の美名が属する。,(クルアーン20:8)
またアッラー(I)は、こうも仰っています:
天地の創造主。(かれは)あなた方自身からあなた方の配偶者をお創りになり、そして家畜にもつがいをお創りになられた。こうしてあなた方は繁殖する。かれ(アッラー)に似たものは何1つない。にも関わらず、かれは全てを聞き、ご覧になられるお方なのである。,(クルアーン42:11)
アッラーには数多くの美名と特性があります。そしてそのいずれも、かれの完璧さと荘厳さを示しているのです。もしお望みであれば、それらについて詳細に説明してくれる書物を参照してみるとよいでしょう。
尚アッラーの美名の数は、無制限です。預言者ムハンマド(r)はこう言いました:
「辛苦や悲しみにある時に:
「アッラーフンマ・インニー・アブドゥカ、イブヌ・アブディカ、イブヌ・アマティカ、ナースィヤティー・ビヤディカ、マーディン・フィーヤ・フクムカ、アドゥルン・フィーヤ・カダーウカ、アスアルカ・ビクッリスミン・フワ・ラカ、サンマイタフ・ビヒ・ナフサカ、アウ・アンザルタフ・フィー・キタービカ、アウ・アッラムタフ・アハダン・ミン・ハルキカ、アウィスタアサルタ・フィー・イルミルガイビ・インダカ、アン・タジュアラルクルアーナ・ラビーア・クルービー、ワ・ヌーラ・サドゥリー、ワ・ジャラーア・フズニー、ワ・ザハーバ・ハンミー。(意味:「アッラーよ、私はあなたのしもべです。あなたの男のしもべの息子で、あなたの女のしもべの息子です。私の前髪はあなたの御手に委ねられています 。あなたの私に対する裁定は既に成され、私に関するあなたの判決は公正です。私はあなたが自らそう名付けられた、あるいはあなたの啓典の中で下された、あるいはあなたがあなたの創造物の内の何ものかに教えられた、あるいはあなたが不可視なる知識においてそれを占有されている全ての御名において、クルアーンを私の心の春とし、私の胸中の光とし、私の悲しみや不安を取り除くものとして下さい。」)」
…と唱える者には、アッラーがその悲しみを喜びに代えて下さるであろう。」(アフマドとイブン・ヒッバーンの伝承)
しかしアッラーの美名と特性は、被造物の有するそれとは異なる次元のものです。たとえばアッラーは存在しますが、その存在は、被造物の存在とは異なるものなのです。またアッラーはお聞きになられますが、それは被造物の「聞く」という特性とは異なるものです。同様にアッラーはご覧になられますが、それは被造物の「見る」という特性とは違うものなのです。この一般原則は、アッラーに属する全ての美名と特性に適用されます。アッラー(I)ご自身、ご自分を描写されてこう仰いました:
-しかし彼ら(人間)は、かれのことを全く知りかねるのだ。,(クルアーン20:110)
人間は、アッラーの荘厳さを完全に把握することは出来ません。アッラー(I)はこう仰いました:  
-視覚がかれ(アッラー)を捉えることはなく、かれこそが視覚を捉えられるのである。かれこそは霊妙にして、全てをご存知になられるお方。,(クルアーン6:103)
一方で人間は、あらゆる物事において真実を探求したいという天性と共に創造されました。ゆえにアッラーとその存在についての熟考が、信仰心の否定に繋がることはありません。それどころか、それは信仰心を示す一つの兆候であるとさえ言えるでしょう。    
教友アブー・フライラ()はこう伝えています:
「何人かの教友が、預言者ムハンマドrにこう尋ねたことがありました:“時々私たちは、口にするのもはばかれるようなことを考えてしまうのですが?”彼はこう言いました:“そんなことがあるのか?”彼らは頷きました。すると、預言者はこう言ったのです:“それこそが、真の信仰心の印 なのである。”」(ムスリムの伝承)
このような考えは、あらゆる手段を用いて人々をアッラーの宗教から迷わせようとする、シャイターン(悪魔)の囁きによるものです。シャイターンは、過去そのように誓いました。アッラーはクルアーンの中で、シャイターンが次のように言ったことに言及されています:
-(イブリース:シャイターンは)言った:「いかがでしょうか?あなたはその者を私よりも尊ばれましたが、もし審判の日まで私に猶予を与えて下さるのであれば、私はごく僅かなる者を除いて、必ずやその全子孫を迷わせてしまいましょう。」,(クルアーン17:62)
また教友イブン・アッバース(t)は、預言者ムハンマド(r)がこう言ったと伝えています:
「ある男が預言者ムハンマド(r)のもとにやって来て、こう言いました:“アッラーの使徒よ、私はそんなことを口外することよりも、空に投げ飛ばされてしまう方がましだ、というようなことを時に考えてしまいます。”すると彼()は答えました:“アッラーは偉大なり!アッラーは偉大なり!そのような考えが、シャイターンの姦計と悪い囁きであるということをあなたにお授けになられたアッラーに、讃えあれ!”」(アフマドの伝承)
シャイターンは人間が、人間の知性が理解不可能なことにまで問いかけるよう策略します。そのような状態になった場合、以下のような預言者ムハンマド(r)の言葉を参考にするとよいでしょう。
「人は問い続ける。そして最後には、“アッラーは被造物をお創りになられた。それではアッラーを創ったのは誰なのか?”などという質問をするまでに至るであろう。そのような所にまで到達してしまったら、こう言うのだ:“私はアッラーを信じる。”」(ムスリムの伝承)
またアッラーの使徒()は、別の形でこのような邪念を振り払う方法を教示しています。彼はこう言いました:
「シャイターンはあなた方のもとを訪れ、こう言うであろう:“これを創造したのは誰か?”そしてその質問は、最後には“創造主を創造したのは誰か?”という所にまで到達するであろう。このような状態になったら、アッラーにシャイターンからのご加護を乞い、質問を止めるのだ。」(アル=ブハーリーの伝承)
またアッラーはクルアーンの中で、その真実性を確証されています。アッラー(I)はこう仰いました:
-それでシャイターンからの囁きがあなたに囁きかけて来たら、アッラーにご加護を乞うのだ。かれこそは全聴にして全知なるお方である。,(クルアーン7:200)

アッラーの存在証明
この宇宙に存在する全ては、それらを創造した創造主(アッラー)の存在を示す疑いなき証拠です。優れた知性と自然の天性を備えた者は、このことを完全に理解するでしょう。
アッラーの存在を拒絶する人々は、彼らが感覚的に知覚することの出来る実際的な証拠を要求しているために、そうしているのです。しかし彼らは、矛盾しています。というのも彼らは、この宇宙において実体のない物事の印や効果を観察し、そしてそれらを信じているからです。たとえば人は引力を信じますが、それは不可視のものです。人は、物質が地面に引き付けられるという効果のみを知覚しているだけなのです。また磁力も同様で、人は金属同士が引き付け合うという効果を知るのみで、それを信じています。それどころか、人は自らの知性を見ることもなしに、自らに知性が備わっていることを信じているのです!彼らは自分の感覚に依拠してこれら全てのことを信じていますが、これらの感覚は時に誤った知覚情報をもたらす、というのは周知の事実です。たとえば水の中の棒は屈折して見えますし、少し離れて並んだ二本の平行線は次第に交わっていくように錯覚されます。また私たちは、北極にいようと南極にいようと、あるいは赤道直下にいようと、真っ直ぐに立っていると感じています。これらの例は、人が知性に頼らずに自らの感覚のみに依拠すれば、知覚的な誤謬に陥る可能性があることを示唆していると言えるでしょう。
知性なしには、知識を獲得することは出来ません。知識の獲得手段を、自らの感覚による認識のみに限定する人は、大きな誤りに陥っています。果たしてアッラーが知覚出来ないからと言って、アッラーへの信仰を拒否することは論理的でしょうか?しかもそのことを示す印や効果は、人の周囲のあらゆる場所にひしめいているのに、です。アッラーの存在を実質的な証拠によってのみ探求することは、多くの人を、アッラーの印を熟考することによるアッラーへの信仰から遠ざけています。
アッラー(I)は仰りました:
-そしてフィルアウン(ファラオ)は言った:「ハーマーン よ、私のために楼閣を建てよ。私が門に到達出来るように。(私が言っているのは、)天国の門である。そしてムーサーの神を見るのだ。彼は嘘つきに他ならない。」こうしてフィルアウンには彼の悪行が素晴らしく映って見え、(正しい)道から阻まれてしまった。フィルアウンの策略は、破滅以外の何ものももたらさない。 ,(クルアーン40:36-37)
この呼びかけは、ある時代のみに限定されたものではありません。むしろこの言葉の本質は、無知ゆえに真実を信じることを拒否する者全てに向けられているのです。アッラー(I)はこう仰っています:
-知識のない者たちは、こう言った:「アッラーを私たちに話しかけさせよ。あるいは、あなたがみしるしを携えて来い。」彼ら以前の者たちも、彼らと同様のことを言っていたのである。彼らの心は似通っている。われら(アッラー)は確信をもって信仰する民に対し、既にみしるしを明らかにしている。,(クルアーン2:118)
あるいは、驕慢さゆえに真実を拒否する者にも同様のことが言えます。アッラー(I)はこう仰ります:
-われら(アッラーのこと)との謁見を望まない(つまり復活の日と、来世を否定する)者たちは、言った:「私たちに天使が下されないのはどういうわけか?また私たちが、私たちの主を見ることが出来ないのは?」彼らは実に不遜であり、暴虐の限りを尽くしていた。その日彼らは、天使たちを目の当たりにする。その日罪悪人たちによき知らせはない。そして(天使たちは)彼らに言う:「あなた方は(天国を)禁じられている。」,(クルアーン25:21-22)
またちょうど当時のユダヤ教徒がそうであったように、真実の拒否はある種の不正でもあります。アッラー(I)は仰りました:
-そしてあなた方がこう言った時のこと:「ムーサーよ、私たちはアッラーをこの目で見るまでは、あなたのことを信じたりはしないぞ。」こうしてあなた方が見ている前で、あなた方に稲妻が落ちた。,(クルアーン2:55)

アッラーの存在を示す証拠
    純粋無垢な人間の天性の結果。純真な天性と明晰な理解力を備えた者ならば、この世に存在するもの全ては存在させられ、そしてこの世で起こること全てには特定の原因があることを明確に知っています。たとえば部屋に入ってそこにテーブルがあったならば、人の意識というものは、テーブルが自分でそこに入ったのではなく、むしろ誰かがそれをそこに持って来たのだ、という風に結論付けます。砂漠に住むベドウィンは、このことを純粋無垢な天性によって理解していました。そしてもし「どうして主を知るに至ったのか?」と尋ねられれば、こう答えたのです:「ラクダの糞は、ラクダの存在を示す。ロバの糞も、ロバの存在を示す。また足跡は、誰かがその道を辿ったことを示している。闇夜と白昼、沢山の星々を抱えた大空と深い谷を擁する大地、そして大波のうねる大海、これら全ては、あらゆることをご存知であられるアッラーの存在を示しているのだ。」
    クルアーンの章句。クルアーンはその多くの章句において、人がその周囲を覆う宇宙について熟慮したり、あるいは自分自身の内側に存在する異なる創造物を熟考したりすることへと、いざなっています。そしてこれらは全て、それらの物事を管理している創造主の証明なのです。アッラー(I)はこう仰りました:
-言え、「天地にあるもの全てに目を凝らすのだ。」しかし信仰しない民には、いかなるみしるしも警告も役立つことがない。,(クルアーン10:101)
以下に示すのは、創造主の存在を示すほんの一例です:
*宇宙の創造の完璧さ。そして特定の軌道を迅速に行き交う惑星と、その他の天体の美しさ。これらがほんの少しでもその軌道から外れてしまえば、アッラーのみがご存知になられる大惨事を原因付けることとなってしまうでしょう。それらはその創造の原初から、正確なシステムに基づいて運動し続けているのです。アッラー(I)はこう仰りました:
-(アッラーは)いかなる支柱もなしに、諸天をお創りになられた。それを見てみよ。また地上には高く聳える山々を設えられ、あなた方が揺れ動かないようにした。またそこにありとあらゆる生き物を散りばめられ、天からは(雨)水を下された。こうしてわれら(アッラーのこと)はそこにあらゆる種類の素晴らしいものを、それぞれ雌雄で生育させたのである。,(クルアーン31:10)
また、アッラー(I)はこうも仰っています:
-それで夜と朝を迎える折に、アッラー(の崇高さ)を讃えよ。天地のいずこにおいても、全ての賛美はかれのためにある。また午後の遅くと、初めにも(アッラーを讃えよ)。かれは死から生をもたらし、生から死をもたらされるお方。かれは大地が一旦(乾き果てて)死んだ後に、生き返らせられる。そしてあなた方も同様に、(死んだ後に墓場から呼び)出されるのである。(アッラーが)あなた方を土塊からお創りになり、それからあなた方が人類として散開したのは、かれのみしるしの一つである。またかれがあなた方のために、あなた方が安らぎを得るための配偶者をあなた方自身から創られたこともまた、かれのみしるしの一つである。そしてかれはあなた方の間に、愛情と慈悲の念を授けられた。実にそこには熟考する民への数々のみしるしがあるのだ。また天地の創造と、あなた方の言葉と肌の色の違いもまた、かれのみしるしの一つである。実にそこには知識ある者たちへの数々のみしるしがある。またあなた方の昼夜の睡眠と、(そこにおいて)あなた方がかれの恩恵を求めることが出来ることもまた、かれのみしるしの一つである。実にそこには傾聴する民への数々のみしるしがある。またかれが恐怖と希望の稲光をあなた方に御見せになり、そして天から水を降らせて、一旦死んだ土地を生き返らせるのもまた、かれのみしるしの一つである。実にそこには英明なる民への数々のみしるしがある。またかれのご命令によって天地が(支えもないのに安定して)成立していることも、かれのみしるしの一つである。それからかれが大地(の中)からあなた方を一呼びされると、あなた方は(そこから)出てくるのだ。天地にある全てのものはかれにこそ属し、全てのものはかれに服従する。かれこそは創造を始められたお方であり、やがてそれを繰り返されるが、それは(最初の創造よりも)かれにとって容易いことなのである。天地における完璧なる属性はかれにのみ属し、そしてかれはこの上なく威光高く、英知溢れたお方なのだ。,(クルアーン30:17-27)
またアッラー(I)は、こうも仰ります:
-…そして太陽と月と星々は、かれ(アッラー)のご命令に服従する。かれにこそ創造と全ての権限は属するのだ。万象の主アッラーの崇高さよ。,(クルアーン7:54)
    人間の創造の驚異。そしてその姿形の美しさと、アッラーがお授けになられた能力の数々。アッラー(I)はこう仰っています:
-そして地上には、確信をもって信仰する者たちへのみしるしがある。(そしてそれは)また、あなた方自身の内にもある。一体あなた方には見えないのか? ,(クルアーン51:20-21)
    動物。人間は飲食や衣服、移動手段など、様々な形においてそれらを利用します。アッラー(I)は仰りました:
-そして家畜の中にこそ、あなた方にとっての訓戒はある。われら(アッラーのこと)は、その腹部の胃と血液の間からあなた方に乳を飲ませる。それは飲む者にとって爽快なる、清らかな乳である。またあなた方はナツメヤシと葡萄の果実から、酩酊を催させる飲み物や、よい糧を得る。実にそこには、英明なる民へのみしるしがある。またあなたの主は、蜜蜂にこう示した:「山々や木々、そして(人々が)あずまやとする所に巣を設えよ。そしてあらゆる果実を口にし、あなたの主の道を(服従に)身を低めて行くのだ。」その腹からは、人々にとっての癒しとなる、異なる色の飲み物が産出する。実にそこには熟慮する民へのみしるしがあるのだ。,(クルアーン16:66-69)
    草木や作物。それらは多様な形や色を有しており、人は飲食や住居、医療など多様な形においてそれらを利用します。アッラー(I)は仰りました:
-そしてかれこそは、大地を広げ、そこに聳える山々と河川を設えられたお方。また(かれは)各種の果実に雌雄を定められた。(かれは)夜でもって昼に覆いをお掛けになる。実にそこには熟慮する民への数々のみしるしがある。また大地には、隣接し合う(が、異なった作物や果実を擁する)土地がある。葡萄園、農作物、そして一本の根から出た複数のナツメヤシと、そうではないもの。(それらは)同一の水で生育しても、われら(アッラーのこと)がその果実のあるものを、別のものよりもよいものとする。実にそこには英明なる民への数々のみしるしがあるのだ。,(クルアーン13:3-4)
    地上を行き交う多様な被造物。それらは多様な姿形と構造、独特の性質を有しています。アッラー(I)はこう仰りました:
-またアッラーは、全ての生き物を水からお創りになられた。その内のあるものは腹這いに歩き、またあるものは二本足でもって歩き、またあるものは四本足でもって歩く。アッラーは、かれのお望みになるものをお創りになられる。実にアッラーこそは、全能者であられる。,(クルアーン24:45)
    体内組織とその調和の驚異。これは全被造物の構造に観察されるもので、この結合と複雑なバランスは被造物の生命維持を保障しています。アッラー(I)はこう仰っています:
-(アッラーは)いかなる支柱もなしに、諸天をお創りになられた。それを見てみよ。また地上には高く聳える山々を設えられ、あなた方が揺れ動かないようにした。またそこにありとあらゆる生き物を散りばめられ、天からは(雨)水を下された。こうしてわれら(アッラーのこと)はそこにあらゆる種類の素晴らしいものを、それぞれ雌雄で生育させたのである。これこそアッラーの創造。かれ以外のものが創造したもの(があるというのなら、それ)を見せてみよ。実に不正者たちは明らかなる迷妄の中にいるのだ。,(クルアーン31:10-11)
* 生命を維持するための物質が分配されることにおける驚異。そして、それはあらゆる被造物に配分されるのです。アッラー(I)は仰りました:
-地上の全ての生物で、アッラーにその糧を依存していないものは何一つとして存在しない。かれはそれらの居場所も行き先もご存知である。全ては明白な書 の内に(記録されて)あるのだ。,(クルアーン11:6)
また、アッラー(I)はこうも仰っています:
-いかに多くの生物が、自らの糧さえ手中にしてはいないことか。アッラーこそがそれらと、あなた方に糧を授けて下さるのである。かれこそは全聴かつ全知のお方である。,(クルアーン29:60)
アッラー(I)は、この宇宙に存在する全ての被造物は対に創られたということを、示されています。たとえば天と地、昼と夜、生と死、喜びと悲しみ、太陽と月、動と静、暖かさと寒さ、善と悪、不信仰と信仰、などがそうです。動物界と植物界もその例に漏れず、その内のあるものはよく知られていますが、あるものはまだよく知られてはいません。アッラー(I)はこう仰っています:
-またわれら(アッラーのこと)は、全てのものを雌雄の対に創った。あなた方が(そのことにより)教訓を受ければよいのだが。,(クルアーン51:49)
これらの被造物の熟考は、アッラーへの信仰心を深め、増加させることにもつながります。そしてこれこそが、理知に恵まれた知的な人々の特徴の一つなのです。アッラー(I)はこう仰ります:
-あなた方はアッラーが天から雨を降らせ、それでもって色とりどりの果実を実らせられるのを見ないのか?また山々には白や赤、漆黒など異なった色の縞模様がある。また人々や動物や家畜もまた、それぞれ色が異なっている。実にそのしもべの中でも、知識ある者たちこそがアッラーを畏れるのだ。アッラーこそはこの上なく偉大でお赦し深いお方。,(クルアーン35:27-28)
またアッラーは、この宇宙のある生物に関して言及されていますが、またあるものには言及されてはいません。アッラー(I)はこう仰っています:
-大地から生えるものも、彼ら自身も、そして彼らの知らないものも、全て(の果実)を雌雄の対にお創りになられた、(いかなる欠陥からも無縁である)崇高なお方よ。,(クルアーン36:36)
この宇宙を発生させ、そして保護する、ある特定の力が存在するのは、疑念の余地のない事実です。そしてこの力は、以下に示すいずれかの場合でしかないのです。
1) 宇宙が勝手に存在したということ。これは不条理かつ明白な間違いです。というのも存在する全てのものは、何らかの原因によってしか存在させられないからです。
2) それが宇宙の内部にある何かであれ、あるいはそれ以外のもの(たとえば進化論など)であれ、宇宙が何かによって存在したということ。これは非論理的な仮説であり、正しい理性によって反論されます。というのも、物質はそれ自身と同じような物を創造することは出来ないからです。
3) 宇宙が、そこから隔離した外的な力によって創造されたということ。つまり、創造主アッラーがこの宇宙を創造したということ。これこそムスリムが信じているものであり、無神論者が疑念の渦に巻き込まれているものなのです。アッラー(I)は仰っています:
-無から生じたのか。あるいは彼ら自身が創造者だというのか?それとも(彼らが)天地を創ったとでもいうのか?いや、彼らの信仰は曖昧なのである。,(クルアーン52:35-36)
    それが人間の生得的天性によるものであること。人間は、自分が住んでいる宇宙と同様に、彼ら自身のことも創造した創造主の存在を知り、かつ感じているのです。これは科学者が「宗教的本能」と名付けているものです。アッラー(I)はこう仰っています:
-ゆえにあなたの顔を純正な宗教へと向けるのだ。(それは)人々がそれを元に創造されたところのアッラーの天性 。アッラーの創造に改変はない 。これこそは正しい宗教である。しかし多くの人々は、知らないのだ。,(クルアーン30:30-31)
また預言者ムハンマドrは、こう言っています:
「全ての子供は生得的天性のもとに生まれる。しかしその両親が彼(女)をユダヤ教徒やキリスト教徒にしてしまうのである。それはちょうどあなた方の目にする家畜のようなものだ。あなた方は、家畜が手足を切断されて生まれてきたりするのを見るか?」人々は言いました:「アッラーの使徒よ、夭折してしまった者はどうなりますか?」彼は言いました:「アッラーこそは、その者たちがすることになっていたことをご存知なのである。」(アル=ブハーリーの伝承)
人間というものはたとえその生得的天性が歪められてしまった後でも、その諸事に作用してくるある種の力や、自分が必要な時に縋り付ける存在を尊ぶ傾向にあります。これは古代社会にも観察されたことであり、彼らは偶像を造って崇めていたのです。また崇拝の対象は太陽や月、星であったりもしました。これは人類が共有する本能なのですが、ある者は驕慢さや頑迷さからそれを拒絶し、またある者はそれを信仰します。そしてこの先天的性質は、緊迫的な状況に置かれた時に顕著なものとなるのです。たとえば重い病気を患った時、あるいは悪に制圧された時、人は自然にこう呼びかけます:「アッラーよ!」あるいはその問題を解決してくれる全能の存在を認識しつつ、天を仰ぐでしょう。アッラー(I)はこう仰っています:
-(信仰しない)人は災難に襲われれば、横になっても、座っていても、あるいは立っていても、われら(アッラーのこと)に祈りすがる。しかしわれらがその災難を去らせると、あたかも(以前)彼に降りかかった災難ゆえにわれらに祈りすがらなかったかのように、背き去る。,(クルアーン10:12)
    クルアーンの挑戦。クルアーンは、魂を有する全存在に対し、個別であれ集団であれ、以下のような挑戦を宣言しています。アッラー(I)は仰りました:
-人々よ、一つの譬えが出されたゆえ、それを聴くのだ。あなた方がアッラーを差し置いて祈りを捧げているものは、たとえ一丸になったとしても、一匹の蝿すらも創り出すことが出来ない。そして蝿がそれらから何かを奪ったとしても、それを取り返すことも出来ない。(そのようなものに向かって祈りの成就を)祈る者も、(彼らから偶像として)祈られているものも、共に無力なのである。,(クルアーン22:73)
魂に関する諸事は、全てアッラーの御許に属しています。アッラー以外のいかなる者も、その秘密を知ることは出来ません。アッラー(I)はこう仰っています:
-彼らはあなたに、魂について尋ねる。言うがよい、「魂はわが主の命によるもの。あなた方は知識を、ごく僅かしか与えられてはいないのだ。」,(クルアーン17:85)
被造物は、魂がないものでさえも無から創造することは出来ません。預言者ムハンマド(r)は、アッラーが彼にこう仰った旨を伝えています:
「わが創造に相似するものを創ろうとする者よりも、不正を働く者はあろうか?最も小さい蟻でもよいから、創らせてみるがよい。あるいは一粒の種でも、麦の繊維一本でもよいから創らせてみよ。」(アル=ブハーリーの伝承)
    人間はこの宇宙における法則に関し、自分自身の思い通りに操作することは出来ません。これは創造を行われ、世界の諸事を司られる創造主が存在することの証拠の一つでもあります。アッラー(I)はこう仰りました:
-あなたは、イブラーヒーム(アブラハム)と彼の主について議論した者を見なかったのか?彼はアッラーから王権を授かった(ゆえ、自惚れてイブラーヒームと議論したのである)。イブラーヒームが、「わが主は生をお授けになり、また死をお授けになられるお方。」と言った時、彼は「私も生を与え、死を与えるのだ」と言った。イブラーヒームは言った:「アッラーは東から太陽を昇らせられる。では、あなたはそれを西から昇らせてみるがよい。」すると不信仰に陥っていた者は、困惑してしまった。アッラーは不正者をお導きにはなられないのだ。,(クルアーン2:258)
    人類に下された最後の啓典であるクルアーンと同様のものを創作してみよ、というアッラーの全人類に対する挑戦。このこともまた、アッラーの存在を示す証拠の一つです。この挑戦は最後の日まで、破られることなく継続するのです。アッラー(I)は仰りました:
-たとえ人間とジン(精霊)が団結してこれと同様のクルアーンを捏造しようとしても、同様のものは作ることが出来ないのだ。たとえ彼らが互いに力を合わせても、である。,(クルアーン17:88)
またクルアーンの中には、アッラーの存在やムハンマド()の使徒性に関して疑念を抱いている者に対し、クルアーンと同等のものを創作してみよ、という挑戦のくだりが何度も出てきます。そして当時最も雄弁であったことで知られていたアラブ人らはその挑戦に受けて立ち、可能な限りの努力を払ったのですが、結局失敗しました。クルアーンは彼らが熟知している言葉であるアラビア語で啓示されたにも関わらず、太刀打ちすることが出来なかったのです。その後、アッラーはこの挑戦のハードルをお下げになり、こう啓示されました。
-いや、彼らはこう言っている:「彼(ムハンマド)がそれ(クルアーン)を作ったのだ。」(ムハンマドよ、)言え、:「それと同様の十の章でもよいから、偽造して持って来てみよ。そしてあなた方が本当のことを言っているのなら、あなた方がそうすることの出来るアッラー以外の何かに(そこにおける援助を)祈願してみるがよい。」,(クルアーン11:13)
そしてそれでも誰も太刀打ち出来ないと、更に軽減されました。アッラー(I)はこう仰ります:
-そしてもしあなた方が、われら(アッラーのこと)がわれらのしもべ(ムハンマド)に下したもの(クルアーン)に関して疑念を抱いているのなら、それと同様のものを一章でもよいから持って来てみよ。そしてもしあなた方が本当のことを言っているというのなら、アッラー以外のあなた方の証人(の援助)を祈願してみるがいい。,(クルアーン2:23)
クルアーンは啓示されたアッラーの御言葉なのであり、決して反証されることはないのです。アッラー(I)はこう仰っています:
-このクルアーンは、アッラー以外の何ものかが創作できるような代物ではないのだ。しかし(クルアーンは)それ以前のもの(諸啓典)に対する確証であり、万有の主からの疑念の余地のない啓典の詳細なのである。,(クルアーン10: 37)
また、もしクルアーンが人為の作品であるとしたら、きっとそこには多くの矛盾が現れるはずなのです。アッラー(I)は仰っています:
-一体彼らは、クルアーンをよく熟慮しないのか?もしそれがアッラー以外のものによるものであったら、彼らはそこに多くの食い違いを見出したであろうに。,(クルアーン4:82)
そして私たちの議論である創造の開端と終焉に関する基盤は、アッラー()の次の御言葉の中にあります:
-アッラーこそは全ての創造主であり、全ての被造物の諸事を執り行われるお方なのである。かれにこそ天地の鍵は属している。,(クルアーン39:62-63)

現象界の創造の始まり
人の知識と理解は、彼が属している現象界に関してでさえも圧倒的に不足しています。ゆえに人間にとっては、創造主の偉大さを知り、自分自身をアッラーのご満悦と天国の楽園へと導いてくれる物事に関して以外は、そもそも目に見えない幽玄界に関する理解の必要性はありません。こうした理由から、アッラー(I)は継続的に使徒を遣わされ、人がそれでもって善行に努力すべく、幽玄界の知識の一部をお教えになられたのです。もし人間の知性が壁によって遮断された場所で何が起こっているかということにすら到達出来ないような代物であれば、当然ながら幽玄界のことを理解することは不可能でしょう。  
アッラー(I)はこう仰いました:
-(アッラーは)相重なる七層の天をお創りになられたお方。あなたは慈悲遍きお方(アッラーのこと)の創造に、少しの乱れも見出さない。それで今一度目を凝らして見るがよい。一体あなたはそこに、ただの一つでも亀裂でも見出すことが出来るか?それからまた観察し、そしてもう一度観察してみるがよい。あなたの目は疲弊し、惨めにも(そこにいかなる欠陥も見出すことなく、元に)戻るであろう。,(クルアーン67:3-4)

天地とその間にあるものの創造
アッラー(I)は仰っています:
-そしてかれ(アッラーのこと)こそは、真理をもって天地を創造されたお方。その日、かれが、「(このように)あれ。」と言えば、そうなるのである。かれの御言葉は真実。ラッパが吹かれるその日(審判の日)、大権はかれに属する。(かれは)不可知の事象も、顕現している事象もご存知であり、この上なく英知に溢れ、全てを余すことなくご存知であられる。,(クルアーン6:68)
以下に挙げるのは、天地に存在する被造物のいくつかの例です:
アッラー(I)は仰いました:
-そしてわれら(アッラーのこと)は天を、守られた屋根とした。しかし彼らは、われらのみしるしに背を向けるのである。そしてかれ(アッラーのこと)こそは、昼夜と太陽と月をお創りになられたお方。それら(の天体)は全て、軌道を飛んで行くのだ。,(クルアーン21:32-33)
またアッラー(I)は、こう仰いました:
-あなた方と天の、いずれがより困難な創造であるか?かれ(アッラーのこと)はそれ(天)を築き上げられたのである。(かれは)その上部を高く隆起させられ、それから整えられた。そしてその夜を暗くされ、その昼を顕わにされた。またその後に大地を広げられ、そこから水や牧草を出現させられた。そして山々をそこに固定されたのである。(それらは皆)あなた方と、あなた方の家畜への恵みなのだ。,(クルアーン79:27-33)
またアッラー(I)は仰います:
-またわれら(アッラーのこと)は豊潤さを湛える風を送り、天から(雨)水を降らせる。そしてそれでもって、あなた方を潤わせるのだ。しかしあなた方は、その貯蔵を委ねられている訳ではない(つまり、あなた方はそれを望む者に与えたり、あるいは禁じたりすることが出来ない)。,(クルアーン15:22)
風には様々な種類があります。ある種の風は、アッラー()のご慈悲によるものです。アッラー(I)は仰います:
-そしてかれ(アッラー)こそはそのご慈悲をもって、よき知らせ(慈雨)をもたらす風を送られるお方。そして(その風は雨を大量に含んで)重厚な雲を運び、われら(アッラーのこと)はそれを不毛の大地に降らせる。それからそれでもって水を降らせると、われらはそれでもってあらゆる果実の実を出させる。このようにしてわれらは、死んだ者たちをも(地面から)引き出すのである。あなた方が熟慮するように(われらはこれらの喩えを提示するのである)。,(クルアーン7:57)
またある種の風は、懲罰ゆえのものです。アッラー(I)は仰います:
-それとも、あなた方はかれ(アッラーのこと)が再びあなた方をそこ(荒れ狂う海)に戻し、あなた方に烈風を送り、あなた方の不信仰ゆえに、あなた方を溺死させてしまわないとでも安心しているのか?そしてあなた方はわれら(アッラーのこと)に対し、あなた方の救助を求める者などを見出すこともないのだ。,(クルアーン17:69)
またアッラー(I)は、こうも仰っています:
-…そして火を伴う烈風がそれ(果樹園)を襲い、焼失してしまう…,(クルアーン2:266)
また、アッラー(I)はこうも仰っています:
-それでわれら(アッラーのこと)は、不吉な数日間の間、彼らに痛烈な暴風を送り続けた…,(クルアーン41:16)
アッラーは七層の天と七層の大地をお創りになられました。アッラー(I)は仰います:
 -アッラーこそは七層の天と、そして地においてもそれと同様のものを創られたお方。啓示はその間を下って来る。それはあなた方が、アッラーが全てのことをお出来になり、そしてアッラーが全ての事象を熟知されていることを知るためである。,(クルアーン65:12)
創造の開端において、天地は一体でした。アッラー(I)は仰っています:
-一体不信仰者たちは、天地が(かつては)一体であったのを、われら(アッラーのこと)が別々に分けたことを知らないのか?そしてわれらが全ての生物を水から創造したことも?一体彼らは信仰しないのか?,(クルアーン21:30)
アッラー()は天地と、その間にある全てのものが創造された時のことについて、こう仰っています:
-言え、「あなた方は、大地を2日間でお創りになられたお方を信じず、更にはかれに同位者まで設けるのか?かれこそは万有の主であられるというのに。また、かれこそは丁度4日間でそこに堅固な山々を高く聳えさせ、そこを祝福し、求める者たちのために、そこにおける糧をお定めになられた。それからまだ煙の状態にあった天へと赴きになり、天と大地に対してこう仰られた:“あなた方が望もうとも望まざるとも、(われの命に)服するのだ。”それら(天と大地)は言った:“私たちは従順に服します。”それからかれは(更なる)2日間で7層の天を完成なされ、各天にそのご命令を示された。またわれら(アッラーのこと)は天の最下層を灯火(星々)で装飾し、それを守った。これは偉大かつ全能なるお方の、お定めである。」それで(これらの事実にも関わらず)彼らが背を向けるのならば、こう言うのだ:「私はあなた方に、アードとサムードの(民を襲った)この上ない懲罰を警告した。」 ,(クルアーン41:9-12)

天使の創造
天使はアッラーの創造であり、かれらは光から創られました。預言者ムハンマド(r)はこう言っています:
「天使は光から創られ、ジン(精霊的存在)は火から創られた。そしてアーダムはあなた方に(クルアーンの中で)描写されたもの(土塊)から創られた。」(ムスリムの伝承)
アッラーはかれらに、特定の役割を遂行させられます。アッラー(I)は仰いました:
-(天使たちは言う:)「私たちには皆、特定の役割があります。私たちは列を成し、(アッラーの崇高さを常に)讃美する者です。」,(クルアーン37:164-166)
アッラーは、ジブリール(ガブリエル)、ミーカーイール(ミカエル)、イスラーフィール(ラファエル)など、かれらの内のあるものの名を明らかにされています。アッラー(I)はこう仰っています:
-アッラーとその天使たち、そしてその使徒たちとジブリールとミーカーイールに敵対する者があろうと、実にアッラーこそは不信仰者たちにとっての敵なのである。,(クルアーン2:98)
たとえば、ジブリール()は啓示を携えて使徒たちのもとに下ります。そして彼らは各々の民にそれを伝達したのです。アッラー(I)はこう仰っています:
-(クルアーンは)忠義なる魂(ジブリール)によって下った。警告者となるべく、あなた(ムハンマドr)の心に。,(クルアーン26:194)
ミーカーイール()は雨と植生の役割を担い、イスラーフィールは復活の日にラッパを吹く役目を担っています。かれが最初に吹く一吹きで、全てのものは恐怖に打ちひしがれます。アッラー(I)は仰います:  
-そしてその日角笛が吹き鳴らされ、アッラーがお望みになられるもの以外の天地にある全てのものは恐れおののく。そして全ての者は身をすくませ怯えながら、かれの御許へとまかり出る。,(クルアーン27:87)
次いで、イスラーフィールは審判の日に2回目のラッパを吹きます。この時全てのものは命を奪われ、そして3回目のラッパで全てのものが蘇らされます。アッラー(I)はこう仰いました:  
-そして角笛が吹き鳴らされ、アッラーがお望みになられるもの以外の天地の全てのものは気を失う。それからもう一吹きされると、彼らは立ち上がり眺め回す。,(クルアーン39:68)
また死の天使は、人が死ぬ時にその魂を収集する役目を託されています。アッラー(I)はこう仰いました:
-そしてかれ(アッラーのこと)は、かれのしもべたちの上に威力をもって君臨されるお方。かれはあなた方に(死の)天使を遣わされる。そしてあなた方に死が訪れる時、われらの使い(天使)たちはその魂を抜く。彼らは(われらの命令を)怠ることがないのである。それから彼らは真の主であられるアッラーの御許へと、還される。(真の)裁決は、かれにのみ属するのだ。かれは清算において俊敏この上ないお方であられる。,(クルアーン6:61-62)

またアッラーの玉座を運ぶものや、かれの近くに侍る天使たちもいます。アッラー(I)は仰います:
-マスィーフ(イーサー)は、アッラーのしもべであることを慢じたりはしない。またかれのお傍に召されている天使たちも、同様である。慢心からアッラーへの崇拝を軽んじ、驕り高ぶる者は皆、かれ(アッラーのこと)が(懲罰のため)かれの御許に召集されよう。,(クルアーン4:172)
またあるものは天国での仕事を請け負い、またあるものは地獄でのそれを請け負います。アッラー(I)は仰っています:
-信仰する者たちよ、あなた方自身とあなた方の家族を地獄の業火(へと招くような事柄)から守るのだ。その燃料は人間と石であり、その上には厳しく荒々しい天使たちがいる。彼らはアッラーが命じられたことに逆らうこともなく、そのご命令を遂行するだけなのである。,(クルアーン66:6)
また人間を守る役割を担うものたちもいます。アッラー(I)は仰います:
-(全ての者には)その前から後ろから、アッラーの命ゆえに次々と交替して引継ぎ看視する者たちがついている。,(クルアーン13:11)
またあるものは、人の行いを記録を担当します。アッラー(I)はこう仰いました:
-そして実に、あなた方には(あなた方の行いを)看視する者たちがいる。(彼らは)高貴なる記録者たちであり、あなた方の行いを知っているのだ。,(クルアーン82:10-12)
天使もまた、アッラーを崇拝するために創造されました。アッラー(I)は仰います:
-そしてかれ(アッラーのこと)の御許には、かれを崇拝することにおいて驕り高ぶることもなければ、疲れを覚えることもない者たち(天使たちのこと)がいる。(彼らは)昼夜に(その主の)崇高さを讃美し、休むこともないのだ。,(クルアーン21:19-20)
天使の正確な数は、アッラーのみがご存知です。アッラー(I)はこう仰いました:
-そしてあなたの主の軍勢を知る者は、かれ(アッラー)だけなのである。,(クルアーン74:31)
このテーマについて更なる情報をお望みの方は、クルアーンと真性スンナに基づいて天使とその役割について書かれている本をお読みになられると良いでしょう。

ジンの創造
ジン(精霊的存在)もまた、アッラーを崇拝すべく創造された被造物であり、目には見えない存在です。アッラー(I)は仰います:
-そしてわれ(アッラーのこと)はジンと人間を、われを崇拝させるべくして創造したのだ。われはあなた方からの糧も欲しなければ、あなた方がわれに食を与えることも望んではいない。実にアッラーこそがこの上ない御力を備えられ、(万有に)糧を授けられるお方なのだ。,(クルアーン51:56-58)
彼らには、人間が課されているのと同様の宗教的義務が課されています。アッラー(I)はこう仰いました:
-そしてわれら(アッラーのこと)があなたに、クルアーンに耳を傾けるジンの集団を遣わした時(のことを思い出すのだ)。(彼らはあなたの)クルアーンの朗誦に臨むと、(互いに)言った:「謹聴するのだ。」そして(朗誦が)終わると、自分たちの民のもとへと(彼らを)警告するため立ち去った。(彼らはその民に)言った:「民よ、私たちは実にムーサー(モーゼ)の後に下された、それ以前のもの(諸啓典)を確証する啓典が朗誦されるのを聞いた。そしてそれは真理へと、そして正しい道へと導いてくれるのだ。」,(クルアーン46:29-30)
アッラーは彼らを、火からお創りになられました。アッラー(I)は仰っています:
-(アッラーは)人間を、陶土のような乾いた土塊から創られた。そしてジンを、混じり合う炎から創られた。,(クルアーン55:14-15)
またアッラー(I)は、こうも仰っています:
-またわれら(アッラーのこと)は人間を、変質した黒土からの乾いた土塊からお創りになられた。また(人間の創造に)先んじてジンを、無煙の焔から創られた。,(クルアーン15:26-27)

アーダム()の創造
アーダム(アダム)は人類の祖です。アッラー(I)はこう仰いました:
-そしてあなたの主が、天使らにこう仰った時のこと(を思い出すのだ):「われは地上に代理人を置く。」(天使たちは)言った:「あなたはそこで堕落し、血を流す者を(代理人として)置かれるのですか?私たちは(いかなる不完全性からも無縁であられる)あなたの崇高さを讃え、あなたを賛美し、あなたの神聖さを讃えていますと言うのに。」(アッラーは)仰った:「われは、あなた方が知らないことを知っているのだ。」そして(アッラーは)アーダムに、全ての名をお教えになられた。それからそれらを天使らに提示され、こう仰られた:「あなた方が本当のことを言っていると言うのなら、それらの名をわれに言ってみるがよい。」(天使たちは)言った:「(いかなる不完全性からも無縁であられる)あなたの崇高さに讃えあれ。私たちは、あなたのお教えになられたものしか知りません。実にあなたこそは全てをご存知であられ、この上なく英知に溢れたお方であられます。」(アッラーは)仰った:「アーダムよ、彼らにそれらの名を伝えてやるがよい。」そして彼がそれらの名を彼らに伝えてやると、(アッラーは)仰った:「われはあなた方に、われが天地における神秘を知っているということを言ったではないか?そしてあなた方が露わにすることも、隠すことも知っていることを?」そしてわれら(アッラーのこと)が、天使らにこう言った時のこと(を思い出せ):「アーダムにサジダ(跪拝)せよ。」それで(天使らは皆)サジダしたが、イブリース だけはそうせず、拒み、驕り高ぶった。彼は不信仰者だったのである。われらは言った:「アーダムよ、あなたとあなたの妻は楽園に住むがよい。そしてどこからでも好きな所から存分に食べるがよいが、この木にだけは近づいて(その実を食べて)はならない。そうすればあなた方は、不正者となってしまうのだから。」しかしシャイターン(イブリース)は彼ら二人を(惑わせ、アッラーのご命令においてその足を)踏み外させ、彼らがいた場所から彼らを追い出してしまった。われら(アッラーのこと)は言った:「あなた方は落ちて行くのだ。あなた方は互いに敵である。そして地上にはあなた方のための、束の間の安住の場と恩恵があろう。」しかしその後、アーダムはその主から御言葉を授かり、(アッラーは)彼の悔悟をお受け入れになられた。かれは実に悔悟をよくお受け入れになられ、慈悲深いお方であられる。われら(アッラーのこと)は言った:「あなた方は皆、そこ(楽園)から落ちて行け。そしてわれの御許からの導きがあなた方に訪れた時、われの導きに従う者には恐れも憂いもないであろう。そしてわれらのみしるしを信仰せず、それを嘘とする者たちは地獄の民なのである。彼らはそこに永遠に留まるのだ。」,(クルアーン2:30-39)

ゆえに全人類は、アーダムの子孫です。アッラー(I)は仰います:
-人々よ、あなた方を一つの魂(アーダム)から創られ、次いでそれからその妻を創られ、そしてその二人から多くの男女を創り広げられたアッラーを畏れよ。,(クルアーン4:1)
この点に関して、預言者ムハンマド(r)はこう語っています:
「人々よ、あなた方の主は一つであり、あなた方の父祖もまた一人なのである。あなた方は皆、アーダムから創られ、アーダムは一塊の土塊から創られたのだ。アラブ人が非アラブ人に優り、非アラブ人がアラブ人に優るなどということはない。また赤い肌の者が白い肌の者に優り、白い肌の者が赤い肌の者に優るなどということもないのだ。ただ唯一の差は、敬虔さのみなのである。」(アフマドによる伝承)
 
アーダム()はいかに創造されたか?
アッラー()は異なる形で例を挙げつつ、アーダムが土から創られたことを明らかにされています。次に示す句でアッラー()は、アーダムが砂から創られたと仰っています:
-実にイーサー(イエス)はアッラーの御許において、アーダムと同様である。かれは彼(アーダム)を砂からお創りになった。そして(アッラーが)それに向かって「(人間と)なれ」と仰れば、それはそうなったのである。,(クルアーン3:59)
また次の句では、アッラー()は彼が土塊から創られたと仰っています:   
-かれ(アッラー)こそはあなた方を土塊からお創りになり、それから(生存の)期間を定められたお方。そして(復活までの)決められた期間(に関する知識)は、かれの御許にこそある。この後に及んでも、あなた方は(審判の日を)疑っているのだ。,(クルアーン6:2)
また次の句においては、アーダムは粘り気のある泥土から創られた、と述べられています:  
-彼らに問え、彼らの構造と、われらが創ったもの(天地や山など)のいずれが強力かを?われらは彼らを、粘り気のある泥から創造したのだ。,(クルアーン37:1-11)
また以下の句においては、アーダムは陶土のような泥土から創造されたことになっています。
-(アッラーは)人間を、陶土のような乾いた土塊から創られた。,(クルアーン55:14)
また別の句においては、アッラー(I)は彼を変質した黒土からの土塊によってお創りになられた、とあります。
-またわれら(アッラーのこと)は人間を、変質した黒土からの乾いた土塊からお創りになられた。,(クルアーン15:26)
いずれの場合にせよ、アーダムが一つの物質から創造されたことに変わりはありません。
アッラーはアーダムを土塊から創造されましたが、それは異なるいくつかの段階を経ました。 アーダムは、アッラーがお望みになる期間だけ土塊の状態のまま留まりました。アッラーがそこに魂を吹き込まれたのは、その後のことです。アッラー(I)はこう仰いました:
-そしてあなたの主が、天使たちにこう仰った時(のことを思い出せ):「われは変質した黒土が乾燥した塊から、人間を創ろう。それでわれがそれを形作り、そこにわが魂を吹き込んだら、(あなた方は)彼に向かってサジダ(跪拝)するのだ。」それで天使たちは皆、(アーダムに向かって)サジダした。しかしイブリースだけは別で、彼はサジダする者たちの中に加わることを拒否した。,(クルアーン15:28-31)
そしてアーダム創造の後、その子孫は取るに足らない粗末な液体から創られました。アッラー(I)は仰っています:
-(アッラーは)かれの創造した全てを見事なものにされ、また人間の創造を泥から始められた。それからその子孫を、粗末な液体から抽出されたものからお創りになられた。そしてその形を整え、そこにかれの魂を吹き込まれた。そしてあなた方に聴覚と視覚と心をお与えになられたのだ。あなた方は何と感謝することの少ないことか。,(クルアーン32:7-9)
また人間は大地の土から創られた以上、またそこへと回帰する運命にあります。そして審判の日には、まらそこから蘇らされるのです。アッラー(I)は仰っています:
-われら(アッラーのこと)はそこ(土)からあなた方を創り、(あなた方の死後)そこへとあなた方を返し、そしてそこからまたあなた方を(復活の日に呼び)出す。,(クルアーン20:55)

アーダム()の特性
預言者ムハンマド(r)は、アーダムの特性を私たちに描写しています。彼()はこう言いました:
「アッラーはアーダムを六十腕尺の身長にお創りになられ、こう仰られた:“行って、あれらの天使に挨拶せよ。そして彼らがあなたに対してする挨拶の言葉を聞くがいい。それはあなたと、あなたの子孫の挨拶となるのである”(それで彼は行き、こう言った:)“アッサラーム・アライクム(あなた方に平安あれ)。”すると彼らはこう返答した:“アッサラーム・アライクム・ワ・ラフマトゥッラー(あなた方に平安と、アッラーのご慈悲がありますよう)。”彼らは“ラフマトゥッラー(アッラーのご慈悲)”という言葉を付け足したのである。ゆえに天国に入る者は誰でも、アーダムの特性をもってそうするのだ。そして今日に至るまで、アーダムの子孫の身長は低くなり続けている。」(アル=ブハーリーの伝承)
アーダムの子孫は、
なぜ様々に異なっているのか?
肌の色にせよ、特質にせよ、またその先天性にせよ、アーダムの子孫がなぜ互いに異なっているかということについて、預言者ムハンマド(r)は明らかにしています。
「アッラーは、アーダムを大地から抽出された一すくいからお創りになられた。それでアーダムの子らは(各々)、その地質に沿ったものとなったのである。ある者(の肌の色)は赤く、またある者は黒く、また白かったり、黄色かったりする。またある者は呑気で、ある者は悲観的であり、また卑屈だったり、善良だったり、純粋だったりする。そしてまたある者は、それらが入り混じった性質であったりするのだ。」(イブン・ヒッバーンによる伝承)
人類の母ハウワー(イブ)の創造
アッラーはアーダム()をお創りになられた後、彼の左側の肋骨から彼の妻をお創りになられました。それは彼が彼女から慰安を得、また彼らが子孫を得るためでした。アッラー(I)は仰っています:
-人々よ、あなた方を一つの魂(アーダム)から創られ、次いでそれからその妻を創られ、そしてその二人から多くの男女を創り広げられたアッラー(のお怒りと懲罰を招くような事柄)から身を慎むのだ。そしてあなた方がかれにおいて同情し合うところのお方と、親戚の絆の断絶に対して身を慎め。アッラーは実に、あなた方の一部始終を見守られるお方である。,(クルアーン4:1)
また預言者ムハンマド(r)は、こう言っています:
「アッラーと最後の日を信じる者は、その隣人を害してはいけない。そしてあなた方の妻にもよく接するのだ。彼女らは一本の肋骨から創られたのであり、そして肋骨の内でも最も湾曲しているのが上部のそれである。もしそれを真っ直ぐにしようと試みれば、それは折れてしまうであろう。だからと言って、もしそれを放ったらかしにしておいたら、それは湾曲したままになってしまう。ゆえにあなた方の妻に対して、よく接するのだ。」(アル=ブハーリーの伝承)
アーダムとハウワーの住まい
彼らは楽園に住んでいましたが、アーダム()の犯した罪ゆえにそこから追放されてしまいました。アッラー(I)はこう仰っています:
-そしてわれら(アッラーのこと)が、天使たちにこう仰った時(のことを思い出せ):「アーダムに向かって、サジダ(跪拝)するのだ。」それで天使たちは皆、(アーダムに向かって)サジダした。しかしイブリースだけは別で、彼は(そうすることを)拒否した。それでわれらは言った:「アーダムよ、これ(イブリース)はあなたとあなたの妻の敵である。ゆえに彼があなた方を、天国から追い出してしまわないようにせよ。そうすればあなたは不幸な目に遭ってしまうのだから。あなたはそこ(楽園)では飢えることもなければ、裸体を晒すこともない。また渇きに襲われることも、太陽の暑さに苦しむこともないのだ。」しかしシャイターンが彼に囁いて、こう言った:「アーダムよ、あなたに永遠の(生命を授かることが出来る)木と、廃れることのない王権へと案内してやろうか?」それで彼ら二人は(イブリースの誘惑に乗って)そこから食べたが、すると彼らの恥部が晒されてしまった。それで彼らは、楽園の葉でそこを覆うようになった。アーダムはその主に背き、それで過ちを犯してしまったのだ。しかしその後、主は彼をお選びになり、彼の悔悟をお受け入れになり、(彼を)お導きになられた。(アッラーは)仰った:「あなた方両人は二人とも、そこ(楽園)から落ちてゆくがよい。あなた方は互いに敵である。そしてもしわが御許からあなた方に導きが下った時に、わが導きに追従する者は迷うこともなく、不幸になることもないであろう。そしてわれの訓戒から背き去る者には、実に苦しい生活があろう。そして更に、われらは審判の日に彼を盲目にして蘇らせよう。」,(クルアーン20:116-124)
使徒の派遣の始まり
アーダム()の世代の後、人々は真実から逸脱し始めました。それでアッラーは使徒を遣わされたのです。教友イブン・アッバース(t)はこう伝えています:
「アーダムとヌーフ(ノア)の間の十世代に渡り、人々は(正しい)宗教を固守していました。人々がそこから逸脱し始めたのはその後のことで、ゆえにアッラーは彼らのもとに(天国の)吉報と(地獄の)警告を伝達する者として、使徒を遣わせられたのです。」(アル=ハーキムによる伝承)
人類に使わされた最初の使徒はヌーフ(ノア)です。アッラー(I)は仰っています:
-実にわれら(アッラーのこと)は、ヌーフとそれ以後の預言者たちに啓示したように、あなた(ムハンマドr)にも啓示を下した。,(クルアーン4:163)
尚クルアーンの中でアッラーによって言及されている使徒と預言者は、ごく僅かです。アッラー(I)はこう仰いました:
-そしてそれらはわれら(アッラーのこと)が、イブラーヒーム(アブラハム)に対しその民に向けて授けた明証である。われらは望む者の地位を上げるのだ。実にあなたの主は英知に溢れ、全てを知り尽くされたお方である。そしてわれらは彼にイスハーク(イサク)とヤアコーブ(ヤコブ)を授け、両者を導いた。またそれ以前にヌーフ(ノア)も導いた。そしてその子孫であるダーウード(ダヴィデ)、スライマーン(ソロモン)、アイユーブ(ヨブ)、ユースフ(ヨセフ)、ムーサー(モーゼ)、ハールーン(アーロン)も(また導いた)。われらはこのように知識に秀で、行いの正しい者に報いを与えるのだ。またザカリーヤー(ザカリヤ)、ヤヒヤー(ヨハネ)、イーサー(イエス)、イリヤース(エリヤ:も導いた)。(彼らは)全て正しい者たちであった。そしてイスマーイール(イシュマエル)、アル=ヤサア、ユーヌス(ヨナ)、ルート(ロト)(も導いた)。われらは彼ら全員を、全世界において卓越した者たちとした。そして彼らの祖先や子孫、兄弟たちの内からある者たちを選び、真っ直ぐな道へと導いた。,(クルアーン6:83-87)
またアッラー(I)は、こうも仰っています:
-言え、「私たちはアッラーと、私たちに下されたもの、そしてイブラーヒーム(アブラハム)とイスマーイール(イシュマエル)、イスハーク(イサク)とヤアクーブ(ヤコブ)、そして(ヤアクーブの子孫であるイスラエル部族出身の)諸預言者に下されたものを信じます。またムーサー(モーゼ)とイーサー(イエス)が授けられたものと、預言者たちがその主から授けられたものを(信じます)。私たちは彼ら(預言者たち)のいかなる者にも、差別を付けたりはしません。私たちはかれ(アッラー)にこそ、服従します。」,(クルアーン2:136)
またアッラー(I)は、こう仰います:
-そしてイスマーイール(イシュマエル)とイドリース(エノック)とズル=キフル(エゼキエル)。皆忍耐強い者たちであった。,(クルアーン21:85)
他にも、アッラーが私たちに言及されてはいない使徒や預言者が存在します。アッラー(I)は仰っています:
-またわれら(アッラーのこと)はこれ以前、ある使徒たちについてあなたに語って聞かせたが、(別の)使徒たちについてはあなたに語って聞かせなかった…,(クルアーン4:164)
アッラー(I)は、人々をアッラーの宗教へと回帰させ、かれのことだけを崇拝させるために、折に触れて彼らのもとに使徒や預言者を送られました。そして全ての使徒と預言者が伝達したのは、「アッラーのみを崇拝し、かれ以外に崇拝されている全てのものの神性を否定する」という同一のメッセージだったのです。アッラー(I)はこう仰っています:
-本当にわれら(アッラーのこと)は、各々の民に使徒を遣わして、「アッラーを崇拝し、ターグート(偽の神性)を避けなさい。」と命じた。それで彼らの内のある者はアッラーがお導きになり、またある者には(真理からの)迷妄が運命付けられた。ゆえに大地を巡り、(真理を)嘘とした者たちの行く末がいかなるものであったかを、目にするがよい。,(クルアーン16:36)
一方で各社会において定められた法や規定は、各々異なるものでした。ある社会において定められていたことは、決して別の社会でも同様に定められていたわけではありませんでした。この背後に潜んでいる英知は、それらの社会の従順さにおけるアッラーからの試練だったのでしょう。アッラー(I)は仰っています:
-われら(アッラーのこと)はあなたたちの(共同体の)各々に、法と明白な道筋を授けた。もしアッラーがそうお望みなら、かれはあなた方を一つの共同体とされたであろう。しかしかれは、あなた方をあなた方に授けられたものでもって試練におかけになるため(、そうはされなかった)。ゆえに善行に競い合うのだ。,(クルアーン5:48)
そして最後のメッセージこそが、預言者ムハンマド(r)の携えて来たそれなのです。彼は全人類に向けて、遣わされました。アッラー(I)は仰います:
-ムハンマドは(彼が授かった本当の彼の子でもない)あなた方の内の誰の父親でもない。しかしアッラーの使徒であり、最後の預言者なのだ。,(クルアーン33:40)
預言者ムハンマド(r)が人々をいざなったことの一つに、「真に崇拝に値する神というのはただ一つであり、その神こそは全ての事象を営まれ、人々がそのご加護を求めるべき唯一のお方である」ということがあります。そしてこのことは、人の精神的幸福と、心と精神の平安をもたらしてくれるのです。アッラー(I)はこう仰いました:
-そしてわれら(アッラーのこと)があなた(ムハンマドr)を遣わしたのは、全世界への慈悲ゆえに他ならない。,(クルアーン21:107)
アッラーとそのメッセージを信じる者が真の幸福を達成するということの証明は、彼らの人生を、アッラーの存在とその法を否定する者たちの人生と比較すれば、明瞭なものとなるでしょう。心配と精神的不安定の中に生きる無神論者は、その精神的空白を埋めるために、薬物や酩酊物質、抑制剤などを服用せずにはいられなくなるのです。時にはそれが彼らを、自殺にすら追いやることすらありえます。たとえ一時的に幸せな気分を味わえたとしても、このようなことによって人は幸福を得ることは出来ません。それはまるで塩水を飲むようなものです。それは渇きを潤してはくれないどころか、彼の渇きを更に激しくするのです。しかしあらゆる欠陥から無縁である崇高なアッラーを信仰し、かれに従順に服従することこそは、全ての悲しみの痕を抹消し、また真の幸福と平安を勝ち取ることにつながるのです。  

人間とは何か?
人間とは、アッラーが最上の姿形にお創りになられた被造物です。アッラー(I)は仰っています:
-実にわれら(アッラーのこと)は、人間を最善の姿形に創り上げた。,(クルアーン95:4)
またアッラーは、人間を完璧な形にお創りになられると同時に、しかるべき均整もお授けになりました。アッラー(I)はこう仰ります:
-人間よ、寛大なるあなたの主においてあなたを欺かせたのは何なのか?。かれこそはあなたをお創りになり、あなた(の形)を整えられ、あなたを均整の取れた形にされたお方。かれはあなたを、かれのお望みの姿に構築された。,(クルアーン82:6-8)
アッラーは人間を、最高かつ完全な容姿にされました。アッラー(I)はこう仰っています:
-アッラーこそは大地を安住の場とされ、空を天蓋とされたお方。またあなた方の姿を形作られ、その姿形を最善の姿とされ、あなた方によき糧をお恵みになられたお方である。これこそはアッラー、あなた方の主。恩寵高き万有の主アッラーよ。,(クルアーン40:64)
またアッラーは人間を、他の全ての被造物よりも尊ばれ、また高貴な存在とされました。アッラー(I)は仰ります:
-そしてわれら(アッラーのこと)はアーダムの子ら(人類のこと)を高貴な存在とし、陸に海に彼らを運んだ。また彼らによき物を糧として授け、われらが創造したあらゆるものの上に位置づけたのだ。,(クルアーン17:70)
アッラーは宇宙に存在する全てのものを、人間が利用するために従属させられました。アッラー(I)は仰っています:
-またかれ(アッラーのこと)は天地にあるあらゆるものを、あなた方のために仕えさせられる。実にその中には、熟慮する民へのみしるしがあるのだ。,(クルアーン45:13)
また人間は独特の生物であり、他のものから進化を遂げたわけではありません。アッラー(I)は仰りました:
-(アッラーは)かれの創造した全てを見事なものにされ、また人間の創造を泥から始められた。,(クルアーン32:7)
人間を高貴な存在とし、その位階を高めたクルアーンの文章と、人間を動物同等と見なす理論の間には、いかに大きな差異があるでしょうか?クルアーンは、人間を動物と同様に描写したりはしません。但し、人間が制限なくその欲望を追及し、その知性や聴覚や視覚を天地の創造の素晴らしさを熟考することに利用しない場合は、その限りではありません。アッラー(I)はこう仰っています:
-そしてわれら(アッラーのこと)は地獄のために、多くのジンと人間を創った。彼らには心があるが、それでもって熟慮することがない。また彼らには眼があるが、それでもって見ることもない。そして彼らには耳があるが、それでもって聴くこともない。彼らはまるで畜獣のよう、いや、それよりも迷い去っている。彼らは(警告を)ないがしろにする者たちなのだ。,(クルアーン7:179)
これは、人がこれらの感覚を適切な場所‐つまり熟考と思慮‐において使用すれば、アッラー()の恩寵と共にかれへの信仰へと導かれるという事実によるものです。
イスラーム中世期の学者イブン・アル=カイイム(アッラーのご慈悲あれ)は、こう言っています:
「アッラー()は、ありとあらゆる被造物の中から人間をお選びになられた。そしてアッラーは人間に、かれを崇拝するためにお創りになられるという栄誉を授けられた。またアッラーは宇宙の全てのものを人間に従属させられ、知識をお与えになり、かれのご寵愛のためにお選びになられた。アッラーは人間に、他のいかなるものにも与えられなかったものを、お与えになられたのである。またアッラーは、天地とその間にある全てのもの‐アッラーに最も近しい存在である天使でさえ‐を、人間に従属させられた。アッラーは人間が眠っている時も起きている時も、座っている時でも立っている時でも、彼らを守護する者としたのである。またアッラーは人間にかれの啓典を授けられ、かれの使徒をお遣わしになられた。アッラーは彼らに話しかけられ、そして彼らの内のある者に特別のご寵愛をおかけになられた。また彼らの内のある者は、非常に敬虔であった。アッラーは彼らにかれの秘密を明かされ、また彼らを、かれの英知と慈愛の対象とされた。またアッラーは人間のために、天国と地獄をお創りになられた。かれの創造とご命令、報奨と懲罰は、最上の被造物である人間ゆえのものである。人間にはかれのご命令に服し、禁じられた物事を回避する義務があるが、それらに応じて報奨や懲罰を与えられるのである。」

人間の創造における様々な段階
最初、人間は言及すべき何ものでもありませんでした。アッラー(I)はこう仰っています:
-人間には、言及すべき何ものもなかったような、ある一時の時間があったのではないか?,(クルアーン76:1)
イスラーム中世期の大学者アル=ガザーリーは、こう言っています:  
「人間に、アッラーの祝福について熟考させてみるがよい。いかにかれが人間を、卑しく、高貴さや成熟さとは程遠いつまらない存在から、高い地位に上げられたかということを。人間は無の状態の後に存在させられた。つまり死の状態の後に生を受け、沈黙の状態の後に語り始めたのである。また人間は当初盲目であったが、後に鋭い視覚を得、その後に再びその視力は衰える。また人間は無知の後に知識を獲得し、迷妄の後に正しい導きを得、貧困の後に豊かさを得た。人間は無であったのだ。そして無であることよりも忌むべきことがあろうか?人間は、アッラーのご命令により、大きな存在となったのである。」(「宗教諸学の再生」より)

人間は何から創造されたか?
アッラー()は人間が、男性の精子が女性の卵子に入ることによって創られるということを明らかにされています。アッラー(I)はこう仰いました:
-人間に、一体彼自身が何から創られたかを考えさせるがよい。彼は射出される液体から創られたのだ。それは後背部と胸骨の間から排出する。,(クルアーン86:5-7)
またアッラー()は、人間がこの手順によって子孫を残すということも明らかにされています。アッラー(I)は仰っています:
-そしてかれ(アッラー)こそは人間を水からお創りになり、それを血縁関係と(血縁ではなく婚姻による)縁戚関係によるものとされたお方。あなたの主は全能のお方であられる。,(クルアーン25:54)
またアッラー()は、かれが定められたその時が来るまで、胎児が外的要素から安全な場所に保護されることも明らかにされています。アッラー(I)は仰りました:
-われら(アッラーのこと)はあなた(人間)を、取るに足らない液体から創ったのではないか?それからそれを決められた時期まで堅固で安泰な場所(子宮のこと)に据え、(その生命の運命を)定めたのである。(アッラーは、物事を)定めるに何と素晴らしいお方であろうか。,(クルアーン77:20-23)
またアッラー()は、胎児が3つの「闇の段階」を経て成長する旨を明らかにされています。胎児は特定の段階を経た後、アッラーの御力によって最後の段階に到達し、それから子宮の中に存在し、やがてこの世に生まれ出るのです。アッラー(I)はこう仰っています:
-(アッラーは)あなた方を、あなた方の母親の胎内にお創りになられる。そして三つの闇における、創造に次ぐ創造(を行われる)…,(クルアーン39:6)

人間の創造における諸段階の詳細
1)第一段階:男女の精液からなる混合液の一滴。アッラー(I)はこう仰いました:
-そしてかれ(アッラーのこと)は、雌雄のつがいをお創りになられた。射出された一滴の精液から。,(クルアーン53:45-46)
アッラーのご意思と共に、精子は女性の分泌液に混じり、そして卵巣に到達します。男女の精液の混合液を、アラビア語で「ヌトゥファ」と言いますが、これが人間の発達における最初の段階となります。尚卵巣に到達しなければ、精子は死んでしまいます。アッラー(I)は仰りました:
-われら(アッラーのこと)は人間を混合した一つの生殖細胞から造り、彼を試練にかけるべく聴覚と視覚を与えた。,(クルアーン76:2)
この段階において、いくつかの人間的な特質が出現し始めます。アッラー(I)はこう仰いました:
-(不信心な)人間に災いあれ。その不信仰の何と激しいことであろうか!(考えさせてもみよ、アッラーは)彼を一体何からお創りになられたのか?(かれは)彼を一滴の精液からお創りになり、それから(段階的に)彼を仕上げていかれたのだ。,(クルアーン80:17‐19)
また胎児の性別も、この時期に決まります。アッラー(I)は仰っています:
-天地の大権は、アッラーにのみ属する。かれはお望みになるものを造られ、お望みの者には女子のみを、またお望みの者には男子のみをお授けになる。またあるいは男女両方ともお授けになることもあれば、お望みの者を不妊にもされたりもする。実にかれこそは全知全能のお方なのである。,(クルアーン42:49-50)
またアッラー(I)は、こうも仰っています:
-かれ(アッラー)こそはあなた方を、胎内でお望みのままに形造られるお方。威光高くこの上なく英明なかれの他には、崇拝すべきいかなるものも存在しない。,(クルアーン3:6)
もしこの混合体が子宮に着床しないと、それはアッラー()のご意思と共に、子宮の外に排除されてしまいます。アッラー(I)は仰っています:
-アッラーは、全女性が(その子宮に)宿すものをご存知であられる。また(妊娠期間や胎児の数、大きさなどにおいて)子宮の減らすものと、増やすものも。全てはかれの御許で(精密に)定められているのである。,(クルアーン13:8)
しかしもしアッラー()がそうお望みになられるのならば、その混合体は子宮に着床し、「ヌトゥファ」の段階から「アラカ」の段階へと移ることになります。そしてそれは子宮壁に埋まり込んだ形で、栄養分を摂取し始めます。アッラー(I)は仰りました:
-またわれら(アッラーのこと)は(その肉塊を)、われらが望む一定の期限が来るまで子宮に据え、それから子供として(胎内に)出す。,(クルアーン22:5)
2)第二段階:これは「アラカ(アラビア語で、ヒルのような形状の凝固した血液体を意味します)」の段階、と呼称されますが、これは精液の混合体が子宮壁に付着し、その血液から滋養分を摂取するという事実に基づいています。これは他の生物に吸い付き、その滋養分を摂取するヒルに酷似しています。アッラー(I)は仰りました:
-読むのだ。(創造を行われたあなたの主の御名によって読め。(かれは)人間を一滴の凝血からお創りになられた。,(96:1-2)
またアッラー(I)は、こうも仰っています:
-彼(人間)はそもそも射出された精液の中の、一滴の精子ではなかったのか?そしてそれから一塊の凝血となり、それからまた(アッラーが)創造を加えられ、(その形を)整え完成させられたのではないか?そしてそれ(1人の人間)から男女の組み合わせを創られたのでは?,(クルアーン75:37-38)
3)第三段階:これは「ムドゥガ(アラビア語で、肉塊)」の段階と呼称されますが、これはこの段階における胎児が噛んだ肉塊のような形状をしているからです。アッラー(I)は仰りました:
-そしてわれら(アッラーのこと)は…凝血から肉塊を、肉塊から骨を造り、そして骨の上に肉を着せた…,(クルアーン23: 14)
この段階において、胎児には人間の形状が認められ始め、ついには人間そのものの形になるに至ります。アッラー(I)は仰っています:
-実に地にあるものも、天にあるものも、いかなるものもアッラー(の知)から隠れることなどは出来ない。かれ(アッラー)こそはあなた方を、胎内でお望みのままに形造られるお方。,(クルアーン3:5-6)
また胎児に魂が吹き込まれるのは、実にこの段階におけることです。アッラー(I)は仰ります:
-…(アッラーは)その形を整え、そこにかれの魂を吹き込まれた。そしてあなた方に聴覚と視覚と心をお与えになられたのだ。あなた方は何と感謝することの少ないことか。,(クルアーン32:7-9)
尚各々の段階には、決められた期間があります。これについては、教友イブン・マスウード(t)の伝えている伝承に詳細を見出すことが出来るでしょう。彼はこう伝えています:「正直者であり、かつ信頼されるお方であるアッラーの使徒()は、私たちにこう言いました:
 “実にあなた方の構成要素は母の胎内に四十日間留まり、それからそこで同じ期間一個の凝血となり、それからまたそこで同じ期間1個の肉塊となる。それから一人の天使が遣わされ、そこに魂を吹き込む。そしてそれに対して四つの言葉:つまり彼の糧と寿命、そしてその行い、及び彼が幸福な者となるか、あるいは不幸な者となるかを書き留めることを命じられる。

かれの他に真に崇拝すべきもののないお方(アッラーのこと)にかけて。あなた方の内のある者は、天国まで後一歩という所まで天国の民の行為を行い続ける。しかしそこで(天命を記された)書が勝り、それによって地獄の民の行為を行い、地獄へと入るのだ。

またあなた方の内のある者は、地獄まで後一歩という所まで地獄の民の行為を行い続ける。しかしそこで(天命を記された)書が勝り、それによって天国の民の行為を行い、天国へと入るのだ。”」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承)

魂とは何か?
魂は私たちが見ることも理解することも出来ない存在ですが、私たちはいくつかの証拠を目にするによって、その存在を信じています。魂は私たちの主()の存在を示す、最大の証拠の一つです。また魂は、知覚によって捉えることが可能な実際的証拠を常に要求する、物質主義者らに対する論拠ともなります。というのも魂を知覚出来ていなくても、彼らはその存在を示すいくつかの証拠ゆえにその存在を信じているのです。魂は神秘の一つであり、アッラー以外の誰もその真実を窺い知ることは出来ませんし、そうするためのいかなる努力も無益なのです。アッラー(I)はこう仰っています:
-彼らはあなた(ムハンマドr)に、魂について尋ねる。言うがよい、「魂はわが主の命によるもの。あなた方は知識を、ごく僅かしか与えられてはいないのだ。」,(クルアーン17:85)
ヒジュラ暦5世紀の学者アッ=ラーギブ・アル=アスファハーニーは、こう言っています:
「(魂は)生命を与えられた肉体と共にあり、それと共に動き、その周囲のことを感じ取り、知識を得、ある種の意見を有し、善悪を識別する。もし人間が魂を失えば、これらの特質を全て喪失することになり、ただ運搬されるだけの肉体と化してしまう…。それは肉体に属する肉体的特徴と同様、そこに精神的特徴が属しているからなのである。」
骨格が形作られ、そこに肉が装着されるのは、この「ムドゥガ」の段階です。アッラー(I)はこう仰っています:
-そしてわれら(アッラーのこと)は…凝血から肉塊を、肉塊から骨を造り、そして骨の上に肉を着せた…,(クルアーン23: 14)
またアッラー()はクルアーンの中の説話において、こう言及されています:
-…そしてその骨を見よ。われら(アッラーのこと)がいかにそれを持ち上げ、そしてそこに肉を付けるかを(見るのだ)…,(クルアーン2:259)
胎児はアッラーがお定めになった時期まで成長を続け、その後この世界に生まれ出ます。アッラー(I)は仰りました:
-(審判の)時の知識は、かれ(アッラー)にのみ帰せられる。そしてかれが知らずしては、いかなる果実もその蔽いから姿を現すことなく、またいかなる女性(や雌体)も妊娠したり、分娩したりすることはない。,(クルアーン41:47)
またアッラー(I)は、こうも仰っています:
-そしてわれら(アッラーのこと)は人間(アーダム)を、泥土の抽出物から創造した。それから(アーダムとその子孫の)精子を堅固な置き場所(卵巣)に設え、そして精子から凝血を、また凝血から肉塊を、肉塊から骨を造り、そして骨の上に肉を着せた。それからわれらは、また別の創造を完成させたのである。偉大なるアッラー、最善の造形者よ。それからあなた方は死ぬのだ。そして審判の日に蘇されるのである。,(クルアーン23:12-16)
また別の句において、アッラー(I)はこう仰っています:
-人々よ、もし復活を疑っているというのなら(考えてみよ)、実にわれら(アッラーのこと)はあなた方(の祖アーダム)を土塊から創造したのだ。そして(アーダムとその子孫の)精子から凝血を、また凝血から肉塊を造るが、(その肉塊は)完成することもあればそうはならないこともある。(これらは全て)われらがあなた方に(われらの威力を)明白に示すがためのもの。またわれらは(その肉塊を)、われらが望む一定の期限が来るまで子宮に据え、それから子供として(胎内に)出す。それからあなた方は強壮(の時期)を迎えるが、あなた方の内のある者はその前に他界し、またある者は最も厭わしい年齢期にまで到達する。そして物事を知った後に、また無知な状態へと舞い戻るのだ。またあなたは干からびた大地にわれらが雨が降らせると、それが振動して(そこから植物が芽を出し)伸び上がり、あらゆる種類の麗しい植物が生育するのを見るのだ。これはアッラーこそが真理であり、かれが死者を生き返し、そしてかれが全能であるからに他ならない。,(クルアーン22:5-6)
また下記の句が示すように、アッラー(I)は常に真実を語られます:
-われら(アッラーのこと)は彼らにとってそれ(クルアーン)が真理として明白になるまで、天地の彼方と彼ら自身の内において、われらのみしるしを見せよう。あなたの主が全てのことに対する証人であられるだけで、あなたには十分ではないのか?,(クルアーン41:53)
キース・ムーア 教授はその著「The Developing Human(発達する人間)」の中で、こう述べています:  
「これらの言葉が神からムハンマドに伝達されたということは、明白であると思う。 これらの知識は全て、何世紀も後になって初めて発見されたものなのだ。 私はこの事実が、ムハンマドが神の使徒であったに違いないことを示していると思う。」
そして彼は、更にこう述べています:
「私自身は、彼にこのような発言をさせたものが、神的な霊感か、あるいは啓示であると見なすことに、いかなる困難も見出しません。」

この世の生活の実相
アッラー()は私たちにこの世の真実を明らかにされ、またそれが過ぎ去ってゆく影のようなものである、と仰られました。
-現世での生活が遊興と享楽と装飾であり、あなた方の間の財産や子孫の自慢やその数の競争であることに過ぎないことを知るのだ。それはちょうど慈雨が作物を実らせて農夫を(一時的に)喜ばせたものの、それからそれが枯れて黄色くなり、やがて朽ち果てるようなものである。そして来世にこそは(不信仰者に対する)アッラーからの厳しい懲罰と、(信仰者に対する)お赦しとお悦びがあるのだ。実に現世とは偽りの享楽に他ならない。,(クルアーン57:20)
またアッラー()は、この世とは試練である、とご説明されています。そして現世の享楽は人をそこに溺れさせ、アッラーを想起することを忘れさせてしまう、とご警告されています。アッラー(I)は仰りました:
-それゆえあなた方が(現世において)授かるものは、現世の生活での(束の間の)享楽に過ぎない。しかし信仰し、アッラーにのみ全てを委ねる者にとっては、アッラーの御許にあるものこそが最善であり永劫なのである。,(クルアーン42:36)
またアッラー()は、この世は永遠などではなく、むしろ「永遠の生活へと至る通過点」であるのだ、と仰っています。この世の生活はちょうど、豊饒な土地の畑の一画のようなものです。人はそこにおいて、自分が植えた分だけのものを収穫します。もしそれが善いものであれば善いものを収穫し、悪いものであれば悪いものを収穫することになるのです。アッラー(I)はこう仰っています:
-彼らに、現世の生活に関しての譬えを説いてやるのだ。それはまるでわれら(アッラーのこと)が天から下す、(雨)水のようなもの。大地の植物はそれを取り入れ(成長した後)、やがて枯れ果て、風で跡形もなく吹き飛ばされてしまう。アッラーはいかなることも可能にされるお方である。財産と子孫は現世の生活における虚飾。しかし永劫の善行こそは、あなたの主の御許で最善の報奨であり、最善の希望なのである。 ,(クルアーン18:45-46)
この世は来世に比して非常に些細なものであるゆえ、アッラー()はそこにおいて信仰者にも不信仰者にもお恵みになられます。アッラー(I)は仰ります:
-またイブラーヒームが、こう言った時のこと(を思い出せ):「主よ、ここ(マッカ)を平安な町とし、その住民の内、アッラーと最後の日を信仰した者たちに果実をお恵み下さい。」(アッラーは)仰った:「われは信仰を拒否した者にも、暫しの楽しみを与えよう。それからやがて、火獄の懲罰を強いるのだ。その行き所の何と忌まわしいことであろうか。」,(クルアーン2:126)
またアッラー(I)は、こうも仰っています:
-われら(アッラーのこと)は彼らにも、そしてまた彼らにも、いずれの者にもあなたの主の賜物を与えてつかわそう。そしてあなたの主の賜物は、禁じられてはいないのだ。見よ、われらが(現世において)いかに彼らを互いに優越づけたか?そして来世においては(それより遥かに)大きい位階と優劣(の差)があるのだ。,(クルアーン17:20-21)
教友の一人、サハル・ブン・サアド(t)はこう言っています:
「アッラーの使徒()はズルフライファを通り過ぎた際、太った羊の死骸を見ました。そして、こう言いました:“この羊は、もう飼い主にとって用無しであろう?”教友たちは言いました:“ええ。”彼は言いました:“私の魂がその御手に委ねられているお方(アッラーのこと)にかけて。この世はアッラーにとって、この飼い主(にとっての羊)よりも無意味なものである…。もしこの世がハエの羽一枚にでも値するのであれば、アッラーは不信仰者に一口の水をもお恵みにはなられないであろう。”」(アル=ハーキムによる伝承)
またアッラー()は、人に来世とそこにおけるお恵みを希求することを奨励しています。かれ(I)はこう仰いました:
-いや、あなた方は(来世よりも)現世の生活を好んでいる。来世こそは最善かつ永劫であるというのに。,(クルアーン87:16-17)
また預言者ムハンマド(r)は、こう言っています:
「アッラーにかけて。この世に対する来世というものは、ここ‐そう言って、彼は海を指差しました‐に一本の指を入れるようなものである。そこから指を抜き、そこに付着するものを見てみるがよい(つまり現世には、そこに付着した液体ほどの価値しかないということ)。」(ムスリムの伝承)
しかし来世におけるお恵みを享受出来るのは、被造物の中でもアッラー()が特別にお選びになられ、ご満足された最善の者たちのみなのです。アッラー(I)は仰っています:
-(よいことにおいて)施し、(アッラーの禁じられた物事から)身を控え、最も美しきもの(イスラーム)を心から信じる者は、われら(アッラーのこと)がよい行いを容易いものとしてやろう。一方吝嗇し、(来世の享楽より現世の欲望や)富を追求し、最も美しきもの(イスラーム)を嘘とする者は、われらが(よい行いをするにあたっての)困難さへと導いてやろう。,(クルアーン92:5-10)
しかしこのことは、人が修道僧のようになって飲食や衣服、性生活などの許された現世的諸事や全てのよき糧を放棄しなければならない、ということにはなりません。アッラー(I)はこう仰いました:
-言え(ムハンマドr)、「(アッラーが)そのしもべのために提供されたアッラーの装飾品と、その糧からのよきものを禁じる者は何様であることか?」 ,(クルアーン7:32)
またアッラーの使徒()は言いました:
「アッラーは脆弱な信仰者よりも、強い信仰者を愛でられる。そしてそのいずれも善いのである。あなたを益する行為に熱心であり、かつアッラーのご援助を乞うのだ。そしてそこにおいて怠慢であってはならない。そしていかなる災厄があなたを襲っても、“ああ、もしあのようにしていたらなあ”などとは言わず、“これはアッラーからの定命。かれはお望みのことをなされる”と言うのだ。というのも“もし”は、悪魔の行いに通じる扉であるからである。」(ムスリムの伝承)
宗教が命じているのは、私たちが人生において中庸の状態にあることなのです。アッラー(I)は仰っています:
そしてあなたの(施しの)手を(吝嗇さゆえに)首に巻きつけたままにしたり、または(度を越して、施しという)手を完全に開け広げてはならない。そうすればあなたは咎めを受けたり、後悔したりするであろうから。実にあなたの主は、かれがお望みになられる者に糧を豊かにお恵みになり、また差し控えられる。かれはそのしもべについて、全てをご存知になり、かつ全てをご覧になられるのである。(クルアーン17:29-30)

人間とジンの創造の目的
アッラーは人間とジンを、アッラーのみを崇拝するために創造されました。アッラー(I)は仰ります:
-そしてわれ(アッラーのこと)はジンと人間を、われを崇拝させるべくして創造したのだ。われはあなた方からの糧も欲しなければ、あなた方がわれに食を与えることも望んではいない。実にアッラーこそがこの上ない御力を備えられ、(万有に)糧を授けられるお方なのだ。,(クルアーン51:56-58)
人間はただ無意味に創造されたわけではありません。アッラー(I)は仰っています:
-一体あなた方は、われら(アッラーのこと)があなた方をいたずらに創ったとでも思っているのか?そしてあなた方が(現世での行いの清算のために)わが御許に戻って来ないとでも?しかしアッラーはこの上なく崇高なるお方、真の王であられる。偉大なる玉座の主であるかれの他に、真に崇拝に値する何ものもないのだ。,(クルアーン23:115-116)
アッラー()は人類に対し、異なる時代において、数々の使徒をお遣わしになられました。そしてそれは人類に物事を明らかにし、彼らをアッラーのご満悦へと至る真っ直ぐな道へと導くためであったのです。アッラー(I)は仰ります:
-人々は(元来)一つの共同体であった。それからアッラーが使徒たちを、吉報を伝え、警告を告げる者として遣わされ、彼らと共に真理による啓典を下されたのだ。それは(宗教に関する意見の)相違に陥っていた人々の間を裁くためであったのである。しかし啓典を授かった者たちは、明証が到来した後に及んでも互いに妬み合い、そこにおいて(意見の)相違に陥り続けた。それでアッラーは、彼らが真実において相違していたことに関して(明らかにすべく、)かれのお許しでもって信仰者たちをお導きになられた。アッラーは、かれがお望みになられる者を真っ直ぐな道へとお導きになられるのだ。 ,(クルアーン2:213)
しかしこれは、全人類へと遣わされた預言者ムハンマド(r)のメッセージによって全ての使徒の任務が終了するまでのことでした。アッラー(I)はこう仰っています:
-言え(ムハンマドrよ)、「あなた方が、かれ(アッラーのこと)に同位者として並べ、共にしたものを見せてみよ。いや、決して(そのようなことは有り得ないのだ。)かれこそは、偉大かつこの上なく英知溢れたアッラーなのである。」,(クルアーン34:27)
人間がそれゆえに創られた任務とは、明瞭かつ決定的なものです。人間はその創造主であるアッラーを崇拝するために、創られたのです。それで、たとえ人生において有する享楽の数が微々たる物だったとしても、自分自身が創造された理由ゆえに人生を利用する者は、真の幸福を勝ち取ります。一方で自分の人生を、自分自身が創造された理由ゆえに利用しない者が見出す者は、損失と心理的問題、不安、悲しみのみなのです。それは、たとえ彼がこの世における全ての享楽や喜びを一手にしていたとしても変わりません。アッラー(I)はこう仰いました:
-…そしてもしわが御許からあなた方に導きが下った時に、わが導きに追従する者は迷うこともなく、不幸になることもないであろう。しかしわれの訓戒から背き去る者には、実に苦しい生活が待ち受けている。そして更に、われら(アッラーのこと)は審判の日に彼を盲目にして蘇らせよう。,(クルアーン20:123-124)
この宇宙に存在するものは全て、明瞭な目的と英知、偉大な利益のもとに創造されています。それは、人がそのことを理解しているかどうかに関わりません。アッラー(I)は仰っています:
-そしてわれら(アッラーのこと)は天地と、その間にあるものを、無意味に創ったのではない。それは不信仰者の憶測なのである。不信仰者に業火の災いあれ。,(クルアーン38:27)
アッラー()への崇拝は、かれのご命令を遵守し、またかれが禁じられた物事を回避することで完遂されます。そしてそれらは、アッラーの定められた法規定に則って成されなければなりません。アッラー(I)はこう仰っています:
-そしてこれこそ真っ直ぐなるわが道。ゆえにそれに従うのだ。そして(真理以外の別の)道に従ってはならない。そうすればあなた方はかれ(アッラーのこと)の道から、離れ離れに遠ざかってしまうであろう。これこそかれ(アッラー)が、あなた方に命じられていることなのだ。あなた方は恐らく畏れることであろう。,(クルアーン6:153)
そして宗教においては何者も、意図的であるかそうでないかに関わらず、アッラー()がお定めになられていないようなことを語ってはなりません。アッラー(I)は仰っています:
-そしてアッラーにこそ美名が属するのであるから、それをもってかれに祈願するのだ。かれの美名をないがしろにするような輩は放っておくがいい。いずれ彼らは自分たちが行っていたところのもので報いを受けるだろうから。,(クルアーン7:180)

 

 


 
この世の終焉
この世の終焉
この宇宙における全ての終わりは、死です。何ものも死から逃避することは出来ません。アッラー(I)は仰っています:
-地上の万象は滅び去る。ただあなたの主の、荘厳かつ高貴なる御顔だけが残るのである。,(クルアーン55:26-27)
どんなに死から逃げようとしても、そうすることは出来ません。アッラー(I)は仰ります:
-言え、「あなた方が逃げようとしている死は、必ずあなた方のもとを訪れるのである。そしてあなた方は幽玄界も現象界もご存知であられるお方のもとへと送り返され、かれはあなた方の(現世での)所業をあなた方に伝え聞かせるのである。」,(クルアーン62:8)
また、人がいかに自分の命を延ばそうとしても、そうすることは出来ません。それはそもそも定められ、決定されていることだからです。アッラー(I)は仰りました:
-いかなる民にも(定められた)期限がある。それで彼らの期限(の終わり)が到来したら、彼らはそれを一刻も先延ばしにすることも出来なければ、前倒しにすることも出来ないのだ。,(クルアーン7:34)
創造主であるアッラーは、かれの存在を疑う人間とジンに対し、以下のように挑まれています:
-それでは(死期が訪れて、魂が)喉元にまで上がって来たら(、あなた方はどうするのか)。あなた方はその時、それを目にするのだ。われら(アッラーのこと)はあなた方よりも、それ(あなた方の魂)に近いのだが、あなた方には分からない。それであなた方が(審判の日の)報いなど受けたりしないと言うのであれば、そしてあなた方の言うことが本当であると言うならば、それを元に戻してみよ。,(クルアーン56:83-87)
また死の間際になって、全ての者は信仰します。しかし誰も、現世に戻って善行を行う機会を与えられることはありません。アッラー(I)は仰ります:  
-そして彼ら(不信仰者)のもとを死が訪れると、こう言う:「主よ、私を(現世の生活に)戻して下さい。私は自分がやり残して来たことについて、善い行いをしますから。」いや(、戻ることは出来ない)。それは彼が(、益もなく)言っている言葉に過ぎないのだ。そして彼らの向こうには、彼らが復活させられる日までの障壁がある。,(クルアーン23:99-100)
人の死期、そしてその場所は、アッラーのみがご存知になられます。アッラー(I)はこう仰いました:
-実にアッラーの御許にこそ、(審判の)時の知識は属する。そしてかれこそが慈雨をお降らしになり、子宮の中にあるものをご存知になられる。人は明日何を獲るかを知らず、またどの土地で死ぬことになるかも知らない。実にアッラーは全てをご存知になり、全てにご通暁されるお方であられる。,(クルアーン31:34)
死には、大小二種類があります。大きなものとは、魂がその肉体を完全に離脱する時のものです。一方小さいものとは、魂が肉体を一時的に離脱する時のものです。その場合、魂は再び肉体に戻ります。アッラー(I)は仰りました:
-アッラーはその(定められた)死期にある魂と、眠りの中にあるまだ死んではいないそれ(魂)をお召しになられる。そして死を定められたものは(その御許に)留め置き、そうではないものは既定の時期まで解き放たれる。実にこの中には熟考する民へのみしるしがあるのだ。,(クルアーン39:42)

死後何が起きるか?
死後、人は蘇らされます。そして現世における行いの記録を、手渡されるのです。アッラー(I)は仰っています:  
-これはアッラーこそが真理であり、かれが死者を生き返し、そしてかれが全能であるからに他ならない。,(クルアーン22:6)
不信仰者というものは時代を問わず、この復活と現世の行いの清算を否定してきました。これは真新しいことなどではないのです。アッラー(I)は仰りました:
-不信仰者たちは、(死後)蘇らされることなどはないと思い込んでいる。言え、「いや、私の主にかけて。あなた方は蘇らされ、(現世での)所業を通達されるのだ。そんなことはアッラーにとって他愛もないことである。」,(クルアーン64:7)
彼ら不信仰者たちは人を迷わせ、死後の復活という真実を拒ませるために努力します。アッラー(I)はこう仰いました:
-「彼(預言者ムハンマドr)はあなた方に、あなた方が死んで土となり、骨となった後に、(呼び)出されるのだなどと約束したのか?あなた方が約束されているのは、実に途方もないことである。」,(クルアーン23:35-36)
彼らは生死を単なる自然現象と見なし、それら(生死)が彼ら同様被造物であることを認識しません。アッラー(I)はこう仰っています:
-彼らは言う:「(人生とは、)私たちの現世での生活のみなの(であり、来世などはないの)だ。私たちは生き、死に、私たちを滅ぼすのは歳月だけである。」彼らにはそのことに関して、少しの知識もない。彼らは(根拠もない)憶測をしているに過ぎないのだ。,(クルアーン45:24)
またある者たちは、不信仰を貫徹するために途方もない論証を模索しました。アッラー(I)はこう仰っています:
-実に彼ら(マッカの不信仰者)は言っている:「私たちには一度きりの死があるのみであり、(その後)蘇らされることなどはない。あなた方が本当のことを言っているのなら、私たちの祖先を連れ(戻し)て来てみるがよい。」,(クルアーン44:34-36)
アッラー()はこのような者たちに、こう論駁されています:
-そして彼らは言う:「私たちが骨となり、残骸となった後に、新たな創造として蘇らされると?」言ってやれ、「石にでも、鉄にでもなるがいい。あるいは、あなた方の胸中において偉大に思われる、いかなるものにでも。」すると彼らは言う:「一体誰が、私たちを(元に)戻すと言うのか?」言ってやれ、「最初にあなた方を創られたお方(が、あなた方をお戻しになられる)。」彼らはあなたに向かって(蔑みながら)頭を振りつつ、こう言う:「それはいつのことなのだね?」言え、「近い日のことかもしれない。その日(アッラーは)あなた方を召喚され、あなた方はかれを讃美しつつそれに応える。そしてあなた方は(現世、あるいは墓の中に)、ほんの少しの間しか滞在しなかったと思うであろう。,(クルアーン17:49-52)
また彼らは清算の日を否定します。アッラー(I)は仰りました:
-不信仰者たちは言う:「(審判の)時など、私たちにはやって来ない。」言ってやれ、「いや、わが主にかけて。それは必ずやあなた方のもとに到来するのである。幽玄界をご存知のお方に誓って。天においても地においても、小蟻一匹の重さほどでも、かれから免れるものはないのだ。それより小さいものでも、また大きいものでも、明白なる書に記されないものはないのである。」それはかれ(アッラーのこと)が、信仰し善行に励む者たちにお報いになるためである。彼らには(罪の)お赦しと、貴いお恵みがあろう。しかしわれら(アッラーのこと)のみしるしにおいて努めて抗う者たちには、痛烈で忌まわしい懲罰があろう。,(クルアーン34:3-5)
その日アッラーは、全創造を復活させられます。アッラー(I)は仰っています:
-あなた方(全て)の創造も復活も、一つの生命(の創造と復活)同様(アッラーにとって容易いこと)なのである。実にアッラーは全てをお聴きになり、ご覧になられるお方。,(クルアーン31:28)
そして清算の日に、彼らを一まとめに召集されます。アッラー(I)は仰りました:
-言え、「以前の者も後世の者も全て、その定められた日の定められた時に(蘇されるのだ)。」,(クルアーン56:49-50)
その日、全ての被造物は蘇らされるのです。アッラー(I)は仰っています:
-われら(アッラーのこと)はあなた方の内の先立った者たちのことも知っているし、あなた方の内の後からやって来る者たちのことも知っている。,(クルアーン15:24)
アッラー()は人間を、公正にお裁きになられます。彼らの行いが善ければ報奨が与えられ、悪ければ懲罰が与えられるのです。アッラー(I)は仰りました:
-その日(審判の日のこと)、全ての者は(自らが)現世で行った善いことも、悪いことも全て眼前に見出す。彼は、自分自身とそれ(行った悪行)との間に遠い隔たりがあることを望むであろう。アッラーは(その日のかれのお怒りに関して、)あなた方に警告される。そしてアッラーは、そのしもべに対して哀れみ深いお方であられるのだ。,(クルアーン3:30)
またアッラー(I)は、こうも仰っています:
-アッラーはその日、あなた方を皆復活させられる。そして彼らが(現世で)行ったことを、お告げになられる。彼らがそれを忘れてしまっていても、アッラーはそれを(仔細に)数え上げられるのだ。アッラーは全てのことにおける証人であられる。,(クルアーン58:6)
その偉大な日、人は最も近しい人や最愛の近親などすら構っている余裕もありません。アッラー(I)は仰っています:
-それで(審判の日に、復活のラッパが吹き鳴らされ)大音波が響き渡る時。その日人はその兄弟や母親、父親や配偶者、そしてその子供たちからさえも身を翻す。各人はその日、(自分自身の)物事で手一杯なのである。,(クルアーン80:33‐37)
その日、悪行を犯していた者は、懲罰を目の当たりにします。そして地獄の業火から逃れるためならば、自分にとって最愛の者すら犠牲として差し出したいと願うほどの状態になります。アッラー(I)は仰りました:
-(その日、互いに親しい者たちは)互いの姿を認める(が、安否を尋ね合うこともないほどの恐怖に陥っている)。罪深い者はその日の懲罰から免れるためなら、その子息すら売り渡してしまいたいと思うであろう。そして配偶者や兄弟(姉妹)、彼を庇ってくれる親族、また地上の全てのものでさえも、自分が救われるためなら(、彼らを犠牲にしたいと思うであろう)。,(クルアーン7:11-14)
しかしその日が到来すれば、人は誰のことも自分の身代わりに出来なければ、自分自身を救うことも出来ません。アッラー(I)は仰っています:
-不信仰者たちは、もし彼らに審判の日の懲罰を免じてもらうための地上にある全てとそれと同様のものがもう1つあったとしても、それを受け入れてもらえない。そして彼らには痛烈な懲罰があるのだ。,(クルアーン5:36)
その日唯一受け入れてもらえるものといえば、それは己の善行のみなのです。アッラー(I)はこう仰っています:
-そしてあなた方をわれら(アッラーのこと)に近付け(高い位階に上げてくれ)るものとは、あなた方の財産でも子孫でもないのだ。しかし信仰して善行に励む者には、彼らの行ったことに対して倍の報奨があろう。そして彼らは、(天国の高きにある)住まいに安寧に暮らすのだ。,(クルアーン34:37)
またアッラー(I)は、こうも仰っています:
-あなた方の主のみしるしのいくつかが到来する日、(不信仰者たちはついに信仰せざるを得なくなるが)その信仰は(もはや)その魂を益しない。あるいは(それら審判の日のいくつかの予兆が到来する前に信仰に入っていた者たちでも)その信仰をもってよきものを得ることがなかった者たち(はその日、その信仰心が彼らを益することはない)。,(クルアーン6:158)
その日、人が以前依存していた物質的諸事は全て消失します。アッラー(I)は仰りました:
-(アッラーは、審判の日にこう仰られる:)あなた方は、われら(アッラーのこと)が最初にあなた方のことを創った時のように、(財産や仲間なども持たずに)われらのもとに一人一人やって来た。そしてあなた方は、われらがあなた方に(現世における楽しみとして)与えた物全てを、背後に置いて来たのだ…,(クルアーン6:94)
その日、唯一手元に残るのは、現世で行った善行のみです。アッラー(I)は仰っています:
-それで小蟻一匹の重さほどでも善行を行った者は、(その日)それを目の当たりにする。そして小蟻一匹の重さほどでも悪行を行った者は、(その日)それを目の当たりにする。,(クルアーン99:7-8)

復活の後に起こること
復活の後、人は永遠の天国か、あるいは永遠の地獄かのいずれかへと向かいます。そしてその住民はその住まいで、永遠に過ごすことになるのです。公正なるアッラー()が、人間をお裁きになられます。アッラー(I)はこう仰っています:
-そしてわれら(アッラーのこと)は審判の日のために公正な秤を設けるゆえ、魂はいかなる不正も被ることがない。そしてからし種一粒ほどの重さ(の行い)でも、われらは提示しよう。われらは精算者として完全なのである。,(クルアーン21:47)
全ての民は、彼らに遣わされた使徒が伝えた宗教に応じて、裁かれます。アッラー(I)は仰っています:
-その日、われら(アッラーのこと)は全人を、彼らの指導者(預言者たち)と共に招集する。それで(現世での行いが記録された)帳簿が右手に渡された者は、その帳簿(に記録された善行)を読み上げる。そして彼らは、種子の割れ目ほど(の些細なことにおいて)も不正を被ることがない。しかし現世において盲目であった者(つまり導かれなかった者)は、来世においても盲目であり、それ以上に迷い去っているのである。,(クルアーン17:71-72)
信仰し、善行に励んでいたムスリムは、永遠の享楽が待ち受けている天国に入ります。彼らはアッラーとその使徒のご命令を遵守し、彼らが禁じたことを回避していたからです。天国では死が訪れることはありません。アッラー(I)はこう仰っています:
-主を畏れる者たちはその日、安全な立ち所にある。(彼らは)園々といくつもの泉の中に、薄地と厚地の絹の衣服をまといつつ互いに向かい合っている。またわれら(アッラーのこと)は彼らに、色白で大きな眼の美女たちをめとわせる。(彼らは)そこで何の悪や害も被ることなく、ありとあらゆる果実を運んで来させるのだ。(彼らは現世で味わった)1度目の死後、そこで死を味わうことはない。そしてわれらは彼らを地獄の懲罰から守ったのである。(これこそ)あなたの主からのお恵み。そしてこれこそは、この上ない勝利なのだ。,(クルアーン44:51-57)
天国の民が享受する祝福について、預言者ムハンマド(r)はアッラーが次のように仰られたと伝えています:
「われはわが正しいしもべに、いかなる目も見たことがなく、またいかなる耳も聞いたこともなく、そしていかなる心も想像だにしたことがなかったようなものを用意しておいたのだ。」それから(伝承者である)教友アブー・フライラ(t)は、こう言っています:「望むなら、このアッラーの御言葉を読むがよい:
-誰一人として(来世において)彼らのために隠された享楽の数々を知ることはない。(それは)彼らが行っていたことに対する報いなのである。,(クルアーン32: 17)」(アル=ブハーリーの伝承)
また、預言者ムハンマド(r)はこう言っています:
「天国に入る最初の集団は、あたかも満月のようである。そしてその次の集団は、天に輝く明るい星のようである。彼らはそこで排尿や排便をしたり、また唾を吐いたり鼻をかんだりする必要もない。また彼らのくしは金製で、汗は麝香の香りである。そして彼らの香水はインディアン伽羅であり、彼らの妻は白い肌の大きな眼の乙女である。彼らは(互いに憎しみ合ったりすることもなく)一心同体のようであり、六十腕尺もある彼らの父祖(アーダムのこと)に姿形が似ている。」(イブン・ヒッバーンによる伝承)
また、教友ジャービル(t)は預言者ムハンマド(r)が次のように語った、と伝えています:
「“天国の住民は飲食するが、唾を吐いたり、排便したり、痰を吐いたりすることがない。”彼らは尋ねました:“では彼らの食べ物はどうなる(つまり排泄される)のですか?”彼は答えました:“それらはげっぷと発汗として出るが、それらは麝香の香りである。また彼らはちょうど呼吸をするように無意識に、アッラーを讃美している。”」(ムスリムの伝承)
また教友ザイド・ブン・アルカム(t)は、こう言っています:
「あるユダヤ教徒の男が、預言者ムハンマド(r)のもとにやって来て、こう言いました:“アブー・アル=カースィム(預言者ムハンマドrのこと)よ、天国の住民は飲食しないとでもお思いか?”預言者ムハンマド(r)は言いました:“私の魂がその御手に委ねられているお方にかけて。(天国に入る)全ての者は飲食や性行為において、百人分もの力を与えられよう。”するとそのユダヤ教徒は言いました:“飲食する者は排泄もするものだぞ。”預言者ムハンマド(r)は答えました:“彼らは肌からの発汗により、排泄する。そしてその香りは麝香のそれであり、胃は痩せ細ってしまうであろう。”」(イブン・ヒッバーンによる伝承)
また教友アブー・フライラ(t)は、預言者ムハンマド(r)がこのように言ったと伝えています:
「(来世において)召集する者は(天国の民に)呼びかけ、こう言うであろう:“あなた方は永遠に健康であり、二度と病に冒されることはない。またあなた方は永遠に生き、二度と死ぬことはない。またあなた方は永遠に若く、二度と年老いることはない。そしてあなた方は永遠に楽しみ、二度と悲しんだり後悔したりすることはない。アッラーはこう仰られているのだ:

-…そして、彼らにはこう呼びかけられる:「これこそは、あなた方が(現世で善行を)行っていたことによって引き継いだ、天国なのである。」,(クルアーン7:43)”」(ムスリムの伝承)
また預言者ムハンマド(r)は、天国における最下層の住民が堪能する享楽に関して、次のように教示しています:
「最後に地獄から出され、そして最後に天国へ入れられる者のことを教えてやろうか?その者が地獄から這い出てくると、アッラーはこう仰られる:“行き、天国に入るがよい。”そして彼が天国に着くと、彼の眼には天国が埋め尽くされているかのように映る。それで彼は戻り、こう言う:“主よ、天国は満杯です。”するとアッラーは、またこう仰られる:“行き、天国に入るがよい。”そして彼が天国に着くと、彼の眼にはまだ天国が埋め尽くされているかのように映る。それで彼は戻り、こう言う:“主よ、天国は満杯です。”するとアッラーは、再三こう仰られる:“行き、天国に入るがよい。それはあなたにとって、現世の十倍にも値するものなのであるから。”すると彼は言う:“あなたは私をからかっておられるに違いありません。あなたは唯一の主権者であられますのに(、私などにそのようなものをお恵みになられるのですか)!”」
そして伝承者は、こう続けます:
「その時、預言者ムハンマド(r)は、彼の奥歯が見えるほどに笑いました。それが天国の最下層の者について言われたことです。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承)
一方使徒と、彼らが携えて来たメッセージを拒絶した不信仰者たちの行き先は、地獄の業火です。そして彼らはその中に、永遠に留まるのです。アッラー(I)は仰いました:
-そして不信仰者たちには地獄の業火があり、彼らはそこで殺され、死ぬことによって楽をすることも出来ない。また彼らは懲罰を軽減されることもないのだ。このようにわれら(アッラーのこと)は全ての不信仰者に(罰でもって)報いるのである。そして彼らは(地獄の懲罰の中で)叫び、言う:「われらが主よ、ここから出して下さい。きっと以前の私たちが行っていた悪行とは違う、正しい行いをしますから。」(アッラーは仰る:)「われらは熟慮する者が熟慮するに足るだけの年月を、あなた方に与えてやったではないか。そしてあなた方の下には警告者が到来したのだ。(懲罰を)味わうがいい。(真理に対する)罪悪人たちにはいかなる援助者もないのだ。」,(クルアーン35:36-37)
預言者ムハンマド(r)は地獄における、最も軽い懲罰を次のように描写しています:
「審判の日、地獄で執行される最も軽い懲罰は、足の裏に燃えた炭を当てられるものである。そしてそれによって、その者の脳味噌は煮立った鍋のように煮え立つのだ。」(アル=ブハーリーの伝承)
また預言者ムハンマド(r)が言及している次の言葉は、天国の住民の歓喜と祝福を更に増大させ、地獄の住民の悲嘆を更に大きなものにする一つの要素となります:
「死は、白と黒が混じった色をした雄羊の形で訪れる。そして呼ぶ者の声がする:“天国の住民よ!”すると人々は皆、群集を見渡そうとする。呼ぶ者は、続けてこう言う:“あなた方はこれを知っているか?”彼らは答える:“はい、それは死です。”彼らは全員、それを眼にすることになる。そしてその雄羊は屠られ、呼ぶ者はこう言う:“天国の住民よ、死を眼にすることなく(天国で快楽を享受しながら)永遠に生きよ。そして地獄の住民よ、あなた方もまた、死を目にすることなく(地獄の中で苦しみながら)永遠に生きるのだ。”それから預言者ムハンマド(r)は、こう朗誦しました:

-そして彼らに、悔恨の日(審判の日)のことを警告せよ。その日全ては決定するが、彼らは無頓着であり、信仰してはいないのである。,(クルアーン19:39)」(アル=ブハーリーの伝承)
また預言者ムハンマドrは、こうも言っています:
「人は、もし(現世で)悪行を働いていたならばそこに居座ることになっていた、地獄における自分の居場所を(墓場の中で)目にすることなしには、天国に入ることがない。そしてそれは、その者が(それによって更なる歓喜を得、)より一層の感謝の念を抱くためなのである。また人は、もし(現世で)善行に励んでいたならばそこに居住することになっていた、天国における自分の居場所を(墓場の中で)目にすることなしには、地獄に入ることがない。そしてそれは、その者がより一層の苦悩を味わうためなのである。」(アル=ブハーリーの伝承)
真の、そして永劫の生活が始まるのはここからなのです。そして来世のために善行でもって準備しておく者こそは、真の喜びを得ることになるのです。

クルアーンにおける復活の証明
クルアーンの中には、人間に自分自身の創造における性質に関して熟考することへといざなう章句が、沢山あります。そして人間を無からお創りになられる存在こそは、そこに再び生を与えることも可能なのです。アッラー(I)は仰っています:
-(信仰しない)人間は言う:「私が死んだ後、生きて(呼び)出されるだって?」人間は覚えていないのか?彼が以前存在していなかったにも関わらず、われら(アッラーのこと)は彼を創ったということを?,(クルアーン19:66-67)
またアッラーは人間に対し、一度枯れ果てて死んでしまった大地が、いかにして新鮮な作物を実らせるかについて熟慮することをお勧めになります。アッラー(I)は仰りました:
-そしてかれ(アッラーのこと)のみしるしの一つとして、あなたは大地が荒廃するのを見るであろう。そしてわれら(アッラーのこと)がそこに(雨)水を降らせれば、それ(大地)は振動し、隆起する。実にそれに生を与えられるお方こそは、死者にも生を与えられるお方である。かれには全てのことがお出来になるのだ。,(クルアーン41:39)
またアッラー()は、人間の創造よりも偉大である天地の創造について、人間が想念することを奨励されます。アッラー(I)はこう仰りました:
-彼らは天地を創造され、それらの創造で疲弊されることなどなかったアッラーが、死人に生を授けることがお出来になるとは考えないのか?いや、かれこそは全てのことがお出来になるお方なのである。,(クルアーン46:33)
また死からの復活の疑似体験であるかのような、睡眠からの目覚めについても思念することを勧めています。アッラー(I)はこう仰っています:
-アッラーはその(定められた)死期にある魂と、眠りの中にあるまだ死んではいないそれ(魂)をお召しになられる。そして死を定められたものは(その御許に)留め置き、そうではないものは既定の時期まで解き放たれる。実にこの中には熟考する民へのみしるしがあるのだ。,(クルアーン39:42)
アル=アース・ブン・ワーイルはある時、朽ちた骨を手にして預言者ムハンマド(r)のもとにやって来ました。そしてそれを粉々に砕いて見せると、こう言いました:
「ムハンマドよ!アッラーはこの骨が粉々になった後に、それを蘇らされるというのか?」彼は答えました:「ああ、アッラーはそれを元にお戻しになられる。アッラーこそはあなたに死を与え、その後に生を与え、それからあなたを地獄にお入れになるお方なのである。」
この伝承の伝承者は、ここでこう言っています:
「この出来事に関して、クルアーンの次の句が下されました:
-人間は、われら(アッラーのこと)が彼を一滴の精液から創ったということを考えないのか?それなのに彼は、(われらに対して)高らかに反駁する。そして(不信仰者は)自らの創造のことを忘れて、われらに向かって(死後の復活を否定する)譬え話をしてこう言う:「朽ち果てた骨を、一体誰が生き返らせるというのか?」言え、「それを最初に創造されたお方が、(また)それに生をお与えになるのだ。かれは全ての創造についてご存知であられる。かれこそはあなた方のために、緑樹から(採れるものから)火を生じしめられるお方である。ゆえにあなた方は、それによって火をおこすではないか。一体天地をお創りになられたお方が、彼ら(人間)のようなものを(その死後に再び)お創りになることが出来ないなどということがあろうか?いや、(出来るのである。)かれこそは創造者であり、全知なるお方なのだ。実にかれのご命令というものは、ただかれが何かをお望みになられた時に “あれ。”と仰られるだけで、それが実現するのである。その御手に全ての権威が属するお方の崇高さに、讃えあれ。そしてあなた方は、かれの御許へと還り行くのである。」,(クルアーン36:77-83)」(イブン・ヒッバーンによる伝承)


いかにして自分自身を救うか?
審判の日に受け入れられる宗教とは、人を永遠の幸福の中での生活とアッラーのご慈悲へと導き、かつ永劫の悲惨さから救ってくれるものとなるでしょう。そしてそれこそは預言者ムハンマド(r)に下された、イスラームという宗教なのです。

イスラームとは何か?
イスラームとは、預言者ムハンマド(r)に啓示された宗教です。他の全ての宗教は、それでもって取って代わられたのです。アッラー(I)はこう仰りました:
-かれ(アッラーのこと)こそは、導きと真理の宗教をもってその使徒(ムハンマドr)を遣わせられたお方。そしてそれはたとえシルク の徒が厭おうとも、全ての宗教の上に君臨するのだ。,(クルアーン61:9)
そしてイスラームこそは、アッラーから受け入れられる唯一の宗教です。かれは、イスラーム以外の宗教をお受け入れにはなられません。アッラー(I)はこう仰ります:
-…そして件の派閥(不信仰者たち)の内で、それ(クルアーン)を信じない者たちの約束された場所は、(地獄の)業火なのである。,(クルアーン11:17)
イスラームとはアッラーへの服従と、その唯一性への信仰、かれのご命令に進んで従順に従うことであり、そしてシルクを否定することです。イスラームは数億もの信徒を擁する宗教です。果たしてこれだけ多くの信徒が間違った道を歩んでおり、そうではない人々が正しい道にある、などとどうして言えるでしょうか?
またイスラームは現在、決して適切な形で布教されているわけではないにも関わらず、人々が挙って改宗している宗教でもあります。また一度イスラームに改宗した後、棄教するのは非常に稀なケースです。預言者ムハンマド(r)が遣わされた後、イスラーム以外のいかなる宗教もアッラーによって受け入れられることはありません。アッラー(I)はこう仰っています:
-そしてイスラーム以外のものを宗教として望む者は、決してそれを受け入れられない。そして彼は来世においては損失者の類いなのである。,(クルアーン3:85)
また預言者ムハンマドrは、こう言っています:
「ムハンマドの魂がその御手に委ねられているお方(アッラーのこと)にかけて。ユダヤ教徒であろうとキリスト教徒であろうと、私のことを耳にした者で、私が伝達するものを信じなかった者は、地獄の民となるであろう。」(ムスリムの伝承)

イスラームの主要な基幹(いわゆる五行)
イスラームは言葉や行動、信仰などからなる様々な種類の崇拝行為を義務付けています。そしてその内の、言葉と行動に関するものが一般に「イスラームの基幹」と呼ばれるものです。これらの要素いかんで、その者がムスリムかそうでないかが決定されるといってよいでしょう。
イスラームはその信徒が、単にそれらの崇拝行為を遂行することを勧めているわけではありません。それらの行為は人の魂を清め、正しい状態に保つものなのです。崇拝行為を行うことの裏に秘められた目的は、自らを矯正し、真っ直ぐな正しい道を固守することです。アッラー(I)は、サラー(礼拝)に関してこう仰っています:
-実にサラー(礼拝)は醜行(非合法な性交渉など、あらゆる種類の大罪)と悪事(不信仰やシルクなど、あらゆる悪行)を妨げる。,(クルアーン29:45)
またザカー(義務の浄財)については、こう仰っています:
-彼らの財産から施しのためのものを取り、それでもって彼らを(罪から)清め、浄化してやるのだ。,(クルアーン9:103)
またサウム(斎戒、いわゆる断食)については、こう仰られます:
-信仰する者たちよ、あなた方以前の者たちにも定められたように、あなた方にもサウム(斎戒、いわゆる断食)が課せられた。(それによって)あなた方は敬虔さを獲得するであろう。,(クルアーン2:183)
そしてハッジ(大巡礼)については、こう仰ります:
-ハッジ(の季節)は周知の数ヶ月である。それでその間にハッジをしようとする者は、淫らな言動や罪深い行いや言い争いをしてはならない。,(クルアーン2:197)
崇拝行為はイスラームにおいて、ムスリム社会における結束と団結を維持するだけでなく、個人の人格とその向上における中心的な役割を担っているのです。
二つの信仰証言
これは「アシュハドゥ・アッラー・イラーハ・イッラッラー、ワ・アシュハドゥ・アンナ・ムハンマダン・アブドゥフ・ワ・ラスールフ(私はアッラーの他に真に崇拝すべきものはなく、ムハンマドはそのしもべであり使徒であることを証言する)」という証言のことです。そしてこの証言こそが、イスラーム改宗の鍵となります。
この証言の最初の部分「アシュハドゥ・アッラー・イラーハ・イッラッラー(私はアッラーの他に真に崇拝すべきものはないと証言する)」は、以下のような意味を含みます:
1) アッラーが全ての存在の唯一の創造主であること。
2) アッラーが存在する全ての存在の真の所有者であり、かつその諸事を司る存在であること
3) アッラーのみが崇拝されるに値するということ
二番目の信仰証言「アシュハドゥ・アンナ・ムハンマダン・アブドゥフ・ワ・ラスールフ」の意味は、彼がアッラーのしもべで、その啓示を授かった使徒であり、また彼が全人類に対してそれを伝達することを命じられた最後の使徒である、というものです。彼の後には、文字通りいかなる使徒や預言者も到来しません。またこの証言には、ムスリムが彼の命令に従い、彼の言葉を信じ、彼が禁じたものを回避するということも含まれてきます。
サラー(礼拝)
ムスリムはサラーという手段を通して、その主との関係を維持します。そして現世的享楽に埋没したり信仰心が弱くなったりした時に、サラーを思い起こさせるアザーン(サラーへの呼びかけ)が聞こえてくるのです。サラーは信仰心を高めます。そしてサラーを通して、人はその創造主との間の継続的関係を保つのです。
ムスリムは昼夜に五回の義務の礼拝をします。男性は何らかの正当な理由がない限り、モスクで集団礼拝に参加します。ムスリムはサラーの場を通して互いに知り合い、相互の愛情と結束心を高めるのです。彼らはこうして日常的に、同胞の状況を知ることが出来ます。誰か姿の見えない者がいれば、病気になったのではと考え、彼の家を訪問することもあり得ます。また誰かが何らかの義務行為において怠っているような部分が認められるのであれば、周りの者が何らかのアドバイスを贈ったりすることも出来ます。サラーにおいてムスリムは、社会階層などの社会的差異や人種、血統など関係なく、真っ直ぐな列を作って1つの方向(マッカのカアバ神殿)に向かい、隣り合って立ちます。アッラーの御前で、彼らは皆一様に平等に服従するのです。
ザカー(義務の浄財)
ザカーとは、比較的豊かなムスリムが貧しい者に物乞いの辱めを味わわせないようにするべく拠出する、ある一定額の財産のことです。これはある一定額の財産を有する全てのムスリムにとっての義務です。アッラー()はこう仰いました:
-そして彼らは純正な宗教の徒として、彼らの宗教をアッラーのみに真摯に捧げて崇拝し、サラー(礼拝)を行い、ザカーを施すことしか命じられてはいなかったのだ。そしてそれこそは正しい宗教なのである。,(クルアーン98:5)
尚、ザカーが義務付けられる条件には以下のようなものがあります:
1). 最低限の財産を所有していること:つまりその財産が、イスラーム法によって定められたある一定の額や量に達していなければなりません。
2). その財産を一年間通して所有すること:もしこの期間内にその財産が所有下から外れた場合、ザカーはかかりません。
またアッラーは、ザカーを受給する資格のある者たちについても明確にしています。アッラー()はこう仰いました:
-ザカーは貧者と困窮者、ザカー(の徴収)に携わる者、(それによって)心に親愛が生まれそうな者、奴隷の解放、債務に苦しむ者、アッラーの道にある者、そして旅人に与えられる。(それは)アッラーからの義務である。アッラーは全てをご存知で、かつ英知溢れるお方。,(クルアーン9:60)
一定の規準額に達した財産で連続一年間所有下にあったものは、その年にその額の2.5%を支払わなくてはなりません。イスラームはこれによってムスリム社会からの貧困の根絶を狙っているのであり、また窃盗や殺人や他人の名誉の侵害など、貧困に伴う様々な危険を防止するのです。またザカーは貧者のニーズを満たすことにより、ムスリム社会における相互扶助や同胞愛の精神をも育むのです。またザカーはある程度裕福な者の心から吝嗇や自己中心性、貪欲さやこの刹那的な現世への固執、欲望の耽溺など、窮状にある同胞を忘れ去らせるような全ての要素を取り除いてくれるのです。
そしてまたザカーは貧者の心も、富者に向けられる憎悪や嫉妬などの感情から浄化してくれます。彼らは豊かな者たちがアッラーの命に従って財産を施し、喜捨や善行などによって継続的に彼らに配慮を払うのを目にするのです。
ラマダーン月のサウム(斎戒、いわゆる断食)
ムスリムは一年に一度のラマダーン月(ヒジュラ暦9月)に、一ヶ月間のサウムをします。そしてその間は最初の夜明けから日没まで、飲食や性交渉などのサウムを無効にする行動を慎むのです。実のところサウムはイスラームによって初めて紹介されたものではなく、それ以前の宗教においても定められていました。アッラー()はこう仰っています:
-信仰する者たちよ、あなた方以前の者たちにも定められたように、あなた方にもサウムが課せられた。(それによって)あなた方は敬虔さを獲得するであろう。,(クルアーン2:183)
サウムの目的は、単にサウムを無効にする物質的・精神的物事を回避するだけではありません。実際のところムスリムはサウムしている間、嘘や陰口、噂話の触れ回りや詐欺、下品な言行やその他諸々の有害な振る舞いなど、その報奨を減じるような目に見えないあらゆる物事を放棄しなければならないのです。そしてサウムする者は、これらの有害な行為がラマダーン月以外の時期にも放棄すべきことを肝に念じ、特にラマダーン月においてそう努めなければならないことを念頭に置かなければなりません。預言者ムハンマド(r)はこう言っています:
「アッラーは虚言とそれによる行いを放棄しない者が飲食を断つことなど、お求めにもならない。」(アル=ブハーリーの伝承)
またサウムは、魂と欲望の間の戦いでもあります。そしてアッラーの使徒()が次のように言っている通り、そこには多くの社会的利益も含まれています:
「アッラーは仰られた:“アーダムの子ら(人間)の全行動は、彼ら自身のものである。但しサウムだけは別で、それはわれゆえのものであり、われはそれに報奨を使わすのだ。そしてサウムとは、盾である。あなた方がサウムする際には、悪い言葉を口にしたり、大声を上げたり、声を荒げたりしてはならない。そしてもし喧嘩を売られたりしたら、こう言うのだ:「私はサウムをしている。」ムハンマドの魂がその御手に委ねられているお方にかけて。サウムしている者の口臭は、アッラーの御許において麝香の香りよりもよいのである。サウムする者は、倍の喜びを得よう。一つはサウムを解く時の喜び、そしてもう一つはその主と謁見した時の喜びである。”」(アル=ブハーリーの伝承)
またサウムを通して、人は十分な食事や衣服や住居を所有しない貧しい同胞の気持ちを理解します。そしてこのことが人を、彼らへの義務を果たし、彼らのニーズや状況に常に注意を払うことへと促すのです。
ハッジ(マッカへの大巡礼)
ハッジとは、ある特定の時期と場所において特定の儀式を行うために、聖なるアッラーの館(マッカのカアバ神殿)へと巡礼することです。この基幹は正常な理性を備えた全ムスリム成年男女に課されますが、身体的・経済的にそれを遂行するに十分な能力を有していることが条件になります。
それでもし十分な経済的能力があっても回復の見込みが薄い病気を患っているような場合は、誰か他の者にハッジの代理を依頼しなければなりません。そしてもし自分自身、あるいは自分が扶養する者たちを毎日賄う以上の経済的余裕がないような者には、そもそもハッジの義務は課されません。アッラー(I)はこう仰いました:
-そしてそうすることが出来る人々には、その館(マッカのカアバ神殿)を訪問するアッラーへの義務がある。それを否定する者があっても、実にアッラーは何ものをも必要とされてはいないのだ。,(クルアーン3: 97)
ハッジは、イスラームにおける最大の会合です。世界中のムスリムが同時期に一つの場所に集結し、同じ主を呼び、同じ衣服をまとい、同じ儀式を行い、以下のような同じ賛美の言葉を唱えて声を上げるのです。
「ラッバイカッラーフンマ・ラッバイカ、ラッバイカ・ラー・シャリーカ・ラカ・ラッバイカ、インナル・ハムダ・ワン・ニゥマタ・ラカ・ワル・ムルク、ラー・シャリーカ・ラカ」
この意味は以下の通りです:

「アッラーよ、あなたの御許に馳せ参じました。あなたの御許に馳せ参じました。あなたの御許に馳せ参じました、あなたに並ぶものはありません。あなたの御許に馳せ参じました。称賛と恩恵と主権は、並ぶものなきあなたにこそ属します。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承)
ここに貧富や貴賎、肌の色の差やアラブ人であるかそうでないかなどの差はありません。皆アッラーの御前に等しいのです。人には敬虔さ以外に何の格差もありません。ハッジは全ムスリムの同胞愛と、その希望と感情の結束が強調される、一大イベントなのです。


イーマーン(信仰)の基幹(いわゆる六信)
アッラーへの信仰
これは、アッラーの他には真に崇拝すべきものなど存在せず、かれにはいかなる共同者や対抗者、仲間なども存在しないことを信じることです。またかれこそがこの全宇宙の創造主であり、そこにおいてあらゆる物事を司られるお方はかれ以外には存在しない、ということを信じることです。そして、いかなる存在もかれのお許しなくして存在したものなどはなく、かれの御意志なしには何事も発生しません。アッラー()はこう仰いました:
-かれにこそ創造と全ての権限は属する。万象の主アッラーの崇高さよ。,(クルアーン7:54)
アッラーはその主性において、いかなる共同者も有しません。つまりアッラーこそは唯一の創造主・供給者であり、宇宙の諸事をお望みのままに司られるお方なのです。アッラー(I)は仰っています:
-言え(ムハンマドrよ)、「私のサラー(礼拝)も献身も、生も死も、ひとえに万有の主アッラーゆえである。かれにはいかなる共同者もない。私はこのように命じられたのだ。そして私はムスリム(アッラーの教えに従って受け入れた者)の先駆けである。」,(クルアーン6:162-163)
アッラーはかれのみが独占する権威において、いかなる共同者も有しません。ゆえに全ての崇拝行為は、かれに向かって捧げなければならないのです。アッラー(I)はこう仰りました:
-あなた以前にわれら(アッラーのこと)が遣わした使徒の内で、「われ(アッラーのこと)の他に神はない。だからわれを崇拝するのだ。」という啓示を与えなかった者はいなかったのである。,(クルアーン21:25)      
またアッラーはその御名と属性において唯一であり、いかなるものもそこにおいてかれ独特の特質を共有することはありません。アッラー(I)はこう仰りました:
-そしてアッラーにこそ美名が属するのであるから、それをもってかれに祈願するのだ。かれの美名をないがしろにするような輩は放っておくがいい。,(クルアーン7:180)
またこの信仰は、アッラーのみが崇拝に値する唯一の存在であるということを意味します。ゆえにムスリムは、かれを差し置いてかれ以外の何かに全面的に依拠したり、または祈願したり、あるいは災厄の除去や願い事の成就にあたって、かれ以外の何かに祈願したりすることを禁じられます。全ての崇拝行為に値するのは誰でもなく、アッラーのみなのです。
またこの信仰は、アッラーにのみ最善かつ最高の名称と属性が帰せられる、ということをも意味します。ムスリムはそれらの具体的意味を必要以上に模索したり、または歪めたり否定したりすることなく信仰することを要求されています。かれこそは、あらゆる欠陥から遠く無縁な存在なのです。アッラー(I)はこう仰りました:
-かれ(アッラー)に似たものは何一つない。にも関わらず、かれは全てを聞き、ご覧になられるお方なのである。,(クルアーン42:11)
諸天使への信仰
これはアッラーの被造物の一つである、天使の存在を信仰することを意味します。アッラー以外に彼らの正確な数を知る者はありません。かれらは幽玄界に属しており、アッラーを崇拝し、そしてかれに服従するために創造されました。アッラー(I)はこう仰っています:
-メシア(イエス)は、アッラーのしもべであることを慢じたりはしない。またかれのお傍に召されている天使たちも、同様である。…,(クルアーン4:172)
アッラーは各天使に、特有の任務を課されました。かれらはただ、自分たちに命じられたことを遂行するのみなのです。アッラー(I)は仰りました:
-…その(地獄の業火の)上には厳しく荒々しい天使たちがいる。彼らはアッラーが命じられたことに逆らうこともなく、そのご命令を遂行するだけなのである。,(クルアーン66:6)
天使たちはアッラーの共同者でも、仲間でも、対抗者でもありません。またアッラーの子供などでもありません。しかしムスリムは、かれらを敬愛しなければなりません。アッラー(I)は仰っています:
-そして(不信仰者たちは)言う:「慈悲深いお方(アッラーのこと)は子をもうけられた。」かれは(そのようなこととは)無縁な崇高なるお方である。彼ら(天使たち)は栄誉高いしもべであるのだ。彼らはかれ(アッラーのこと)に先んじて喋ることもなく、ただかれの命を遂行するのみである。,(クルアーン21:26-27)
またその内のある者はクルアーンとハディース(預言者ムハンマドrの伝承)の中で言及されており、またある者は言及されてはいませんが、ムスリムは彼ら全てを包括的な形で信仰しなければならないとされています。
諸啓典への信仰
アッラーの諸啓典への信仰とは、アッラーがそれを人類に伝達させるべく、その使徒たちに啓典を下したということを信仰することです。これらの啓典は全て、啓示された時点では真実以外の何ものをも含んではいませんでした。それらはアッラーが唯一であり、かれ以外には創造者も真の管理者も所有者もなく、かれにこそ全ての美名と卓越した属性が属している、などといったメッセージが示されています。以下に挙げるのは、代表的な啓典の数々です:
1)イブラーヒーム(アブラハム)とムーサー(モーゼ)の書:クルアーンはこれらの書の中に、いくつかの宗教的基礎を簡潔な形で提示しています。アッラー(I)は仰りました:
-それともムーサーの書にあることが、告げられなかったというのか?そして(信託を)完遂したイブラーヒームのそれも?魂は他の魂の重荷を負わされることはない。そして人間は、自らが努力したもの以外のものを得ることはない。彼は自分の努力を目にするであろう。それから十分な報いを受けるであろう。そして行き着く先は、あなたの主以外の何ものでもないのだ。,(クルアーン53:36-42)
2)タウラート(トーラー):タウラートはムーサー(u)に下された、聖なる書です。 至高のアッラーはこう仰いました:
-実にわれら(アッラーのこと)は、正しい導きと光を宿したタウラートを下した。アッラーに服従した預言者たちは、それでもってユダヤ教徒たちを裁いていたのだ。そしてまた学識豊かで敬虔な者たちや律法学者らも(そうした)。それは彼らがアッラーの書(タウラート)の保持を託され、また(そこに記されていることに対する)証人であったためである。ゆえに人々を恐れず、われ(アッラーのこと)を畏れよ。僅かな値段でもってわがみしるしを売ったりしてはならない。そしてアッラーの下されたもの(イスラーム法)以外のもので裁く者こそは、不信仰者なのである。,(クルアーン5:44)
3)ザブール(詩篇): ザブールは預言者ダーウード(ダビデ)に下された書です。アッラー(I)は仰いました:
-…そしてわれら(アッラーのこと)はダーウードに、詩篇を下した。,(クルアーン4:163)
4)福音書:福音書はイーサー(イエス)に啓示された聖典です。アッラー(I)はこう仰りました:
-そしてわれら(アッラーのこと)は、それ以前に下されたタウラートの中にあるものを確証するため、マルヤム(マリヤ)の子イーサーに彼らの跡を踏襲させた。そしてわれらは、彼に正しい導きと光を宿した福音を授けた。それはそれ以前に下されたタウラートの中にあるものを確証し、アッラーを畏れる者たちへの導きと訓戒とするためである。,(クルアーン5:46)  
ムスリムは全ての啓典を信じ、またそれらが本来アッラーから下されたものであるということを信仰しなければなりません。但しそれらの啓典は特定の時代に特定の民に下されたものであるため、ムスリムがこれらの法を堅持することは許されません。福音書の中には、イーサー自身がこう言ったと記されています:
「私はイスラエルの系譜の、迷えし羊たちにのみ遣わされたのである。」(マタイ伝15:24)
またクルアーンは預言者ムハンマド(r)が将来遣わされることなど、タウラートと福音書の中に見出されるある種の内容についても言及しています:
-(アッラーは)仰った:「わが懲罰は、われが望む者に降りかかるのだ。そしてわが慈悲は全てのものを包み込んでいる。ゆえにわれは(われを)畏れ、ザカー(浄財)を払い、われら(アッラーのこと)のみしるしを信じる者たちにそれを授けよう。」タウラートと福音書の中に記されているのを彼ら(啓典の民)が見出すところの、文盲の使徒、預言者(ムハンマド)に従う者たち。彼こそは善を勧め悪を禁じ、彼らによきものを合法なものとし、悪しき物を彼らに禁じる。そして(彼は)彼らが背負っていた重荷と、彼らにはめられていた枷を取り除くのだ。ゆえに彼を信仰し、また敬いかつ援助して、彼と共に下された光に追い従う者たちこそは、真の成功者なのである。,(クルアーン7:156-157)
5)聖クルアーン:ムスリムは、クルアーンが天使ジブリール(ガブリエル)を通して預言者ムハンマド(r)に下された、アッラーの御言葉であるということを信仰しなければなりません。またムスリムの信仰において、クルアーンこそはそれ以前の全ての啓典に取って代わる最後の啓典です。ゆえにムスリムは、人類がクルアーンとそれが下された者(預言者ムハンマドr)、そしてそれがもたらした宗教(イスラーム)を信じなければならない、と信じています。
諸使徒への信仰
アッラーが人類の中で最も優れた者を使徒としてお選びになり、そしてその使徒たちがアッラーへの崇拝と服従、及びアッラーの宗教と唯一性を確立するための特定の法規定を携えて被造物に遣わされた、ということを信じることは、ムスリムにとっての基本的信仰です。アッラーはその使徒たちに、人々に対してメッセージを伝達するよう命じ、彼らがその後アッラーに対して「私たちには何のメッセージも届いていない」というような弁解が出来ないようにされました。
またアッラーは、使徒という任務を課されるにあたり、敢えて人間をお選びになりました。使徒たちはそれ以前の使徒が携えて来た法規定と宗教を確証し、そこへと民をいざなったのです。歴史上遣わされた使徒と預言者は数多く、その正確な数はアッラー以外誰も知りません。アッラー(I)はこう仰っています:
そしてわれら(アッラーのこと)はあなた以前にも使徒たちを遣わした。彼らの内のある者はあなた(ムハンマドr)に語って聞かせたが、ある者は語って聞かせなかった。(クルアーン40:78)
そしてムスリムは彼ら全員を信じなければならず、また彼らが超自然的存在などではなく人間であったことを信じます。アッラー(I)は仰りました:
そしてわれら(アッラーのこと)があなた(ムハンマドr)以前に、人間の男性以外の者に啓示を与えることはなかった。もし(そのことを)知らなければ、訓戒の民(ユダヤ教徒とキリスト教徒)に訊ねてみよ。またわれら(アッラーのこと)は彼ら(使徒と預言者)を、食事も摂らないような肉体にはしなかったし、不死者ともしなかった。,(クルアーン21:7-8)
アッラーはイーサー(イエス)に関して、クルアーンの中でこう仰っています:
マルヤム(マリヤ)の子メシア(イエス)は、それ以前にも数々の使徒が過ぎ去ったところの、一人の使徒に過ぎない。そしてその母親は(姦淫など犯してはいない)正直者である。彼らは(人間であるがゆえに)食事を摂っていたのだ。見よ、われら(アッラーのこと)が彼らに対して、いかにみしるしを明らかにするかを。そして見よ、彼らが(真理から反れて)どこに背き去ってしまうかを。(クルアーン5:75)
ムスリムは全ての預言者と使徒を信じます。彼らの内のある者は信じるが、別の者は信じない、といった考えはイスラームにおいて不信仰に陥ることを意味します。アッラー(I)は仰りました:
アッラーとその使徒たちを信じず、アッラーと彼らの間を分け隔てようとする者たち。そして「私たちは(使徒たちの)これこれの者たちは信じるが、他の者たちは信じない。」などと言って、その(信仰と不信仰)間に道を見出そうとする者たち。彼らこそは真に不信仰者である。そしてわれら(アッラーのこと)は不信仰者たちに対し、屈辱の懲罰を用意しておいたのだ。(クルアーン4:150-151)
尚、最初の使徒はヌーフ(ノア)で、最後の使徒がムハンマド(r)です。
最後の日への信仰
イスラームでは、この世界での生活がある日終局を迎えるということを信じます。アッラー(I)はこう仰りました:
-かれ(アッラー)の御顔を除く(地上の)万象は滅び去る。,(クルアーン55:26)
この信仰には、以下のような要素が含まれます:
1)境界上の生を信じること:境界とは、人が死んでから最後の日を迎えるまでの時間帯を意味します。信仰者はそこにおいて安寧の時を過ごしますが、不信仰者は懲罰を受けます。アッラー(I)は仰りました:
-(それは)彼らが(死後復活の時が来るまで)朝に夕に晒される業火。そして審判の日には、(アッラーが天使たちにこう命じられて言われる)「ファラオの一族を最も過酷な懲罰の中に投げ込むのだ。」,(クルアーン40: 46)
2)復活を信じること:アッラーは人々を全裸で裸足のまま、そして割礼されていない状態で復活させます。アッラー(I)は仰りました:
-不信仰者たちは、(死後)蘇らされることなどはないと思い込んでいる。言え、「いや、私の主にかけて。あなた方は蘇らされ、(現世での)所業を通達されるのだ。そんなことはアッラーにとって他愛もないことである。」,(クルアーン64:7)
3)召集を信じること:アッラーはその日全ての被造物を召集し、現世での行いの清算のために呼び集めます。アッラー(I)はこう仰りました:
-そしてその日われら(アッラーのこと)は山々を動き回らせ、あなたは大地(に秘められた全てのもの)が明らかになるのを見るであろう。そしてわれらは彼らを召集し、誰一人としてそれを免れる者はいない。,(クルアーン18:47)
4)その日人は各自ふさわしい位階を与えられ、アッラーの御前に連れて来られるということを信じること: アッラー(I)は仰っています:
-彼らは列を成して、あなたの主の御前に連れて来られる。(アッラーは仰る:)「あなた方は、われら(アッラーのこと)が最初にあなた方を創造したように、われらのもとにやって来た。いや、あなた方は、われらがあなた方に(復活と召集の)約束を定めなかったと思い込んでいたのだ。」,(クルアーン18:48)
5)その日人の手足までもが、現世でのその行いを証言するということを信じること:アッラー(I)は仰りました:
-そして地獄の業火までやって来ると、彼らの聴覚と視覚と皮膚は、彼らが(現世で)行っていたところの悪行を証言し始める。(彼らは)自らの皮膚に向かって言う:「どうして私たちに不利になる証言をするのだ?」(彼らの皮膚は)言う:「あらゆるものを喋らせることのお出来になるアッラーが、私たちを喋らせられたのです。」かれ(アッラー)はあなた方を最初に創られたお方。そしてあなた方は彼の御許へと還るのだ。またあなた方は(現世において)、あなた方の聴覚と視覚と皮膚があなた方(の悪行)を目撃するのを避けることは出来なかった。そしてアッラーがあなた方の行いをよくご存知でないと、高を括っていたのだ。,(クルアーン41:20-22)
6)その日尋問されることを信じること:アッラー(I)はこう仰りました:
-(アッラーは天使たちに言う:)「そして彼らを止めよ。彼らは(現世での所業を)尋問されるのである。」(天使たちは彼らに言う:)「一体どうしたというのか?(現世でそうしていたように)あなた方は(この困難の中で今)助け合わないのか?」いや、(そうすることは出来ない。)その日彼らは完全に降伏しているのだ。,(クルアーン37:24)
7)地獄の業火に架けられた橋を渡らされることを信じること:全ての者がそこを渡らされることになります。アッラー(I)は仰りました:
-そしてあなた方は皆地獄(の架け橋)にやって来る。それはあなたの主が必ずご遂行されることなのである。,(クルアーン19:71)
8)現世での行いを秤にかけられることを信じること:その日アッラーは人々を清算のために召集し、善行者‐正しい行いや信仰、使徒たちへの信奉などを遵守していた者‐にはそれにふさわしいものでもって報います。そして悪行を行っていた者には、懲罰でもって報いるのです。アッラー(I)は仰っています:
-そしてわれら(アッラーのこと)は審判の日のために公正な秤を設けるゆえ、魂はいかなる不正も被ることがない。そしてからし種一粒ほどの重さ(の行い)でも、われらは提示しよう。われらは清算者として完全なのである。,(クルアーン21:47)
9)現世での行いの帳簿を受け取ることを信じること:アッラー(I)は仰りました:
-それでその帳簿を右手に受け取る者は、その清算を易しくされるだろう。そして嬉々として(天国の)仲間の所へ向かうであろう。一方帳簿を背後から受け取る者は、その(来世での)破滅を悔いるであろう。それから燃え盛る炎の中に連れて行かれるであろう。,(クルアーン84:7-12)
10)人は報いを受けるということを信じること:つまり永遠の来世において、天国か地獄かを与えられるということです。アッラー(I)はこう仰っています:
-啓典の民(ユダヤ教徒とキリスト教徒)とムシュリク(シルク を犯す者)たちの内で(真実を)隠蔽し認めない者たちは、地獄の業火に永遠に留まることになる。彼らこそは創造物の内でも最悪の者たちなのだ。そして信仰し善行に勤める者たちこそは、創造物の内でも最善の者たちである。彼らのその主の御許での報奨はその下を河川の流れるエデンの園であり、そこに永遠に暮らすのだ。アッラーは彼らにご満悦であり、彼らもまたかれに満悦する。これこそ(現世で)その主を畏れていた者の報いなのだ。,(クルアーン98:6-8)
11)預言者の水飲み場 と彼の執り成しを信じること:そして、預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)から伝わるそれ以外の全ての事象について信じることです。
定命への信仰
ムスリムは、アッラーが全ての物事が存在する以前から、そしてそれらが存在した後のことも全てご存知であられるということを信じます。ゆえにかれはその知識とご意志において、全ての存在を存在せしめたのです。アッラー(I)は仰りました:
-実にわれら(アッラーのこと)は、定命をもって全てのものを創った。,(クルアーン54:49)
過去や現在、未来に関わりなく、発生する全ての事象はアッラーの御知識のもとにもたらされます。全てはかれのご意志と裁定に沿っているのです。預言者ムハンマド()はこう言いました:
「しもべは良いことであれ悪いことであれ定命を信じ、また既に起こったことが起こるべくして起こり、起こらなかったことがそもそも起こることにはなっていなかったということを知るまで、信仰したことにはならない。」(アッ=ティルミズィーの伝承)
しかしこの信仰が、人は努力しなければ物事を達成しないという事実と矛盾することはありません。たとえば子供が欲しいのであれば、結婚するなどのある種の物事を行わなければ、その目的を達成出来ません。そして彼がその能力において可能な全てのことを行ったとしても、彼はその目的を叶えることが出来るかもしれませんし、あるいは出来ないかもしれません。これは人が何らかの目標を達成するために行うことのみが、それが実現するための真の理由ではないことを知るためなのです。真の理由とはアッラーのご意志以外の何でもなく、それら目的達成の手段もまたアッラーからの神的裁定によるものなのです。ある時預言者ムハンマド(r)は、ある者にこう訊ねられました:
「アッラーの使徒よ。私たちは薬をもって治療し、クルアーンでもって魔除けを行いますが、果たしてこれらはアッラーの定命を覆すのでしょうか?」彼は応えました:「それら自体がアッラーの定命の内なのである。」(アル=ハーキムの伝承)
飢えや渇き、寒さなどもまた定命によるものです。そして人は食物の摂取によって飢えを、飲料の摂取によって渇きを、暖を取ることで寒さを凌ぐことが出来ます。人は飲食や暖を取ることなど、既に定められている物事によって飢えや渇き、寒さなどから身を防ぐことが出来るのです。つまりある種の定命でもって、別の定命を防ぐのです。
そして人間は、可能な限りの手段を尽くしてこの目的を達成するべきですが、このことも定命への信仰の一部と見なされるのです。この信仰により人は、物事がいかなる結末を迎えようとも満足するようになります。また定命への信仰は、ストレスや心配、悲しみなどに代わり、心の平安と精神の安定をもたらします。不安や心配は多くの病の原因となりますが、この信仰はこのような病に治療法と予防法を提供しているのです。アッラー(I)はこう仰っています:
-地上で、そしてあなた方の内に起こるいかなる災難も、それが創造される前にアッ=ラウフ・アル=マフフーズ(護られた碑版)の中に定められていないことはないのである。実にそのようなことはアッラーにとって容易いことなのだ。それはあなた方が過ぎ去ったことに後悔せず、(アッラーが)あなた方に与えられたものにおいて悦に入らないようにするためである。アッラーは全ての自惚れ屋と高慢な者を愛でられない。,(クルアーン57:22-23)
定命への信仰は、アッラーがこの宇宙に創造したものの探索や研究へと促します。たとえば病気などの災難は人にその治療法を模索させますし、そしてそれはアッラーがこの宇宙に創造した医療の源泉を探索することによって得られるのです。
またこの信仰により、降りかかった災難の苦しみや、過ぎたことに関しての後悔の念を抑えることが出来ます。財産を失うことは一つの苦難ですが、人がそれによって悲しめば二つの苦難‐つまり災厄による苦難と、悲痛による苦難‐を蒙ったことになります。しかし定命を信じる者はそれが起こるべくして起こったと信じているため、どのような結果になろうともそれを喜んで受け入れるものなのです。預言者ムハンマド(r)はこう言っています:
「アッラーは脆弱な信仰者よりも、強い信仰者を愛でられる。そしてそのいずれも善いのである。あなたを益する行為に熱心であり、かつアッラーのご援助を乞うのだ。そしてそこにおいて怠慢であってはならない。そしていかなる災厄があなたを襲っても、“ああ、もしあのようにしていたらなあ”などとは言わず、“これはアッラーからの定命。かれはお望みのことをなされる”と言うのだ。というのも“もし”は、シャイターン(悪魔)の行いに通じる扉であるからである。」(ムスリムの伝承)
定命への信仰はアッラーへの依存心を高め、被造物に対する恐怖感を取り除きます。教友イブン・アッバース(t)はこう言いました:
「ある日私はアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)の後ろにいました。彼は私にこう言いました:
“少年よ。お前にある言葉を教えてやろう。それを心に書き留めて堅守するのだ。そうすればアッラーがお前を護って下さるだろう。アッラー(があなたに命じ禁じられること)を守るのだ。そうすればかれを眼前に見出すであろう。何かを乞うときはアッラーに乞うのだ。そして援助を求める時はアッラーに援助を求めるのだ。そして知るのだ。全ての者があなたを益しようと一丸になっても、アッラーがあなたに対して既にお定めになられたこと以外は何一つあなたを益することがない。また全ての者があなたを害しようと一丸になっても、アッラーがあなたに対して既にお定めになられたこと以外は何一つあなたを害することがない。(定命の)筆は既に置かれ、(それが書き留められる)ページ(のインク)はもう乾いてしまったのである。”」(アフマドとアッ=ティルミズィーの伝承)
定命への信仰とはある種の人たちが考えるように、努力やそのために必要なこともせずに、ただアッラーに頼り切ることではありません。預言者ムハンマド(r)はある時、このように尋ねられました:
「私はラクダをつないでアッラーに全てを委ねるべきですか、それともそれを放してアッラーに全てを委ねるべきですか?」彼は言いました:「それをつないでアッラーに全てを委ねよ。」(アッ=ティルミズィーの伝承)
また彼は、こうも言っています:
「私の魂がその御手に委ねられているお方にかけて。外に出かけて木を切り、それを縛って背中に運ぶことの方が、人に物乞いするよりもよいことなのである。それにより、彼が金銭を得るかどうかはまた別の話なのだ。」(アル=ブハーリーの伝承)

イスラームの使徒とは誰か?
彼の名は、アブドゥッラーの息子、ムハンマドです。彼は最後の使徒であり、アッラー(I)はこう仰っています:。
-ムハンマドは(彼が授かった本当の彼の子でもない)あなた方の内の誰の父親でもない。しかしアッラーの使徒であり、最後の預言者なのだ。,(クルアーン33:40)
アッラーは彼をアラブ人に向けて遣わされた訳ではなく、全人類に向けて遣わされました。アッラー(I)は仰ります:
-そしてわれら(アッラーのこと)はあなたを、福音と警告を告げる者として人類全てに向けて遣わした。しかし多くの人々は知らないのだ。,(クルアーン34:27-28)
アッラーが彼を全被造物に向けて遣わされたのは、ひとえに彼らに対して真実と善の道を示し、過ちと悪に対して警告を下し、そして真の幸福を達成させるためでした。アッラー(I)は仰っています:
-そしてわれら(アッラーのこと)があなたを遣わしたのは、全世界への慈悲ゆえに他ならない。,(クルアーン21:107)
彼は啓示を受ける以前でさえも、人々の間で「信頼高い人」という綽名で呼ばれていました。マッカの人々が旅行でマッカを離れる時には、彼のもとに所持品を託して出かけたものだったのです。彼はまた「誠実な人」とも呼ばれていました。彼は嘘をついたり、インチキをしたり、人を騙したりすることがありませんでした。また彼は、他人に対して常によいことを望むような人物でもありました。
彼が最初に啓示を受けたのは、彼が40歳の時でした。彼は当時の妻、ハディージャ()にそのことに関してこう伝えています:
「私は怖いのだ。」ハディージャは言いました:「いいえ、アッラーにかけて。アッラーはあなたのことを辱められたりはしません。あなたは近親の絆を保ち、他人の問題を分かち合い、困窮者には施し、客人にはもてなし、大きな災難の折には人を援助するではないですか。」(アル=ブハーリーの伝承)
彼はその後マッカに13年間留まり、人々をアッラーのみを崇拝することへと招きました。その後彼は、その住民の多くがイスラームを受容したマディーナ(メディナ)へと移住しました。アッラーはそこで彼に、残りの宗教に関する規定を啓示されました。そしてマディーナ移住後8年後にはマッカ解放に成功し、クルアーンが全て下された後、63歳で亡くなりました。こうしてイスラームの法規定は余すことなく啓示されて完全なものとなり、大半のアラブ人はイスラームを受け入れたのです。
ムスリムは、預言者ムハンマド(r)がその内面においても外面においても、人類の中で最も完璧なお方であったと信じています。
預言者ムハンマド()について言われていること
ドイツの詩人ゲーテは、こう言っています:
「私は、人間にとっての規範を歴史の内に模索した。そしてそれを、ムハンマド(r)の中に見出したのだ。」
アニー・ベサント はその著「ムハンマドの人生と教え」の中で、こう述べています:
「そのアラブの偉大な使徒(預言者ムハンマドr)の人生と徳を学び、その教えと生き方を知った者は、至上の神の偉大な使徒の一人であるその偉大な使徒に尊敬の意を抱かずにはいられないだろう。そしてどのような分野においてでさえも、私は彼に関して多くの人々に親しみのある多くの事柄を述べることが出来るであろう。私は彼について読めば読むほど、そのアラブ人の偉大な教師に対する新しい讃美の形と、新鮮なる敬意の感覚を覚えるのだ。」

クルアーンとは何か?
クルアーンとは、天使ジブリール(ガブリエル)がムハンマド()に伝授した、アッラーの御言葉です。
クルアーンは様々な点において、それ以前の啓典とは異なっています。以下にそれを挙げていってみましょう:
1)クルアーンは、最後の啓典です。ゆえにアッラーは最後の日まで、クルアーンを改変から守られるのです。ムスリムはアッラーが、クルアーンをあらゆる改竄や歪曲、付加や損傷などからお守りになる、ということを信じています。アッラー(I)はこう仰りました:
-実にわれら(アッラーのこと)は、訓戒(クルアーン)を下した。そしてわれらはその守護者なのである。,(クルアーン15:9)
2)クルアーンの朗唱は崇拝行為の一つと見なされます。そしてそれはまた、アッラーがクルアーンを守護される手段の一つでもあるのです。預言者ムハンマド(r)はこう言いました:
「クルアーンを朗誦する者は誰でも、十の報奨を得よう。“アリフ・ラーム・ミーム ”は一つの語なのではない。“アリフ”も“ラーム”も“ミーム”も、それぞれ一語なのである。」(アッ=ティルミズィーの伝承)
またクルアーンの暗記も、崇拝行為の一つと見なされます。預言者ムハンマド(r)はこう言いました:
「クルアーンを全然覚えていない者は、空っぽの家屋のようなものである。」
またクルアーンの重要性を認め、それを教授することもまた、崇拝行為の一つと見なされています。預言者ムハンマド(r)はこのように言っています:
「あなた方の内最善の者とは、クルアーンを学んで教える者である。」(アル=ブハーリーの伝承)
3)クルアーンはその実践において、社会を改善し、全人の幸福を保証するあらゆる法規定を包含しています。アッラー(I)はこう仰りました:
-そしてわれら(アッラーのこと)はあなたに、あらゆる物事への解明と正しい導き、そしてムスリムに対しての慈悲と福音ゆえに啓典(クルアーン)を下した。,(クルアーン16:89)
4)クルアーンはアーダムから預言者ムハンマド(r)に至るまで、諸々の使徒や預言者の逸話、彼らとその民の間に起こったことなどを収録しています。
5)クルアーンは全人類に向けて下されました。それは全人が平和と幸福に満たされた人生を送り、そして過ちという闇の中からイスラームの光へと救い出されることが出来るようになるためなのです。アッラー(I)はこう仰りました:
-アリフ・ラーム・ラー 。(これこそは)彼らの主のお許しのもと、人々を闇から光へと、そして偉大かつ讃美すべきお方(アッラーのこと)への道へと救い出すべく、われら(アッラーのこと)があなたに下した啓典である。,(クルアーン14:1)
クルアーンについて言われていること:
モーリス・ブカイユ はその著「クルアーンと近代科学」の中で、こう言っています:
「クルアーンを、近代的な知識に照らし合わせつつ完全なる客観性をもって調査してみると、それらの二つのこと(クルアーンの内容と科学的事実)における一致という認識に到達する。そしてこのことは、今までにも繰り返し述べられてきたことなのだ。ムハンマドの時代における知識的状況を鑑みれば、その時代の者がこのような言説の創作者とは到底考えられない。そしてこのような観点における思索は、クルアーンの啓示にユニークな地位を与えることに供与している。偏見に汚されてはいない科学者は、そのことに関する物質的論証において自分自身の無力さを認めざるを得ないのだ。」

イスラームと学問
イスラームという宗教は、学問とその追求を奨励しています。そして無知を非難し、それに警告を放っているのです。アッラー(I)は仰りました:
-言え、「一体知っている者と知らない者は等しいというのか?」実に訓戒を受け入れるのは、理知を備えた者たちだけである。,(クルアーン39:9)
また、アッラー(I)はこうも仰っています:
-アッラーは、あなた方の内で信仰する者たちと知識を与えられた者の位階を上げられる。,(クルアーン58:11)
またイスラームは、知識の収集を強く勧めています。アッラー(I)は仰りました:
-そして言え、「主よ、私の知識をお増やし下さい。」,(クルアーン20:114)
またイスラームは学者に敬意を払い、彼らの権利を守ります。預言者ムハンマド(r)は彼らの地位に関し、こう言いました:
「年長者を敬わない者と年少者を慈しまない者、そして学者に敬意を払わない者は私たちの内の者ではない。」(アッ=ティルミズィーの伝承)
また知識の追求と、その教授及び学習は、天国へと至る道とまで形容されています。預言者ムハンマド(r)はこう言いました:
「知識を求めて道行く者は、アッラーが彼に天国への道を易しくして下さるであろう。天使たちは知識を求める者を喜び、その翼を彼らの上に垂らすのだ。そして天地にある全てのもの‐水の中の魚でさえ‐は、学者の罪の赦しを乞うのである。崇拝行為に没頭する者に対する学者の卓越性というものは、ちょうど星々に対する満月の際立った明るさに等しい。実に、学者とは使徒の相続者なのである。使徒は相続するような財産を残しはしないが、知識を後に残すのだ。ゆえにそれを身に付ける者には、偉大な取り分があろう。」(イブン・ヒッバーンによる伝承)

イスラームと富
イスラームにおいて財産とは、人間に託されたアッラーの所有物です。それは一つの信託であり、ゆえに財産は合法的手段において稼がれ、費やされなければなりません。預言者ムハンマド(r)はこう言っています:
「しもべは審判の日、以下の事柄について審査されるまでは、歩を進ませることが出来ない:彼の時間と、彼がそれをいかに費やしたか。彼の知識と、彼がそれでもって何をなしたか。また彼の財産と、彼がそれをいかに稼ぎ、いかに費やしたか。そして彼の若さと、彼がそれをいかに過ごしたか。」(アッ=ティルミズィーによる伝承)
イスラームは、人が自分自身とその扶養すべき者たちを養うため、そして現世的諸事において堅固であるために、財産を求めることを奨励しています。また財産を有益なことに費やせば、アッラーからの報奨を得る一手段ともなり得ます。預言者ムハンマド(r)はこう言いました:
「アッラーは脆弱な信仰者よりも、強い信仰者を愛でられる。そしてそのいずれも善いのである。あなたを益する行為に熱心であり、かつアッラーのご援助を乞うのだ。そしてそこにおいて怠慢であってはならない。そしていかなる災厄があなたを襲っても、“ああ、もしあのようにしていたらなあ”などとは言わず、“これはアッラーからの定命。かれはお望みのことをなされる”と言うのだ。というのも“もし”は、悪魔の行いに通じる扉であるからである。」(ムスリムの伝承)
また財産に関しては、ザカー(義務の浄財)という義務の他にも、いくつかの義務があります。たとえば、ムスリムは財産によって現世と来世において自分自身を益しなければなりません。アッラー(I)はこう仰ります:
-「そしてアッラーがあなたに授けられたものでもって、来世を乞い求めなさい。しかし現世におけるあなたの分け前も忘れてはなりません。アッラーがあなたによくされたように、あなたもよい行いをするのです。地上で腐敗を働いてはなりません。実にアッラーは腐敗を働く者を厭われます。」,(クルアーン28:77)
また預言者ムハンマド(r)はこう言っています:
「正しい者に所有される穢れなき財産の、何と素晴らしいことか!」(イブン・ヒッバーンによる伝承)
またイスラームは、財産の浪費を禁じています。アッラー(I)は仰りました:
そして近親の者と恵まれない者と旅人に、施すのだ。しかし浪費するのではない。実に浪費する者はシャイターン(悪魔)の同胞であり、そしてシャイターンはその主に対してこの上なく恩知らずなのであるから。(クルアーン17:26-27)

終わりに
私はこの小冊子を著するにあたり可能な限りの簡潔さを心がけたつもりなので、多くの詳細には立ち入りませんでした。私のささやかな願いは、この小冊子が大まかなイスラーム理解の一助となり、またイスラームについて更に学ぼうする人たちの鍵となることです。そして私は特に、イスラームの信徒ではなく、それを有益な宗教とも見なしてはいないような人たちにそうなって頂きたいと思っています。というのもそのような人たちはイスラームの敵による誤った情報を鵜呑みにしているのであり、そしてこのような敵は警告されなければならないからです。またこの小冊子は、真の幸福と成功がイスラームという教えを受容し、それを実践することにかかっているということを知らない人々へのものでもあります。私はこのような人々に対し、単に他人の意見を受容し、他人の欲望のために自らの運命を売ったりはしないように諫言したいと思います。アッラー(I)はこう仰っています:
-そしてもしあなたが地上にいる大半の者に従えば、彼らはあなたをアッラーの道から迷い去らせてしまうであろう。彼らは(誤った)憶測に従っているに他ならない。彼らは虚言を吐いているのだ。,(クルアーン6:116)
この世で人々が追従しているものは、審判の日には真っ先にその追随者を否認するような類のものであるかもしれません。アッラー(I)はこう仰ります:
-その時、追従されていた者たちは、追随していた者たちを見捨てる。そして(いずれの者たちも地獄の)懲罰を目の当たりにし、(そこから救われるための全ての)手段は断ち切られる。,(クルアーン2:166)
ゆえに可能な限り自分自身の考えに依拠し、アッラーが授けて下さった知性を用いて物事を推し量り、真実と虚偽を見極めて頂きたいと思います。そして偏った視点を捨て、何かを盲目に踏襲することはお避け下さい。アッラー(I)はこう仰っています:
-そして「来なさい。そしてアッラーが下されたものと、使徒に従うのだ」と言われれば、彼らはこう言う:「私たちには、私たちの父祖の伝統だけで十分である。」彼らの父祖は何も知らなければ、正しく導かれてもいなかったではないか? ,(クルアーン5:104)
望む者にはチャンスがあるでしょう。しかし真のイスラームの姿を紹介してくれる、適切な情報源を選んで下さい。イスラームに従っている、と主張する者全てがムスリムなわけではありません。またイスラーム的である、と主張する書物の全てが真のイスラームの姿を描写しているとも限りません。ゆえにイスラームを学ぶにあたっては、適切かつ有効な情報源をお選び下さい。預言者ムハンマド(r)はこう言っています:
「ユダヤ教徒は71の宗派に、キリスト教徒は72の宗派に、そしてわが共同体は73の宗派に分かれる。そしてただ一つの集団を除いては、皆地獄の徒となるのである。」そこで人々は言いました:「アッラーの使徒よ、その集団とは?」彼は答えて言いました:「私と私の教友がそうであったようなところの者たちである。」
イスラームについて更に多くのことを学ぼうとされる方は、この小冊子の最後にあるイスラーム組織にご連絡下さい。
アッラーこそが全てをご存知であられます。そしてアッラーが、預言者ムハンマド(r)とその一族とその教友たちの誉れを称揚され、また彼らをあらゆる中傷や汚名からお守り下さいますよう。
 
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